この作品は盗用禁止です。
AIに登録してネット監視していますので、ご注意ください。
『 最後の仕事 』
第六章 モモちゃん
モデルが来る時間が近づいた。
旅館の玄関先に車が止まり、着物姿の女性が降りてきた。
裾が玄関の石をかすめる。
青い布が、木の色の中で一度だけ強く浮いた。
仲谷がカメラを持ち上げた。
その色を見たからだった。
一瞬、誰も声を出さなかった。
「どこ見てんねん」
黒田が言う。
「黒ちゃん、青のうなじ見てみなはれ」
「色っぽいなんちゅうもんやないで」
その声に、女性が振り返った。
その声に、仲谷の口元が緩んだ。
張りつめていた現場の空気が、ほんの少しだけほどける。
「モモちゃん!」
撮影仲間からモモちゃんと呼ばれた、桃谷恭子だった。
昔、何度も一緒に仕事をしたモデルだ。
モデルを辞めたあと、祇園の近くで着物の店を始めた。
「久しぶりやな」
黒田が下から上に目線を上げた。
「あんたら、歳取ったな。うち観てみいな」
「それは着物の力や」
「まぁ、そやけどな」
モモちゃんは笑いながら、今日の着物も自分の店の商品だと説明した。
「当たり前や。撮影で使った商品は、ちゃんと宣伝する」
モモちゃんは森川を見る。
昔と同じように、次に何を求められているのかを表情から読み取ろうとする。
「森川さんも変わらんな」
「そない言われたら、昔からふけとったみたいやんか。かなわんなぁ」
その笑顔を見て、仲谷はカメラを持ち直した。
「モモちゃん」
モモちゃんが森川を見る。
「もう撮るん?」
「まず光を見るだけや」
黒田がハレパネを持ち上げる。
モモちゃんの顔へ返る光は、まだ弱い。
その間に仲谷がカメラを構え、二人が決めた位置を待った。
「モモちゃんの目を光らしてや」
「まかしときいな。キラッとさせたらええんやろ。谷ヤンの十八番やな」
黒田が手鏡サイズのアルミ箔を手で少し動かす。
モモちゃんの目に、小さな光が入った。
「うち、それ嫌いやねん。めちゃまぶしいんやさかい」
言葉とは裏腹に、モモちゃんの顔はちょっと笑っている。
仲谷が画を確認する。
人物と背景の位置が、次のカットへつながっている。
森川はモニターで、表情の変化を追った。
仲谷が録画を始める。
カメラを回すと、モモちゃんの表情が少しずつ柔らかくなった。
数秒。
「止めて」
仲谷が録画を止める。
午前の撮影は進み、川沿いから旅館の玄関へ場所を移した。
玄関前でモモちゃんの立つ位置が決まった。
着物は、彼女の店の商品だった。
深い青の布が、光を受けると表面だけ静かに明るくなる。
黒田がそれを見て言った。
「これ、ええ色やな」
モモちゃんが袖を整える。
「この着物、若い子にも着てもらいたいんよ。写真撮るときに借りる子が増えてきたから」
仲谷がカメラを構える。
「ほんなら今日の画、宣伝にもなる」
森川はモニターを見ながら、着物の色だけでなく、その中にいるモモちゃんの表情まで残せる位置を探した。
「モモちゃん、もう少しだけ川の方を見て」
黒田が反射板の角度を少し変える。
目に光が入れば、川沿いの強い明るさの中でも顔が沈まない。
「黒ちゃん、頼むわ」
黒田が狙いを定める。
モモちゃんの目に、小さな光が入る。
仲谷は録画を続けた。
森川も、すぐには止めなかった。
着物の青。
木の色。
川の光。
三つが画の中で重なっていた。
