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『 長崎 名前のない写真 』

 

第九章 十二番の地下室

 

 翌朝、四人は前日の疲れを残したまま、ホテルのロビーに集まった。誰も朝食を急いで食べようとはしなかった。これまでなら、長崎で過ごせる時間を惜しむように予定を確認し、次にどこへ行くかを決めていただろう。

 

 しかし今は、観光のために作った予定表が、ほとんど意味を失っている。

 

 沙羅の母親から届いた紙には、「十二番」という文字と、その下に一人の人物の名前が書かれていた。

 

エリアス・ローレンス。

 

 外国人の名前だった。

 

 母親にも、その人物が何者なのかはわからない。ただ、祖母がその名前を見せられたとき、はっきりと反応したという。病院のベッドの上で、長いあいだ閉じていた目を開き、紙を握ったまま何かを言おうとした。

 

 しかし、声にはならなかった。その後、祖母は眠ってしまった。

 

 母親は、その紙を写真に撮って沙羅へ送った。

 

 孝は、その名前を見たとき、昨日調べた古い記録を思い出した。長崎港に関係していた外国人の中に、似た名前がある。しかし、記録は断片的で、同一人物なのかはわからない。

 

 浩一が古い資料を検索すると、やがて一つの記録が見つかった。一九三〇年代の長崎港の記録だった。

 

 そこには、エリアス・ローレンスという人物が、海外から入ってきた物資の管理に関係していたことが記されている。商人なのか、通訳なのか、あるいは港湾関係者なのか、その身分ははっきりしない。

 

 しかし、記録の末尾に興味深い一文があった。

 

「浦上方面の宗教関係者と交流あり」

 

 けれど、四人には十分だった。キリシタンの歴史。外国との交流。長崎港。浦上。そして、祖母の弟である少年。

 

 それらを結びつける人物として、エリアス・ローレンスという名前が現れた。問題は、その人物が何を少年に託したのかだった。ホテルを出る前、孝は昨夜の音声をもう一度聞いた。

 

 「九番を見つけたなら、もう戻れない」

 

 声の主は、四人が九番を見つけたことを知っている。

 

 昨夜、四人が十二番について調べ始めたことも、相手は知っている可能性がある。つまり、四人が何をしているのかを見ている人物がいる。

 

 それを考えると、十二番へ向かうことそのものが、相手の思惑に乗ることになる。それでも四人は向かうことにした。理由は、祖母の弟について何かを知るためだけではなかった。

 

 祖母が何十年も守り続けてきたものが何なのかを確かめたかった。

 

 それを知らないまま京都へ戻れば、きっと長崎を離れたあとも、ずっと引っかかる。ただし、昨日までとは違って、四人は一人で動かないことを決めた。常に四人で行動する。人の少ない場所へ行くときは、誰かに行き先を知らせる。

 

 何か異変があれば、その場から離れる。観光に来た大学生としては、ごく当たり前の判断だった。

 

 事件を解決する必要などない。危険な場所へ踏み込む必要もない。ただ、目の前にあるものを確認し、危ないと感じたら引き返す。その線だけは越えない。

 

*

 

 十二番の場所は、山の斜面に近いところにあった。

 

 現在の住所とは一致しないため、古い地図を頼りに歩くしかない。道路は途中から細くなり、住宅の間を縫うように続いている。観光客の姿はほとんどなく、時折、近所の人が通り過ぎる程度だった。

 

 古い地図には、そこに小さな礼拝所があったと記されている。

 

 現在、その建物は残っていない。ただ、斜面の一部だけが不自然に平らになっていた。周囲には雑草が生え、古い石がいくつか残っている。浩一が地図を確認し、現在位置と照らし合わせる。ほぼ一致していた。

 

 ここが十二番だった可能性が高い。孝は周囲を見回した。何か特別なものがあるようには見えない。古い石。

 

 崩れかけた壁。木の根に押し上げられた地面。しかし、涼子が少し離れた場所で立ち止まった。地面から、鉄の輪が出ている。雑草に覆われていて、今まで誰も気づかなかった。

 

 四人で周囲の草を少しだけ払うと、石でできた蓋のようなものが現れた。鉄の輪は、その蓋を持ち上げるためのものらしい。

 

 ただし、四人だけで動かすには重すぎた。しかも、勝手に開けていいものなのかもわからない。孝はスマートフォンで周囲を撮影した。そのとき、画面の端に人影が入った。振り返る。斜面の下に、誰かが立っている。

 

 昨日の老人ではなかった。年齢は四十代くらいに見える。こちらを見ている。

 

 しかし、目が合うと、すぐに背を向けて歩き出した。孝は追わなかった。代わりに、その人物が歩いていく方向だけを確認した。その先には、小さな道路がある。そして、道路の向こうに白い車が停まっていた。昨日見た車とは違う。

 

 人物が乗り込む。車は静かに走り去った。四人は、その場を離れた。

 

 十二番の蓋を開けることはしなかった。

 

 この場所については、まず地元の人間か、管理している人物に確認する必要がある。そう判断したからだ。ところが、斜面を下りている途中、沙羅が何かを見つけた。古い石垣の隙間に、紙が挟まっている。

 

 誰かが意図的に差し込んだようだった。

 

 紙には、鉛筆で一つの文章が書かれている。

 

「開けるのは、四人ではない。」

 

 それを読んだとき、孝は妙な感覚に襲われた。これは脅迫ではない。むしろ、四人に開けさせないための警告に見える。つまり、ここにいる誰かは、四人を危険から遠ざけようとしている。では、誰が。そして、なぜ四人なのか。

 

 その答えは、まだ見えなかった。

 

*

 

 昼過ぎ、四人は長崎市内へ戻った。昼食を取りながら、これからどうするかを考える。昨日までなら、ここで次の観光地を決めていただろう。

 

