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『 長崎 名前のない写真 』

 

第十四章 墓地に残されたもの

 

 墓地は、観光客が訪れる場所から少し離れた山の斜面にあった。

 

 長崎の街では、坂を上るという行為そのものが、過去へ近づいていくことに似ている。

 

 海に近いところでは新しい建物や商店が並んでいるのに、少し坂を上るだけで、古い石垣や細い路地が現れ、さらにその先には、長い年月を経た墓地が静かに残っている。

 

 四人がたどり着いたとき、午後の光はすでに山の向こうへ傾き始めていた。

 

 入口には小さな案内板があるだけで、墓地全体を説明するようなものはない。観光地として整備された場所ではないため、訪れる人もほとんどいなかった。

 

 沙羅は母親から聞いた住所とスマートフォンの地図を照らし合わせながら、斜面を上っていく。墓石は古いものと新しいものが混在していた。

 

 その中には、長崎らしく、名前の横に洗礼名らしい文字が刻まれた墓もある。日本の墓地でありながら、どこか異なる文化の痕跡が残っている。孝は、ここにもまた長崎という街の複雑さが表れているように感じた。

 

 キリシタンの信仰が伝わり、それが禁じられ、信仰を隠して生きた人々がいた。やがて外国との交流が再び始まり、異国の文化が街に入り込んだ。さらに近代化と戦争を経て、原爆によって街そのものが大きく破壊された。

 

 何度も断絶がありながら、そのたびに何かが残った。人の記憶も、道も、石も、名前も。

 

 そして今、自分たちはその「残ったもの」を探している。

 

 墓地の奥へ進むにつれて、墓石の数が少なくなった。沙羅が立ち止まった。目の前に、古い墓がある。墓石には、祖母から聞いた名前が刻まれていた。孝の祖父の父親。つまり、孝にとっては曾祖父にあたる人物の墓だった。

 

 京都の家では、名前だけは聞いたことがある。しかし、長崎に墓があることは誰も知らなかった。

 

 孝は墓石の前に立ち、しばらく何も言わずに眺めた。祖父は、この場所を知っていたのだろう。父も知らなかった。自分も知らなかった。

 

 それなのに、祖父は長崎から京都へ戻ったあとも、この場所を守るように何かを残していた。

 

 墓の周囲を調べると、石の裏側に小さな金属板が取り付けられているのが見つかった。文字はほとんど消えている。しかし、数字だけは読めた。

 

17―4―9。

 

 四人は黙ってその数字を見つめた。これまで出てきた数字が、ここでも現れた。けれど、今度はその下に、これまでとは違う文字がある。

 

 孝は墓の正面から離れ、裏側へ回った。墓石の背後には、斜面を支える古い石垣がある。そこだけ、周囲より少し石の色が違っていた。近づいて見ると、石と石の間に細い隙間がある。

 

 涼子が指先で触れると、一つの石がわずかに動いた。その奥には、小さな金属製の箱が埋め込まれていた。鍵はかかっていない。

 

 しかし、箱を取り出す前に、孝は周囲を見回した。墓地には誰もいない。山の下を走る車の音だけが聞こえる。

 

 それでも、ここまで何度も誰かに先回りされてきたことを考えると、簡単には手を伸ばせなかった。箱を取り出す。錆びてはいるが、意外なほど軽い。蓋を開けると、中には紙に包まれた小さな木片が入っていた。

 

 木片には、何かの印が刻まれている。十字。

 

 その下に「L」。

 

 そして裏側には、「17」と「9」。

 

 手掛かりとしては、あまりにも少ない。しかし、木片を見た沙羅の顔が変わった。祖母の家にあった古い木箱の側面に、同じ印が刻まれていたという。つまり、この木片は木箱の一部だった可能性がある。木箱は一つではなかった。

 

