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『 棚のない商店街 』 ストーリー 2

 

第四章 最初の壁

 

 会社に戻ってからの二週間は、企画を考える時間ではなく、企画を壊す時間になった。

 

 井上が数字を出す。

 

 志保が市場データを調べる。

 

 田島が空き店舗の家賃相場を調べる。

 

 冴は100円ショップ各社の店舗形態や商品構成を比較した。

 

 涼は毎日のように商店街の写真を見返していた。

 

 写真には、何もない空き店舗が写っている。

 

 だが、その何もない空間が、今では違って見える。

 

 ここに文房具。

 

 ここにキッチン用品。

 

 ここに掃除用品。

 

 ここには収納用品。

 

 そう考えると、シャッターの下りた店舗が、空白ではなく売り場に見えてくる。

 

 しかし、問題は一つではなかった。

 

「企業側のメリットが弱い」

 

 井上が言った。

 

 会議室のスクリーンに、試算表が映っている。

 

「既存店より売上が上がる保証がない。むしろ複数店舗に分散することで効率が悪くなる可能性があります」

 

「商店街への出店実績としては?」

 

 志保が聞いた。

 

「企業イメージにはプラスかもしれない。でも、それだけでは決裁は通らない」

 

 田島が腕を組んだ。

 

「じゃあ、企業にとっても実験にする」

 

「実験?」

 

「一年間だけ。最初から恒久店舗にしない」

 

 田島は続けた。

 

「商品を提供してもらう。売上を全部データ化する。どのジャンルが売れたか、どの年齢層が買ったか、何曜日に人が来たか。普通の百円ショップでは取れないデータを出す」

 

 井上が顔を上げた。

 

「それなら企業側にも価値がある」

 

「そういうこと」

 

 加藤が頷いた。

 

「この企画を、商店街再生だけではなく、販売実験として提案する」

 

 涼はそこで初めて、企画の輪郭がはっきりした気がした。

 

 再生事業。

 

 実証実験。

 

 販売データ。

 

 そして一年という期限。

 

 すべてが一本につながる。

 

「でも、もう一つあります」

 

 冴が言った。

 

「何?」

 

「高齢者です」

 

 会議室が静かになった。

 

「商品をジャンルごとに分ければ分かりやすくなる。でも、それだけで高齢者が買い物しやすくなるとは限らない」

 

 志保が聞いた。

 

「どうするの?」

 

「案内です」

 

 冴は資料を出した。

 

「商店街の入口に全店舗の案内板を置く。文房具なら何番、台所用品なら何番というように、最初に目的地が分かるようにする」

 

「商店街の中に案内所を作る?」

 

「それも考えられる」

 

「でも人件費が……」

 

「常駐じゃなくてもいい」

 

 涼が口を挟んだ。

 

「スマートフォンでも見られるようにする。だけど、スマートフォンを使わない人向けには紙の地図を置く」

 

 冴が涼を見る。

 

「それならいい」

 

 また二人の考えが重なった。

 

 加藤は二人を見ていた。

 

 何かに気づいたようだったが、何も言わなかった。

 

「よし」

 

 加藤が資料を閉じた。

 

「提案書を作ろう」

 

 六人はその日から、本格的に動き始めた。

 

第五章 最初の電話

 

 最初に電話をかけたのは涼だった。

 

 100円ショップを運営する企業の新規事業担当者。

 

 資料を送る前に、まず話を聞いてもらう。

 

 電話がつながった。

 

「突然すみません。私、○○社の永島と申します」

 

 涼は企画の説明を始めた。

 

 商店街。

 

 空き店舗。

 

 ジャンル別。

 

 一年間。

 

 販売実験。

 

 売上データ。

 

 話し終えるまで、相手はほとんど口を挟まなかった。

 

「……つまり、商店街全体を一つの店舗として考えるということですか?」

 

「はい」

 

「商品は?」

 

「御社の商品だけではありません」

 

 そこが重要だった。

 

「複数の100円ショップ企業に同じ提案をします」

 

 電話の向こうが静かになった。

 

「それは、かなり特殊ですね」

 

「承知しています」

 

「競合企業の商品も同じ商店街に置く?」

 

「はい」

 

 涼は答えた。

 

「お客様にとって一番いい形を考えています」

 

