この作品は盗用禁止です。

AIに登録してネット監視していますので、ご注意ください。

 

 

『 長崎 名前のない写真 』

 

第十一章 四番の向こう側

 

 ホテルを出た四人は、すぐに四番へ向かうことをやめた。

 

 急いで現場へ行けば、そこで何が起きているのかを確かめられるかもしれない。しかし、それは同時に、写真を送ってきた人物の思惑どおりに動くことでもある。ここ数日、自分たちは何度も誰かに先回りされている。

 

 写真を見つければ、その直後に別の写真が届き、場所を調べれば、その場所へ誘導するような手掛かりが現れる。祖母の家に行けば木箱が消え、十二番へ行けば「開けるのは、四人ではない」という紙が残されていた。

 

 偶然にしては出来すぎている。

 

 それなら、今夜四番へ向かうことも、誰かにとっては予定の中に入っているのではないか。孝は、そう考えた。

 

 四人はホテルの近くにある遅い時間まで営業している店に入り、奥の席を借りた。窓から見える道路には、まだ観光客の姿がある。誰かが写真を撮り、誰かが笑いながら坂道を歩いている。

 

 その普通の光景を眺めていると、自分たちだけが別の時間の中に入り込んでしまったような気がした。

 

 沙羅は、病院から聞いた祖母の言葉を何度も思い返していた。ユウスケは死んでいない。八月九日の朝、誰かが連れて行った。

 

 それが祖母の記憶違いではないとすれば、ユウスケには原爆投下後の消息があることになる。しかし、そこから先の記録は見つかっていない。戦争直後の長崎では、多くの人が行方を失い、家族の記憶だけが残った。

 

 名前すら確認できない人も少なくなかった。それでも祖母は、弟が生きていると信じ続けた。

 

 その執念が、単なる家族への思いだけだったのか、それとも本当に生存を示す何かを知っていたのかは、まだわからない。沙羅が持っている祖母の写真をテーブルの上に置いた。若い祖母と少年。

 

 そして、その背後にいる外国人らしい男性。これまで何度も見てきた写真だった。しかし、今は違って見える。

 

 孝は写真を拡大し、少年の足元を確認した。二つの影。それは昨日気づいたものと同じだった。

 

 ただ、もう一度よく見ると、影の一つは少年のものではないようにも見える。光の方向を考えれば、少年の背後にいる人物の影が伸びているだけなのかもしれない。写真の角度が少し歪んでいるため、正確な判断はできない。

 

 それでも、二つの影がこの物語の中で何度も現れることには、何か意味があるように思えた。涼子が、これまで撮った写真を一つずつ並べた。祖母の家。灯籠。石垣。浦上。十二番。そして、昨夜届いた四番の写真。

 

 並べてみると、それぞれの写真に共通するものが見えてくる。建物そのものではない。影の方向だった。

 

 長崎では坂が多く、建物の位置も複雑であるため、同じ時間帯に撮った写真でなければ影の方向から位置関係を判断するのは難しい。それでも、写真の中に残っている影を地図に重ねていくと、一つの方向が浮かんできた。

 

 四番から、さらに西へ向かう線だった。その先には、海ではなく山がある。

 

 そして、その山の向こう側には、現在は使われていない古い道が残っている。浩一が地図を拡大した。その道の近くには、小さな記号がある。教会のようにも見える。しかし、現在の地図には何も記されていない。

 

 古い地図だけに残る場所だった。そのとき孝は、昨日十二番で見つけた紙を思い出した。

 

 「開けるのは、四人ではない」

 

 あの言葉は、四番の地下室を開けるなという意味ではなかったのかもしれない。四人には開けられない。正確には、四人が開けるべきものではない。では、誰が開けるのか。その答えを探すため、四人はホテルへ戻った。

 

 そこで孝は、もう一度母親へ連絡することを提案した。今夜、四番へ向かうことは伝えない。

 

 代わりに、祖母が知っていたエリアス・ローレンスという人物について何か記憶がないか尋ねてもらう。母親はしばらく考えてから、祖母の古い手帳を探してみると言った。それから二十分ほど経った頃、電話がかかってきた。

 

 母親の声は、いつもより緊張していた。手帳が見つかった。

 

 祖母の部屋の奥にある古い箱の中に入っていたという。そこには、日付のほか、いくつかの外国人の名前が書かれていた。その中に、エリアス・ローレンスがある。

 

 しかし、母親が驚いたのは、その名前の横に書かれていた日本語だった。

 

「この人は、ユウスケを連れて行った人ではない」

 

 祖母自身の字だった。つまり、これまで四人が考えていた前提が間違っている可能性がある。エリアス・ローレンスはユウスケを助けた人物ではある。けれど、八月九日の朝、少年を連れて行った人物ではない。

 

 ならば、誰が連れて行ったのか。その人物について、手帳には別の名前が残されていた。

 

高瀬宗一郎。

 

 孝は、その名前を聞いた瞬間、妙な既視感を覚えた。どこかで見た名前だった。しかし、すぐには思い出せない。浩一が検索を始める。戦前の長崎。港湾関係。宗教関係者。

 

 いくつかの条件を組み合わせて調べていくと、やがて一件の古い資料が見つかった。

 

 そこには、高瀬宗一郎という人物が、戦前の長崎で古い建物の保存や修復に関わっていたことが記されていた。専門家というほどではない。

 

 しかし、外国人居留地や寺院、教会など、長崎に残る古い建築物の調査に関わっていた。さらに資料を追うと、戦後間もない時期にも活動していた記録がある。その後、消息は途切れている。

 

 だが、最後に名前が出てくる場所があった。四番。

 

 古い地図の「四番」と、高瀬宗一郎という人物の名前が結びついている。

 