 何かを運ぶために、同じ印をつけた箱が複数使われていたのかもしれない。孝は、そこで昨夜の四番を思い出した。木箱を持っていた男。箱の中にあった黒い手帳。そして、京都にあるはずだった祖父の箱。

 

 すべてが一つの系統につながっている。問題は、その箱が何を運んでいたのかだった。木片の裏側に小さな溝がある。

 

 それをよく見ると、文字ではなく、何かの記号のようだった。浩一は、古い地図を取り出して照合した。記号は、長崎港の古い荷揚げ場を示すものに似ている。つまり、この木箱は港を経由していた可能性がある。

 

 そこで涼子が、昨日の倉庫を思い出した。十七の印があった倉庫。あそこが箱の中継地点だったのではないか。

 

 九番、十二番、四番は保管場所。十七は港。では、四人がまだ見つけていない数字があるのではないか。その数字を探すため、孝は墓の周囲をもう一度調べた。墓石の脇に、小さな石碑がある。

 

 表面には名前が刻まれているが、風化してほとんど読めない。裏側へ回ると、一行だけ比較的新しい文字が残っていた。

 

「記録は、燃やしてはならない。」

 

 その言葉を見た瞬間、孝は昨夜の四番を思い出した。地下室から上がっていた煙。誰かが古い記録を燃やしていた。つまり、その人物は記録を守る側ではなく、消す側だった。そして、祖父が残した言葉と正反対の行動をしている。

 

 では、なぜ記録を消そうとしているのか。

 

 記録の中に、現在でも知られてはいけない名前があるのか。それとも、記録そのものが、誰かにとって都合の悪い証拠なのか。その答えは、まだ見えない。

 

 ただ、四番の地下で撮られた写真には、黒い手帳だけでなく、もう一冊の薄い冊子が写っていた。昨夜は誰もそこまで確認していなかった。孝は写真を拡大した。冊子の表紙には、数字がある。

 

17。

 

 そして、その下に小さく「B」と書かれている。

 

 B。港の倉庫。その場所と関係があるのかもしれない。四人は墓地を出る前に、もう一度だけ墓を振り返った。そこには、何十年も誰にも知られなかった祖先の墓がある。

 

 その墓を見ていると、孝は自分の家族が長崎との関係を隠していた理由が少しずつわかってきたような気がした。秘密を守るためだったのだ。けれど、それだけではない。

 

 何かを守るためには、同時に何かを失わなければならないことがある。名前を捨てる。住所を変える。過去を語らない。

 

 そうしてまで守らなければならなかったものが、ここにはある。

 

 四人が墓地を出ようとしたとき、坂の下に一台の車が停まっているのが見えた。昨夜の車とは違う。しかし、運転席にいる人物は、こちらを見ていた。孝は足を止めた。車は動かない。ただ、数分ほどそのまま停まっていた。

 

 やがて、運転席の窓が下がった。

 

 男が顔を出した。昨夜、四番で会った男だった。男は車から降りると、四人を見上げた。その表情には、昨日までとは違う疲れが見えた。長いあいだ何かを追い続けてきた人間の顔だった。

 

 そして、男は孝の手にある木片を見ると、初めて驚いた表情を見せた。

 

 その木片をどこで見つけたのか、と尋ねる代わりに、男はゆっくり墓地の奥を見た。

 

 やがて、祖先の墓を確認すると、ようやく自分が何を探しているのかを明かした。彼は、孝の祖父と一度だけ会ったことがあるという。もちろん、孝の祖父はすでに亡くなっている。

 

 それでも、その人物は祖父から最後に預かったものを、今まで返せずにいた。それが黒い手帳だった。四番で見つかったものとは別の手帳。もう一冊ある。しかも、それは長崎にはない。男が長年探しているものでもあった。

 

 京都にある。孝の家のどこかに。その話を聞いたとき、孝は父から届いたメールを思い出した。

 

 祖父の箱が見つかった。中には孝の名前が書かれた写真があった。けれど、父はまだ箱の中身をすべて確認していない。つまり、もう一冊の手帳が箱の中に残っている可能性がある。

