この作品は盗用禁止です。

AIに登録してネット監視していますので、ご注意ください。

 

 

 

『 長崎 名前のない写真 』

 

 

第六章 四番の場所

 

 翌朝、孝は目を覚ますと、枕元に置いたカメラを確かめた。

 

 昨夜見つけた写真が、夢ではなく現実に残っていることを確認したかったのだと思う。液晶画面には、午後三時十七分に撮影された一枚が表示されている。出島近くの道路。その向こうに立つ老人。手にした古い鍵。

 

 そして、写真の隅に残された「4―9―17」。

 

 何度見ても、撮った記憶はない。

 

 カメラを使ったのは確かに自分だったが、昨日の午後三時十七分、孝は出島の建物の中にいた。浩一や涼子と一緒に展示を見ていた時間であり、カメラを手にして外へ出た覚えもない。

 

 撮影時刻だけを考えれば、ホテルの部屋に置かれていたカメラを誰かが操作したことになる。それが一番単純な答えだった。

 

 けれど、ホテルの部屋に置いていたカメラに、誰かが触れたのだとすれば、それはそれで別の問題になる。孝はカメラをバッグへ入れた。フロントへ相談することも考えたが、まず三人に見せるべきだと思った。

 

 朝食会場に行くと、すでに浩一と涼子が来ていた。沙羅は少し遅れて現れたが、昨夜よりも落ち着いた表情をしている。祖母について、母親から新しい連絡はなかった。警察が引き続き捜している。

 

 それ以上のことは、まだわからない。孝は朝食を終えるまで写真の話をしなかった。

 

 人の多い場所で、不安を煽るような話をする気にはなれなかったからである。食事を終え、四人でホテルを出てから、昨夜の写真を見せた。浩一は画像を拡大し、撮影情報を確認した。時刻も日付も間違っていない。

 

 写真は確かに、昨日撮影されたものだった。しかも、カメラ本体には撮影時刻を変更した形跡がない。

 

 つまり、昨日の午後三時十七分に、このカメラで撮影された可能性が高い。涼子が老人の姿を拡大した。顔はやはり判別できない。だが、服装には特徴があった。濃い色の上着。古い形の帽子。そして、右手に持った鍵。鍵は大きい。

 

 現在の住宅などで使われるものとは明らかに違う。

 

 古い建物の扉や倉庫などに使われていたものに見える。沙羅は、写真を見たまま黙っていた。しばらくして、祖母の家にあったものを思い出したという。古い鍵が一つあった。

 

 祖母はそれを普段から小さな布袋に入れて、仏壇の脇に置いていた。何の鍵なのかは知らない。

 

 幼い頃に聞いたことがあるが、祖母は「もう使わない鍵だから」としか答えなかった。

 

 それが、写真の老人が持っている鍵と似ている。もちろん、同じものだとは断定できない。古い鍵など似た形のものはいくらでもある。それでも、また一つ、祖母の家と写真の人物がつながった。孝は、昨夜の地図を開いた。

 

 「4」の場所を現在の地図に重ねてみる。

 

 四人はしばらく画面を眺めていた。そこは、観光地として知られている場所ではなかった。現在は道路になっている。

 

 近くには小さな商店や住宅があるが、観光案内に載っているような施設はない。それなのに、古い地図では、そこに一つの建物が描かれている。建物の名前はない。

 

 ただ、四角い枠と、その脇に「四」という文字がある。

 

 そして、そこから地下へ続くような細い線が伸びていた。四人は、その場所へ行くことを決めた。誰かから命じられたからではない。祖母の行方を捜すためでもない。ましてや、事件を解決するためでもない。

 

 昨日から続いていることが何なのか、自分たちが見たものを自分たちの目で確かめたかった。

 

*

 

 目的地へ向かう途中、孝は何度も周囲を見た。尾行されているという確かな証拠はない。

 

 けれど、写真を送ってきた人物がどこかにいるとすれば、四人の行動を知ることは難しくない。観光客は多い。同じ方向へ歩く人もいる。だから、誰か一人を見つけても、それだけでは何の意味もない。

 

 それでも、孝の中には警戒心が残っていた。やがて、古い地図に示された場所へ近づいた。現在の道路は、何の変哲もない。車が走り、歩道を人が通り、古い家と新しい建物が混じっている。

 

 四人は道路の端に立ち、古い地図と現在の風景を見比べた。地図に描かれていた建物は、もう存在しない。

 

 その場所には、三階建ての建物が建っている。一階には空き店舗があり、シャッターが閉まっていた。建物の脇には、細い路地がある。浩一が古い地図を拡大した。地下へ続く線は、現在の建物の裏側へ伸びている。

 

 つまり、入口が残っているとすれば、そのあたりになる。しかし、勝手に建物へ入ることはできない。

 

 四人は路地へ入らず、周辺を歩いてみることにした。少し進んだところで、古い石垣が現れた。その石垣の一部に、鉄製の小さな扉が埋め込まれている。扉は錆びている。使われている様子はない。だが、そこに小さな鍵穴があった。

 

 孝は写真の老人が持っていた鍵を思い出した。鍵穴の形を見る限り、あの鍵が合う可能性はある。

 

 もちろん、実物がない以上、確認はできない。沙羅が扉を見ている。祖母が持っていた鍵のことを思い出しているのだろう。そのとき、扉の脇に刻まれた文字に気づいた。長い年月でほとんど消えている。

 

 それでも、数字だけは読めた。

 

9

 

