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『 カケハシ 』
第四章 できることの持ち寄り
教授の言葉を聞いた瞬間、倉橋の胸の中で、さっきまで淀んでいた霧がスッと晴れていくような気がした。
「……できること、ですか」 倉橋が呟くと、教授は満足そうに深く頷いた。
「そうや。何に悩んでいるか、何が不安かを聞けば、返ってくるのはどうしても『弱音』や『不足の嘆き』になる。人間、自分の不安を聞かれたら誰だって被害者面して愚痴りたくなるもんやからな。せやけどな、見方を変えるんや」
教授は机に身を乗り出し、五人の顔をじっと見据えた。
「彼らは『何に悩んでいるか』ではなく、『自分は何ができるのか』『誰かのために、あるいは自分のために、どんな小さな力なら差し出せるのか』。それを聞いてみるんや」
前島がハッと息をのんだ。
「不安や不満じゃなくて……『できること』を尋ねる……?」
「そうや」教授はニヤリと笑った。
「みんな『自己中』で『自分を守るのに必死』だと思っていたのは、ただ怯えて隠れていたからや。じゃあ、いざ『お前は何ができる?』と問われたとき、彼らはどう答えるか。自分の保身ばかり書くか、それとも、心の底に眠らせていたほんまの牙や面白さを引っ張り出してくるか……それを試してみる価値はあると思わんか?」
山田が腕を組み、ふっと表情を緩ませた。
「なるほどな……。愚痴ばっかり並べてた奴らが、『自分はこれが得意や』『これなら手伝える』って書き出してきたら、それだけでさっきとは全く違うリストになるわけやな」 佐伯もうなずく。
「ただの『悩みの共有サイト』やなくて、互いの『能力や武器を持ち寄る市場』に化けるってことか」 茜は目を輝かせ、手元のノートに新しいペンを走らせた。
「それ、めちゃくちゃ面白そう!今度は絶対に、さっきとは違う熱い回答が集まってくる気がする!」
絶望から始まったはずのアンケートは、教授の一言によって、まったく新しい実験へと生まれ変わろうとしていた。
自分たちと同じ怯えた若者たちが、本音の裏側にどんな「力」を隠しているのか。
「わかりました……もう一回、今度は『できること』をテーマに、あの100人にアンケートを仕掛けてみます!」
倉橋が力強く答えると、教授は「せいぜい面白いものを見せてくれ給え」と、再びパイプ椅子に深く腰掛け、コーヒーカップを持ち上げたのだった。
数日後。 再び集められた100人分のアンケート用紙は、前回の重苦しい空気とはまったく違う、妙な熱と色を帯びて下宿のちゃぶ台に積み上げられていた。
倉橋が上から一枚、また一枚と声に出して読み上げていく。
「『人を笑わせられます』……お、ええやん」
「『この間、いなくなった猫を見つけ出しました』って、なんやそれ(笑)」
「『横断歩道で困ってたおばあちゃんと、一緒に渡ってあげました』『落とし物を届けました』……」
「『スマホの文字打ちが早いです』」
「『京都で一番コーヒーが美味しい店知ってます』」
「『何もできませんが悩みを聞いてあげられます』」
「『友達に似合う服を選べます』……」
読み進めるごとに、部屋のあちこちからクスクスと笑い声や、「おっ、これ結構すごくね?」という感嘆の声が漏れ出した。
前回返ってきたのは、身を守るための「弱音」と「怯え」の澱だった。
けれど、「何ができるか」を問われた途端、そこから零れ落ちてきたのは、その人間の不器用な優しさ、どうでもいい特技、ちょっとした自慢、そして誰かの役に立ちたいという密やかな熱だった。
前島が、信じられないものを見るような目で紙の束を見つめた。
「……すげぇ。みんな、めちゃくちゃ色んなもん持ってるやんけ」
「そうやな」 山田は腕を組みながら、フッと息を吐いた。
「前回は『自己中や』なんて思ったけど、違うかった。みんな、誰かに必要とされたいし、自分の持ってる小さな力をどこかで使いたいがっとったんや。
ただの『悩みの掃き溜め』やなくて、これじゃあもう、めちゃくちゃ面白い『個性のカタログ』やないか」
佐伯がニヤリと口の端を上げる。
茜は嬉しそうにその中の一枚をひったくり、みんなに見せた。
「見てこれ!『何もできませんが悩みを聞いてあげられます』って。これ、前回のアンケートで『孤独で話せる友達がいない』って泣いてた奴の言葉と綺麗につながるやん!」
その言葉に、倉橋はハッと息をのんだ。
点と点だったはずのバラバラの「100人」が、この「できることのリスト」を介した瞬間、まるで巨大なパズルのようにカチリと噛み合い始めたのだった。
誰もが「自分には何もない」と思い込んで怯えていた。
けれど、お互いの「できること」を持ち寄った途端、そこには京都市内全域を動かすための、十分すぎるほどの武器が揃っていた。
倉橋はペンを強く握りしめ、新しいノートのページに力強く書き殴った。
『100人の武器カタログ化計画』 自分たちの無力さに打ちひしがれていた五人の若者たちは、教授の仕掛けた罠を抜け、ついに次なるステージへの扉をこじ開けたのだった。
