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『 2rd 尾道の坂を下って 』
第八章 画面の向こう
初夏の陽気が心地よい午前、尾道の商店街に東京のテレビ局の撮影クルーがやってきた。大きなカメラを担いだ男と、マイクを持った若い女性アナウンサーが、通りかかる町の人々に次々と声をかけている。
坂を下りて日用品の買い出しに出ていたテルさんも、運悪く(あるいは運良く)呼び止められてしまった。
「すみません! 尾道で元気に暮らしている人生の先輩として、少しお話を伺ってもいいですか?」
アナウンサーが弾んだ声でマイクを向ける。テルさんは立ち止まり、怪訝そうにカメラを見つめた。
「元気じゃない日もあるわ」
いきなりのカウンターに、アナウンサーは一瞬怯んだものの、プロの笑顔を取り戻して続けた。
「そ、そうですか! では、普段の『元気の秘訣』は何でしょうか?」
テルさんは少し首を捻り、至極当然といった顔で答えた。
「食べる」
「おお、食生活ですね!主に何を食べますか?」
「腹が減ったら、目の前にあるものを食べる」
後ろでカメラを構えるスタッフから、こらえきれない忍び笑いが漏れた。アナウンサーは汗を拭いながら、食い下がった。
「なるほど……シンプルなのが一番ですね!
運動などは何かされていますか?」
「猫を追いかける」
「猫、ですか?」
「栗原さんとこのミーがすぐ高いところへ逃げるからの。追いかけて捕まえるのが日課じゃ」
「は、はあ……。では最後に!長生きの秘訣を一言お願いします!」
テルさんはレンズを真っ直ぐに見つめ、微塵の迷いもなく言い放った。
「まだ死んでないから分からん」
その場にいたスタッフも、遠巻きに見ていた近所の人々も爆笑した。
テルさんだけが、何がそんなにおかしいのか分からないという顔をしていた。
テルさんは「変なことを聞く子らじゃ」と首を振ると、買い物袋を下げてそのまま坂を上っていった。
数日後、その模様が昼の情報番組で全国に放送された。
画面の隅にはテロップで、
『尾道の元気なおばあちゃん テルさん(年齢不詳)』 と誇らしげに映し出されていた。
*
そのころ、大阪の賃貸マンションで最後の荷造りを終えた里奈は、床に座り込んでテレビを眺めていた。
ダンボール箱が壁際にうずたかく積まれ、生活感の消えた殺風景な部屋。静けさを紛らわすために何気なくつけていた画面の中に、不意に見たことのある景色が飛び込んできた。
尾道の商店街。古びたアーケード。
昔ながらの書店や商店が並ぶ街並み。
そして、マイクに向かってぶっきらぼうに持論をかますテルさんの姿だった。
画面の端には、心配そうに後ろで見守るハルさんの姿も小さく映り込んでいる。
「ふふっ……相変わらずだなあ」
里奈は思わず吹き出した。
その笑い声を聞いた瞬間、帰ることへの不安が少しだけ軽くなった。
画面の中のテルさんは、テレビ局が用意した言葉には乗らず、自分の言葉だけを返していた。ハルさんも、横で呆れたように笑っている。
里奈はその二人をしばらく見つめ、それからリモコンでテレビを消した。部屋は再び静まり返った。
床に置いたボストンバッグを確かめる。財布、家の鍵、スマートフォン、明日の夜行バスのチケット。
里奈はゆっくりと立ち上がり、誰もいなくなった部屋を一度だけ見渡した。壁に残った家具の跡が、ここで過ごした時間を物語っていた。
「よし」
小さく呟き、ドアノブに手をかける。もう、後ろを振り返る必要はなかった。