 四人は、ようやく理解し始めた。四番に隠されているのは、単なる古い記録ではない。ユウスケが残した何かを、高瀬宗一郎が受け取った。そして、それを誰かが現在まで守ってきた。祖母は、その流れを知っていた。

 

 だからこそ、長い年月をかけて四番を探していた。しかし、ここで新たな疑問が生まれる。

 

 高瀬宗一郎は、なぜユウスケを連れて行ったのか。少年を救ったのか。それとも、別の目的があったのか。

 

 そして、現在四番を開けようとしている人物は、高瀬宗一郎の後継者なのか。その答えを探すため、孝は最後に一つだけ写真を確認した。祖母の若い頃の写真。少年。外国人男性。そして、写真の端に写っているもう一人の人物。

 

 これまで背景の一部だと思っていた。しかし、拡大すると、その人物の服装がはっきり見えた。

 

 古い作業服。胸元に、小さな金属製の札がついている。

 

 そこには「T」と読める文字が刻まれていた。

 

 高瀬宗一郎の「T」なのかもしれない。

 

 孝はそう思った。ところが、その人物の顔をさらに拡大した瞬間、全員が黙った。顔立ちははっきりしない。それでも、年齢を考えればあり得ないはずのことに気づく。

 

 写真に写っている人物は、現在、四番へ向かっている男とよく似ていた。もちろん、同一人物であるはずがない。写真は八十年以上前のものだからだ。

 

 ならば、似ているのは偶然なのか。それとも、親子なのか。四人の中で、最初にその可能性を口にしたのは涼子だった。高瀬宗一郎には、戦後に家族がいたのではないか。

 

 もし子供がいて、その子供が父親の記録を受け継いでいたなら、現在まで秘密が残っている理由も説明できる。しかし、それを確認するには、四番にいる人物を調べなければならない。四人は、その夜、四番へ向かうことを決めた。

 

 ただし、近づきすぎない。何かが起きていることを確認し、危険なら戻る。その程度にとどめる。

 

 長崎の夜道を歩きながら、孝は何度も周囲を見た。観光客の姿が少なくなるにつれ、街の表情が変わっていく。坂の途中から見える夜景は美しかった。

 

 けれど、その美しさの中に、戦争も、宗教も、外国との交流も、人の死も、すべてが重なっているように感じられた。この街は、何かを忘れたのではない。忘れられないものを抱えたまま、現在まで続いている。

 

 そう思ったとき、前方に古い石垣が見えた。四番だった。

 

 現在は駐車場になっている場所の奥に、古い石積みが残っている。人影はない。しかし、石垣の一部だけが新しくなっていた。誰かが最近、そこを触ったらしい。孝たちは道路の向こう側から様子を見た。

 

 やがて、石垣の前に一人の男が現れた。昨夜の写真に写っていた人物だった。手には、祖母の家から消えた木箱を持っている。

 

 男は周囲を確認すると、石垣の一部に手をかけた。すると、隠されていた扉がゆっくり開いた。その瞬間、四人は思わず息をのんだ。扉の向こうには、地下へ続く階段がある。男は木箱を抱えたまま、階段を下りていく。

 

 ただ、その直後、別の人物が現れた。今度は、反対側からだった。

 

 その人物は、男が地下へ消えるのを確認すると、ゆっくり石垣へ近づいた。そして、四人のいる方向を見た。暗くて顔は見えない。それでも、孝にはその人物がこちらを見ていることだけはわかった。

 

 次の瞬間、その人物が懐中電灯を点けた。光が一度だけ四人を照らした。そして、消えた。逃げるように走るわけでもない。

 

 ただ、地下への入口とは反対の方向へ歩いていく。孝は、その後ろ姿を見ながら、妙な違和感を覚えた。どこかで見たことがある。その歩き方。肩の傾き。そして、右手を少し上げる癖。思い出せない。

 

 しかし、その人物が誰なのかを考えているうちに、沙羅が小さく息をのんだ。彼女は、その人物の姿を見たことがあった。長崎へ来た初日。

 

 駅を出たところで、祖母の家から電話がかかってきたとき、道路の向こうに立っていた人物。あのときは気に留めなかった。観光客の一人だと思っていた。

 

 しかし、今になって考えれば、四人が長崎へ来た最初の日から、すでに誰かが近くにいたことになる。そして、その人物が去ったあと、地下から小さな音が聞こえた。金属が落ちるような音だった。

 

 四人は、道路の向こうにある石垣を見つめた。誰も近づこうとはしなかった。やがて、地下への入口から、細い煙が上がった。

 

 火事ではない。何かを燃やしている。

 

 孝は、その瞬間、四番に隠されているものが「記録」だけではないことを悟った。

 

 誰かが今、古い記録を消そうとしている。しかも、その人物は木箱を持ってきた男とは別だった。つまり、二人いる。記録を探している者と、それを消そうとしている者。そして四人は、その二人の間に入り込んでしまった。

 

 そのとき、孝のスマートフォンが震えた。画面には、知らない番号から新しい写真が届いている。

 

 四番の地下室。木箱が開かれている。その中には、古い紙束と一冊の黒い手帳が入っていた。そして写真の隅に、手書きの文字がある。

 

「これが、長崎で消された名前の始まりだ。」

 

 孝は画面から目を離せなかった。しかし、次に届いた写真を見た瞬間、さらに大きな衝撃を受ける。黒い手帳の最初のページ。そこには、長い年月の間、祖母が守ってきた少年の名前が書かれていた。ユウスケ。

 

 その横に、もう一つの名前が並んでいる。そして、その名前は、現在四人が追っている人物のものではなかった。

 

中谷孝。

 

 自分の名前だった。