この作品は盗用禁止です。

AIに登録してネット監視していますので、ご注意ください。

 

 

『 鴨川の向こう側 』

 

五 近江八幡

 

 五日後、返事が届いた。

 

 封筒を手にしただけで、翔子には分かった。

 

 差出人の名前は、前島涼太。

 

 翔子は、しばらく封を切らずにいた。

 

 やがて便箋を取り出した。

 

 短い手紙だった。

 

――安土で見かけたのは、やはり翔子だった。

 

 その一文を読んだとき、翔子は椅子に座った。

 

 涼太も、あの瞬間に自分に気づいていた。

 

 五日間という時間が、急に長く感じられた。

 

 それから数日後、翔子は手紙に書かれていた連絡先へ電話をした。

 

 何度か短い電話を重ねたあと、涼太から会おうと言われた。

 

「近江八幡に来ない?」

 

 翔子は少し驚いた。

 

「どうして近江八幡?」

 

「安土の近くだし、八幡堀を一緒に歩いてみたい」

 

 それで決まった。

 

 近江八幡駅で待ち合わせた。

 

 涼太はすぐに分かった。

 

 安土で一瞬見たときより、今ははっきり顔が見える。それでも、若い頃の面影を探すのに時間はかからなかった。

 

「久しぶり」

 

「本当に久しぶりね」

 

 二人とも笑った。

 

 八幡堀の水は静かだった。二人は船に乗り、しばらく水面を眺めた。

 

 船を降りてから、堀沿いを歩いた。

 

 昔の話をした。大学のこと。安土へ来たこと。別れた日のこと。

 

 それから、知らない四十五年について話した。

 

 翔子は健二と結婚し、彩花を育て、二年前に急性心不全で亡くしたことを話した。涼太は結婚し、十年前に離婚したこと、息子とは今も仲がよく、ときどき一緒に旅行することを話した。

 

 どちらも、若い頃には知らなかった人生だった。

 

 話しているうちに、翔子は不思議な気持ちになった。

 

 安土で見かけた男性は、四十五年前の涼太ではなかった。四十五年近くの時間を生きてきた、六十八歳の涼太だった。

 

 自分も同じだった。

 

 だから、再会したというより、初めて今の相手を知り始めているのかもしれない。

 

 八幡堀の水面に、午後の光が揺れていた。

 

 翔子はその光を見ながら、もう一度だけ涼太の横顔を見た。

 

 今度は、見間違えることはなかった。