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『 鴨川の向こう側 ――68歳からの物語 』
三 三千院の写真
数日後、良子から三千院へ行かないかと連絡が来た。
翔子は少し迷った。安土から帰って以来、あの男性のことを考えている自分が嫌だったわけではない。ただ、考え続けることにも疲れていた。
三千院へ行けば、少しは頭から離れるかもしれない。
そう思って、翔子は出かけることにした。
良子と長谷川と三人で歩き、庭を眺め、しばらく休憩した。
長谷川が鞄からプリントされた写真を取り出した。
「安土で撮った写真、整理してたんです」
何枚かの写真を二人に見せる。石段。石垣。木々の間から見える空。三人で歩いている後ろ姿。
翔子は何気なく画面を送った。
その指が止まった。
写真の端に、小さな男性の横顔が写っていた。
安土で、すれ違った男性だった。
翔子の胸が、急に速くなる。
「これ……」
長谷川が画面を覗き込んだ。
「その男性なら、こっちの写真にも写っていますよ」
長谷川が別の写真を出した。
そこには、男性が笑っている姿があった。隣には、三十代くらいの男性が立っている。親子なのか、知人なのかは分からない。ただ、安土で見た男性と同じ人に見えた。
翔子は写真を見つめた。小さく、顔もよく分からない。それでも今度は、記憶ではなく写真の中にその人がいる。
京都へ帰ってからも、翔子は長谷川からもらった二枚の写真をテーブルの上に置いたままにしていた。片づけようと思えば、すぐに片づけられる。けれど、手が伸びなかった。
安土で見たときは、自分の記憶だけだった。今は、写真の中にその人の姿が残っている。
夕方、翔子は写真を裏返した。白い紙面には何も書かれていない。もう一度表に返す。
健二のことを思い出しても、以前ほど胸が痛まなかった。忘れたわけではない。むしろ、忘れていないからこそ、別の記憶が戻ってきてもいいのかもしれない。
そう考えると、写真を隠す理由がなくなった。翔子は二枚を並べ、食卓の端へそっと置いた。
