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『 あの人は、今 』

 

第六章 仕事になっていく

 

最初の依頼から三か月。

 

問い合わせは少しずつ増えた。

 

テレビに出たわけでもない。

 

大きな広告を打ったわけでもない。

 

最初の依頼者が知人に話し、その知人がまた別の人に話した。

 

口コミだった。

 

依頼内容は様々だった。

 

高校時代の親友。

 

昔の職場の同僚。

 

若い頃に一度だけ会った人。

 

転勤で離れた元上司。

 

そして、かつて好きだった人。

 

恋愛感情が絡む依頼は慎重にした。

 

相手の生活を乱す可能性がある。

 

何のために探すのか。

 

会えなかった場合、どうするのか。

 

相手が連絡を拒否した場合、受け入れられるのか。

 

答えが曖昧なら、仕事を受けなかった。

 

売上だけを考えれば、受けたほうがいい。

 

しかし、二人は最初のルールを崩さなかった。

 

その代わり、調査そのものの質を上げた。

 

古い新聞。

 

図書館。

 

学校の同窓会資料。

 

自治体の公開情報。

 

企業の沿革。

 

地域の記録。

 

本人が公開している情報。

 

必要に応じて、弁護士や行政書士にも相談した。

 

調査員を名乗って街を歩き回るような仕事にはしなかった。

 

机の前で資料を眺める時間のほうが長い。

 

資料の中に残っているのは、住所だけではない。転勤、退職、引っ越し、誰かの記憶。そういう小さな跡を追っていくと、人の時間が見えてくる。

 

その感覚が、二人の会社を少しずつ形にしていった。

 

第七章 母の京都

 

会社が半年を迎えた頃、尾道の父から電話があった。

 

母の写真を整理していたら、古い手紙が出てきたという。

 

京都からの手紙だった。

 

父から送られてきた写真を見る。

 

古い便箋。

 

差出人の名前は消えていた。

 

最後の一行だけが読めた。

 

――もし、いつかまた会える日が来たら、あの頃の続きを話しましょう。

 

恭一は画面を見つめた。

 

母が最後に思い出していた京都の友人。

 

その人から届いた手紙。

 

父が言っていた、思い出す人。

 

別々だったものが、一つにつながり始めた。

 

その夜、岩城に話した。

 

会社として受けた依頼ではない。

 

母のことだ。

 

仕事と私生活の境目が初めて曖昧になった。

 

恭一は決めた。

 

母のことは、会社の仕事にはしない。

 

自分が息子として調べる。

 

第八章 京都の四月

 

京都へ着いたとき、桜はほとんど散っていた。

 

川沿いには薄い花びらが残っている。

 

地面の隅に寄り集まり、風が吹くと少しだけ動いた。

 

母の写真に写っていた喫茶店を探した。

 

店はもうなかった。

 

建物も建て替えられている。

 

近所の古い店で話を聞くと、昔そこに喫茶店があったことは分かった。

 

当時の店主は亡くなっていた。

 

家族が覚えていたのは、よく写真を撮る若い男だった。

 

店の手伝いをしていたらしい。

 

客を勝手に撮るような男だったという。

 

恭一は名前を聞いた。

 

知らない名前だった。

 

だが、その瞬間、母のアルバムにあった「京都 四月」が、ただの文字ではなくなった。

 

母は尾道から京都へ来ていた。

 

誰かに会うために。

 

その可能性が高くなった。

 

写真の中の母は、誰かに見られている顔ではなく、誰かを見ている顔をしていた。

 

恭一は、写真の中の母をしばらく見ていた。

 

自分が子供の頃、母は朝になると必ずカーテンを開けた。雨の日でも同じだった。暗い部屋が嫌いだったのだと思う。機嫌の悪い朝には、新聞を畳む音が妙に大きかった。

 

そんな母にも、自分の知らない時間があった。

 

そのことが、恭一には少し悔しかった。母のことなら何でも知っているつもりでいたわけではない。それでも、母が自分の知らない顔を持っていたことを、息子として素直には受け入れられなかった。

 

第九章 写真の男

 

写真に写っていた男の名前を手掛かりに調べる。

 

過去の住所。

 

会社。

 

古い写真館。

 

地域の記録。

 

いくつかの線が見えた。

 

だが、決め手がない。

 

そんな中、母の友人から手紙が届いた。

 

そこには、写真の男について書かれていた。

 

男は、母が若い頃に好きだった人だった。

 

二人は京都へ行こうとしていた。

 

男は先に京都へ行った。

 

母も京都へ行った。

 

ところが、母は戻ることを選んだ。

 

父のところへ。

 

その女性は、二人が喧嘩した理由も話した。

 

どちらが正しかったのかではない。

 

二人とも、自分だけが傷ついたと思っていた。

 

だから謝れなかった。

 

その小さな行き違いが、四十年を越えて残った。恭一は、母にも自分の知らない時間があったのだと思った。