 四人の間に、静かな緊張が走った。昨日の灯籠。祖母の家。古い地図。そして、この扉。すべてに同じ数字が残っている。浩一が扉を写真に撮ろうとした。孝は、それを止めなかった。もう、隠す意味がないように思えた。

 

 ところが、シャッターを切った瞬間、路地の奥から物音がした。四人が振り返る。誰もいない。

 

 ただ、路地の先にある建物の影から、何か白いものが一瞬だけ動いた。人の服のようにも見えた。涼子が身を乗り出す。しかし、孝は腕を伸ばして止めた。追いかける必要はない。むしろ、追わないほうがいい。

 

 四人はその場を離れた。来た道を戻り、大通りへ出る。そこまで来て、ようやく沙羅が口を開いた。

 

 孝には答えられなかった。待っていたのかもしれない。偶然通りかかっただけかもしれない。

 

 ただ一つわかるのは、昨日から誰かが四人の行動を知っているらしい、ということだった。

 

*

 

 昼過ぎ、四人は浦上方面へ向かった。それは予定にはなかった。

 

 しかし、祖母が最後に向かった場所として、そこを無視することはできなかった。浦上へ近づくにつれて、街の雰囲気が変わっていく。長崎の歴史を知る上で、ここは避けて通れない場所だった。キリシタンの歴史。弾圧と潜伏。

 

 信仰を守り続けた人々。

 

 そして、一九四五年八月九日。

 

 街の上空で起きた出来事によって、それまで積み重ねられてきた生活が一瞬にして失われた。現在の浦上は、普通の街として人々が暮らしている。学校があり、住宅があり、道路を車が走っている。

 

 その当たり前の風景の下に、過去の時間が重なっている。

 

 孝は歩きながら、そのことを強く感じていた。この街では、歴史が過去形にならない。建物がなくなっても、道が変わっても、名前が残る。写真が残る。記憶が残る。そして、誰かがそれを守ろうとする。

 

 だからこそ、「浦上九番」という言葉が何を意味するのか、簡単には判断できなかった。

 

 四人は資料館を訪れ、古い地図や写真を見た。そこには戦前の浦上の街が残されている。現在とは大きく違う。住宅が密集し、細い道が入り組んでいる。その中に、孝は一つの場所を見つけた。

 

 昨日届いた地図に描かれていた「九番」と似た印がある。

 

 それは現在の地図には存在しない。古い住所か、土地の区分だった可能性がある。そして、その近くに小さな建物が描かれている。写真を見た孝は、息を止めた。

 

 そこに写っている建物が、昨日沙羅の母親から送られてきた古い写真の背景とよく似ていた。白い壁。細い窓。建物の前に立つ人々。写真の中では、まだ建物が残っている。

 

 そして、その写真の右端には、顔を隠すように立つ人物がいた。孝は、昨日から何度も見てきたその姿を、もう一度確認した。古い写真の中の人物。

 

 昨夜、カメラに勝手に写り込んでいた老人。服装も姿勢も違う。同一人物だとは考えられない。それでも、右手の位置が同じだった。まるで、何かを握っているように腕を下げている。孝は写真を拡大した。

 

 人物の手元には、わずかに黒い影がある。鍵のようにも見える。ただの影にも見える。

 

 そのとき、沙羅が別の写真を見つけた。同じ場所を、別の角度から撮ったものだった。その写真の隅に、祖母らしき若い女性が写っている。沙羅は、しばらく動かなかった。自分の祖母だと確信できるわけではない。

 

 けれど、母親から聞いていた若い頃の姿とよく似ている。さらに、その女性の隣には、一人の少年が立っている。

 

 写真は古く、顔ははっきりしない。しかし、少年の手には小さな灯籠がある。その灯籠の側面に、数字が刻まれていた。

 

9。

 

 ここで初めて、四人は「9」という数字が、単なる番号ではないのではないかと考え始めた。

 

 それは、人をつなぐ印なのかもしれない。場所を示す番号なのかもしれない。あるいは、何かが起きた日を意味しているのかもしれない。ただ、まだ答えは出ない。資料館を出ると、夕方の空が赤くなり始めていた。

 

 沙羅のスマートフォンが鳴った。母親からだった。祖母が見つかったという。四人は、ようやく安堵した。

 

 ところが、母親の次の言葉を聞いた瞬間、沙羅の表情が変わった。祖母は無事だった。しかし、祖母が見つかった場所は、四人が今日訪れた浦上ではなかった。祖母は、長崎駅の近くにある古い建物の前で発見された。

 

 そして、その建物の壁には、誰かが新しく数字を書いていた。

 

4―9―17。

 

 孝は、そこで昨夜の写真を思い出した。老人。鍵。そして、同じ数字。誰かが四人を誘導している。その可能性が、もう否定できなくなっていた。けれど、もっと気になることが一つあった。

 

 祖母は、発見されたとき、何も持っていなかったという。古い灯籠も。鍵も。そして、祖母が長年大切にしていた一枚の写真も。

 

 すべて消えていた。

 

 その夜、ホテルへ戻った四人は、初めて本気で旅行を中止することを考えた。だが、その判断をする前に、孝のカメラが突然、自動的に電源を入れた。液晶画面に一枚の新しい写真が表示される。

 

 そこに写っていたのは、四人がまだ見たことのない場所だった。古い地下室。壁には無数の数字が刻まれている。

 

 その中央に、一枚の写真が貼られていた。写真に写っているのは、若い頃の沙羅の祖母だった。そして、その隣に立っている少年の顔だけが、黒く塗りつぶされていた。