 相手はすぐには答えなかった。

 

「一度、資料を見せてください」

 

 電話が終わった。

 

 涼は息を吐いた。

 

 会議室の向かいにいた冴が、黙って親指を立てた。

 

 涼は笑った。

 

 それから一社、二社、三社。

 

 電話をかけるたびに、反応は違った。

 

 興味を示す会社。

 

 慎重な会社。

 

 最初から断る会社。

 

 そして四社目。

 

 担当者は、涼の説明を最後まで聞いたあと、意外な質問をした。

 

「その商店街、どんなところですか?」

 

 涼は答えようとして、言葉を止めた。

 

 写真ならある。

 

 データもある。

 

 空き店舗率も、人流も、人口統計もある。

 

 けれど、その質問に数字だけでは答えられない。

 

「……一度、見に来ていただけませんか」

 

 涼はそう言った。

 

「現地を見てもらったほうが分かると思います」

 

 電話を切ったあと、冴が言った。

 

「今の、よかったと思う」

 

「何が?」

 

「現地を見てもらうって言ったところ」

 

「資料だけじゃ分からないからね」

 

「うん」

 

 冴は窓の外を見た。

 

「私たちもそうだったし」

 

 涼は何も言わなかった。

 

 最初に商店街を歩いた日のことを思い出した。

 

 シャッター。

 

 空き店舗。

 

 歩いている人。

 

 百円ショップを探していた老人。

 

 あの日から、まだ一か月も経っていない。

 

 それなのに、もうずいぶん遠いことのように感じる。

 

 そして、その頃には六人ともまだ知らなかった。

 

 この企画を最初に面白がってくれた企業が、後になってプロジェクト最大の壁になることを。

 

 そして、その壁の向こう側に、商店街の未来だけではなく、六人それぞれの仕事に対する考え方まで変えてしまう出来事が待っていることを。

 

 プロジェクトは、まだ始まったばかりだった。

 

第六章 売り場を借りる

 

 最初の企業が現地を見に来ることになった。

 

 八月の暑い日だった。

 

 駅前で待っていると、紺色のシャツを着た男が一人、改札から出てきた。

 

 三十代後半くらいに見える。

 

 会社名を告げると、男は軽く頭を下げた。

 

「新規事業部の黒田です」

 

「プロジェクトリーダーの加藤です」

 

 六人が順番に名乗る。

 

 黒田は全員を見渡した。

 

「若いですね」

 

 田島が笑った。

 

「よく言われます」

 

「私も若いと思っていますよ」

 

 黒田が笑う。

 

 その笑顔に、営業特有の警戒心が少し混じっていた。

 

 彼らは駅から商店街へ向かった。

 

 最初の数分、黒田は何も言わなかった。

 

 通りの両側を見ている。

 

 開いている店。

 

 閉まっている店。

 

 空き店舗。

 

 人の流れ。

 

 時折、スマートフォンに何かを記録している。

 

「ここが一番人通りが多い時間帯ですか?」

 

 井上が答えた。

 

「平日の午前十時から十二時くらいです。夕方は学生が増えます」

 

「休日は?」

 

「休日は逆に減ります」

 

「なるほど」

 

 黒田は歩きながら、空き店舗の前で立ち止まった。

 

「ここは?」

 

 田島が答える。

 

「以前は衣料品店です。今は空いています」

 

「家賃は?」

 

「調べています」

 

「いくら?」

 

 田島が金額を答えると、黒田は少し考えた。

 

「思ったより高いですね」

 

「駅に近いので」

 

「でも、この状態で?」

 

 田島は答えなかった。

 

 黒田はさらに歩いた。

 

 商店街の中ほどまで来たところで、八百屋の前を通った。

 

 店先で年配の女性が二人、話をしている。

 

 その横を高校生が自転車を押して通り過ぎる。

 

 完全に人がいないわけではない。

 

 むしろ、ところどころに生活が見える。

 

 黒田はその様子をしばらく眺めていた。

 

「この商店街、なくなるんですかね」

 

 突然、そんなことを言った。

 

 加藤が答える。

 

「分かりません」

 

「皆さんは?」

 

「なくしたくないと思っています」

 

 黒田は笑った。

 

「正直ですね」

 