 

 男は、京都へ戻る前に一つだけ伝えておきたいことがあると言った。

 

 四番で記録を燃やそうとしていた人物は、記録そのものを消したいのではない。もっと恐ろしいことをしようとしている。記録を書き換えようとしているのだという。歴史から名前を消すだけなら、古い記録を燃やせばいい。

 

 しかし、別の名前に置き換えてしまえば、後世の人間はそれを本当の歴史だと思う。長崎の歴史の中で、誰がどこへ行き、何をしたのか。

 

 その記録を書き換えられることは、過去を隠すだけではなく、現在にまで影響する。だからこそ、四番に残されている名前を守らなければならない。男はそこまで話すと、孝の手にある木片を見つめた。その印を知っているという。

 

 それは、記録を運ぶ者につけられた印だった。

 

 そして、最後の記録を運んだ人物の名前が、高瀬宗一郎だった。孝は、そこで一つの疑問を口にした。では、なぜ祖父がその記録を持っていたのか。男はすぐには答えなかった。

 

 長崎から京都へ記録を運んだのは、高瀬宗一郎ではない。その人物は、別にいる。

 

 そして、その人物が持っていたものを、戦後になって孝の祖父が引き継いだ。その理由は、記録を守る人間が次々に亡くなったからだった。原爆によって失われた命。戦争によって離散した家族。海外へ渡った人々。

 

 それらの間を縫うようにして、記録だけが残った。最後に残った一人が、孝の祖父だった。

 

 だから祖父は、何も語らなかった。語れば、その記録を探す者が現れる。しかし、祖父が亡くなったことで、守る人間がいなくなった。そして今、孝がその記録を受け取る時期が来た。男はそう言った。

 

 孝には、それが運命のような言葉に聞こえた。けれど、すぐに違うと思い直した。祖父が守っていたのは、運命などではない。

 

 誰かが生きていたという事実だった。名前を残すこと。それだけのために、多くの人間が人生を使ってきた。

 

 それを知ったとき、孝は初めて、自分の名前が古い手帳に書かれていた意味を理解した。自分が特別な人間だからではない。

 

 「次に記録を渡す人間」として、自分の名前が書かれたのだ。

 

 そして、その役割を引き受けるかどうかは、自分で決めなければならない。

 

*

 

 その日の夕方、四人はようやくホテルへ戻った。京都へ帰る列車は翌日に変更した。父から送られてきた写真をもう一度確認する。祖父。外国人の男。そして、その背後にある京都の家。写真の端には、小さな箱が写っている。

 

 孝は、その箱に刻まれた印を拡大した。九番でも、十二番でも、四番でも、十七でもない。

 

 今まで一度も見たことのない数字だった。

 

「一番」

 

 その瞬間、四人の間に新しい緊張が走った。九番から始まったと思っていた。十二番へ進み、四番へたどり着いた。十七番は港にある。それなら、一番はどこなのか。そして、なぜ一番だけがこれまで記録に出てこなかったのか。

 

 孝は写真をさらに拡大した。箱の横に、祖父の手が写っている。その指先に、紙が挟まっている。

 

 そこには住所が書かれていた。京都。孝が生まれた家。現在、父が暮らしている家だった。しかし、その住所の下には、見慣れない一行がある。

 

「地下に入口あり」

 

 孝は画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。自分の家には地下室などない。少なくとも、家族はそんなものがあるとは一度も言っていない。

 

 けれど、祖父が残した古い家の図面を調べれば、確認できるかもしれない。

 

 長崎で始まったと思っていた謎は、京都へ戻ることで終わるのではなかった。むしろ、ここからが本当の始まりだった。そして四人はまだ知らない。

 

 京都の家の地下にある「一番」が、長崎で守られてきた記録の最初の頁ではなく、**最後に書き加えられた頁**とつながっていることを。