 しかし、今は観光地の名前よりも、十二番の地下に何があるのかが気になっている。それでも、勝手に開けることはしない。その判断を崩さなかったのは、沙羅だった。祖母のことを思えば、何としてでも確かめたい気持ちはある。

 

 しかし、祖母が長い年月をかけて守ってきたものなら、それを無理に開けることが正しいとは限らない。その考え方は、孝にも納得できた。謎を解くことより、人を巻き込まないことのほうが大切だ。

 

 ところが、その日の夕方、予想していなかった人物から連絡が来た。祖母だった。

 

 病院から、沙羅のスマートフォンへ短い電話が入った。声は弱い。けれど、意識ははっきりしている。祖母は、沙羅が長崎へ来ていることを知っている。そして、四人が何かを調べていることも知っていた。

 

 しばらく黙ったあと、祖母は一つだけ尋ねた。十二番へ行ったか。沙羅が答える。

 

 すると祖母は、少し安心したように息を吐いた。そして、初めて自分から、四人に会いたいと言った。場所は病院。その日のうちに来てほしい。ただし、一人ではなく、四人で来るように。

 

 病院へ向かう途中、孝はその意味を考えていた。祖母は、これまで四人を危険から遠ざけようとしていた。

 

 それなのに、今度は自分から四人を呼んでいる。何か状況が変わったのだろう。病院の病室に入ると、祖母はベッドの上で目を閉じていた。沙羅が近づくと、ゆっくり目を開ける。痩せた顔だった。

 

 けれど、目だけは驚くほどしっかりしていた。祖母は四人を順番に見た。そして、孝の手にあるカメラに視線を止めた。

 

 しばらくして、祖母は沙羅に何かを尋ねた。カメラの写真を見たか。沙羅が頷く。祖母は目を閉じた。それから、長い時間をかけて話し始めた。少年の名前は、**ユウスケ**。それが祖母の弟だった。

 

 ただし、家族が呼んでいた名前は別にあった。戸籍上の名前と、家族が使っていた名前が違っていた。なぜそうなったのか。

 

 祖母は、それを説明する前に、エリアス・ローレンスの名前を口にした。その人物は、少年を助けようとしていた。戦争が終わる前、長崎には外国とのつながりを持つ人々が残っていた。

 

 その中には、信仰や人道的な理由から、迫害されていた人々を密かに助けようとする者もいた。ユウスケは、その人物を通じて、ある記録を預かった。それは宗教の記録だけではなかった。外国との交易に関する記録。人の移動。

 

 名前を変えた人々。戦時中に消された住所。

 

 そして、長崎の地下に残された複数の保管場所についての記録だった。なぜそんなものが必要だったのか。祖母は、そこだけははっきり説明しなかった。ただ、戦争によって記録が失われることを恐れた人々がいた。

 

 何が起きたのかを後世に残すために、いくつかの場所へ分散して保管した。

 

 その一つが「九番」。

 

 そして、最後の保管場所が「十二番」だった。

 

 しかし、八月九日の朝、すべてが変わった。ユウスケは、エリアス・ローレンスの助けを受けながら十二番へ向かった。その後、原爆が投下され、二人は離れた。祖母は、自分だけが生き残ったことを長いあいだ悔やんでいた。

 

 けれど、数年後、家の中に一枚の紙が残されていることに気づいた。そこには、ユウスケの筆跡でこう書かれていた。

 

「四番に移す。」

 

 祖母は、それがユウスケの最後の記録だと思っていた。

 

 ところが、その後、誰かが「四番」を探し始めた。

 

 祖母は何十年も、その人物から記録を守ってきた。そして今、その秘密が再び動き始めた。祖母は、孝たちを見つめた。その目には、これまでになかった強い光があった。

 

 「あなたたちが来たから、もう隠しておけないと思ったの」

 

 その一言を最後に、祖母は目を閉じた。病室には、機械の小さな音だけが残った。四人はしばらく動かなかった。

 

 これまで追っていた「九番」は、終点ではなかった。

 

 九番は、何かを守るための場所。十二番は、それを保管するための場所。

 

 そして「四番」は、その先にある。

 

 しかも、ユウスケ自身がそこへ移したと記録している。問題は、何を移したのかだった。

 

 病院を出たあと、孝はカメラの中に残っている地下室の写真をもう一度見た。黒く塗りつぶされた少年。

 

 その下に刻まれた「12」。

 

 そして、そのさらに下に、今まで見落としていた小さな文字がある。拡大すると、ようやく読めた。それは数字ではなかった。

 

「8・9」

 

 孝は、その二つの日付を見て、息を止めた。八月九日。原爆が投下された日。しかし、その写真が撮影された時刻は、午後三時十七分だった。

 

 そして、その時刻は、これまで何度も現れている「17」と一致する。

 

 九番。十二番。四番。17。8・9。それぞれが別々の意味を持っているのではない。一本の記録を、誰かが分割して残しているのかもしれない。そして、その記録を最後に完成させられるのは、四人ではない。

 

 孝は、その可能性に気づいた瞬間、昨夜の警告を思い出した。

 

「開けるのは、四人ではない。」

 

 では、誰が開けるのか。その答えを考えるより先に、孝のスマートフォンが震えた。知らない番号から、今度は写真が一枚だけ届いている。そこには、十二番の地下室へ続く階段が写っていた。階段の途中に、一人の男が立っている。

 

 その男はカメラに背を向けている。そして、その手には古い木箱がある。

 

 祖母の家から消えた木箱だった。写真の下には、短い文章が添えられていた。

 

「今夜、四番を開ける。」

 

 その瞬間、孝は初めて理解した。自分たちは謎を追っていたのではない。誰かが、四人の前で謎を動かしていたのだ。