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『 最後の仕事 』
第五章 香盤表
森川は紙の前に立った。
書かれた時刻より、余白のほうが気になる。
仲谷の指が紙の上を滑る。黒田は川へ目を向け、三村はペンを手にしている。山科は主人の動きを確かめていた。
森川はその様子を一度に捉えた。
旅館の廊下には、一枚の紙がテープで貼られている。
三村と山科は、その前で撮影の段取りを確認していた。
場所と時間、人物、カットの順番。移動や備考まで細かく書き込まれている。
そこへ仲谷が近づいた。
「香盤表、これか」
三村が時刻の横を指でなぞる。
その隣に場所、その横に人物。
さらに移動と備考が続いていた。
午前十時は川沿い。
十時十五分、旅館前。
主人が入るのは、そのあとだった。
カメラと人のどちらが先に動くのかまで、段取りは細かく決まっている。
モデルの入り時間には、小さな丸がついていた。
黒田の担当は照明と反射板。
三村と山科には、移動と確認が割り当てられている。
紙の端には、料理の出る時間まで鉛筆で書き足されている。
仲谷も黒田も、こうした香盤表には慣れていた。
長年現場にいた二人にとって、見慣れたものだ。
それでも今回の紙には、少し気になるところがあった。
「この二つのカット、順番変わってるな」
黒田が紙へ目を落とした。
「モデルさん、どこに立つんや?」
「一つ目は旅館の前です」
「旅館の前を撮ってから川へ行くんか」
仲谷が紙を見ながら考える。
三村は黙って聞いていた。
「モデルさんが川沿いを歩いて旅館へ来る。そこを撮る。そのまま旅館前で一人のカット。次にご主人に出てもらって、二人を撮る」
「機材を一回動かすだけで済みますね」
「そうや。旅館前を撮ってから川へ行って、また戻ってくるのは時間がもったいない」
三村はその場で香盤表を書き換えた。
森川は少し離れたところで、そのやり取りを聞いていた。
仲谷の指が川を示し、三村のペンが紙の上を走る。
森川は黙って、その様子を見ていた。
やがて、紙の端を指で二度叩く。
三村はその音を聞くと、紙を半分に折った。
森川が現場で考え直すとき、昔から立てる音だった。
誰も口には出さなかったが、三村には分かっていた。
三村は森川の意図を汲んだ。
「ほんなら、この順番でいきましょう」
山科が紙を貼り直す。
森川は最後にもう一度、紙へ目を落とした。
予定どおりに進んだ一日ほど、予定の外側に何があったのかが気になる。
撮影は朝から始まり、昼を越えて夕方まで続いた。
長い一日だった。
それでも、無駄な動きはほとんどない。
昔の現場と、同じだった。