 涼はその言葉を聞きながら、商店街の先を見た。

 

 もしここに文房具店ができたら。

 

 もし、その隣にキッチン用品店ができたら。

 

 もし、その先に収納用品の店ができたら。

 

 人は歩くだろうか。

 

 それでも帰ってしまうだろうか。

 

 まだ分からない。

 

 企画書の中では、すべてがきれいにつながっている。

 

 現実はそうではない。

 

「実際に、何店舗くらい考えているんですか?」

 

 黒田が聞いた。

 

「空き店舗の状況を見ながらですが、最初は六店舗程度です」

 

 涼が答えた。

 

「六店舗?」

 

「はい。文房具、キッチン用品、掃除用品、収納用品、日用品、季節商品」

 

「一店舗に一ジャンル?」

 

「基本はそうです」

 

 黒田は考え込んだ。

 

「面白いけど、難しいですね」

 

 その言葉に、誰も反論しなかった。

 

 面白い。

 

 だが、難しい。

 

 それは、この企画を考え始めてから何度も聞いた言葉だった。

 

 午後、六人は商店街の集会所にいた。

 

 黒田との打ち合わせが終わり、商店街側との話し合いが始まる。

 

 出席したのは、商店街の会長を務める七十代の男性と、数人の店主だった。

 

「空き店舗を使ってくれるなら、ありがたいですよ」

 

 会長はそう言った。

 

「ただね」

 

 その先を待つ。

 

「一年で終わるんでしょう?」

 

「現時点では、一年間の実証実験です」

 

 加藤が答える。

 

「一年後に数字が目標を超えれば継続を検討します」

 

「超えなかったら?」

 

「原則として終了です」

 

 会長は腕を組んだ。

 

「そうなると、また空き店舗に戻る」

 

 誰もすぐには答えられなかった。

 

 田島が口を開いた。

 

「そこは、我々も考えています」

 

「考えてる?」

 

「はい。撤退する場合でも、できるだけ次のテナントにつなげられる仕組みを作りたい」

 

 会長は田島を見た。

 

「若い人は、みんなそう言うんだよ」

 

 少し厳しい声だった。

 

「始めるときは、町が変わると言う。でも、うまくいかなくなったら、会社に戻って終わりだ」

 

 田島は黙った。

 

 涼も何も言えなかった。

 

 会社員である以上、正しい指摘だった。

 

 自分たちは一年後、この町からいなくなる可能性がある。

 

 商店街の人たちは、そのあともここで暮らす。

 

 その違いは大きい。

 

「だからこそ」

 

 冴が言った。

 

 全員が彼女を見る。

 

「一年間で、商店街の側にもノウハウを残したいんです」

 

「ノウハウ?」

 

「商品の売れ方、人の流れ、どの店舗にどういう商品を置けばいいか。全部データとして残します」

 

 冴は続けた。

 

「それを使えば、一年後に別の事業者が入る場合にも役立つと思います」

 

 会長は黙っていた。

 

「100円ショップだけの話にしない」

 

 冴の声は落ち着いていた。

 

「商店街が、自分たちで次の店を考えられるようにする」

 

 涼は冴を見た。

 

 最初の企画を考えたときから、冴は何度も同じことを言っていた。

 

 この企画を成功させるだけでは足りない。

 

 終わったあとに何が残るのか。

 

 そこまで考えなければいけない。

 

 会長はしばらく黙っていた。

 

 やがて、

 

「それなら、やってみてもいい」

 

 と言った。

 

 その日の帰り、六人は商店街を歩いた。

 

 夕方になり、学生の姿が増えていた。

 

 文房具店の前を通ったとき、店主が外に出ていた。

 

「また来たの」

 

 涼が笑った。

 

「今日は仕事です」

 

「毎日仕事でしょう」

 

 店主も笑った。

 

 そして、店の前に置かれた古いワゴンを指した。

 

「これ、使う?」

 

 ワゴンには少し傷があった。

 

「もう使わないから」

 

 田島が近づいた。

 

「商品を置く台に?」

 

「そう。捨てるよりいいでしょう」

 

 涼はワゴンを見た。

 

 企画書には書かれていない。

 

 商店街の人が、自分たちの企画に何かを差し出してくれた。

 

 それが妙に嬉しかった。