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『 棚のない商店街 』 ストーリー 8

 

第十六章 商店街の外から来る人

 

 十一月の終わり。

 

 商店街には、少しずつ冬の気配が入り始めていた。

 

 朝の空気が冷たい。

 

 八百屋の店先には大根や白菜が並び、夕方になると買い物袋を提げた人の姿が増える。

 

 半年近く前まで、同じ時間帯の商店街はもっと静かだった。

 

 シャッターの下りた店が目立ち、人が歩いていても、それぞれが目的の店へ向かうだけだった。

 

 今は違う。

 

 立ち止まる人がいる。

 

 案内板を見る人がいる。

 

 店から出て、次の店へ向かう人がいる。

 

 それでも、一五パーセントには届いていない。

 

 数字は、いつもそこにあった。

 

 会議室のスクリーンに映るたび、六人の気持ちを少しずつ重くする。

 

「一三・一パーセント」

 

 井上が言った。

 

「先月より〇・五上がりました」

 

「悪くない」

 

 加藤が答える。

 

「でも、あと一・九」

 

 志保が言う。

 

「残り二か月」

 

 田島が椅子に深く座った。

 

「二か月で一・九か」

 

「簡単ではない」

 

 加藤はそう言った。

 

「だから、今までと同じことをやるのはやめよう」

 

 涼は顔を上げた。

 

「同じことをやめる?」

 

「うん」

 

 加藤は資料を閉じた。

 

「この半年、俺たちは商店街の中を見てきた。次は外を見る」

 

 商店街の外。

 

 その言葉が、涼には少し新鮮だった。

 

 これまでずっと、商店街の中に人をどう歩かせるかを考えてきた。

 

 入口から奥へ。

 

 100円ショップから既存店舗へ。

 

 店から店へ。

 

 しかし、そもそも商店街へ来ていない人をどうするか。

 

 そこまでは、深く考えていなかった。

 

「商店街の外に、何がある?」

 

 冴が聞いた。

 

 井上が地図を表示した。

 

「駅」

 

「それは分かる」

 

 田島が笑う。

 

「その先」

 

 井上が地図を縮小する。

 

「住宅地があります。駅の反対側には大型スーパー。少し離れたところにホームセンター。あと、バス停」

 

「競合だらけだな」

 

 志保が言った。

 

「だから、人がそっちへ流れてる」

 

「だったら、競合と同じことをしない」

 

 冴が言った。

 

「何をする?」

 

 冴は地図を見たまま考えていた。

 

「商店街に来る理由を作る」

 

「また同じじゃない?」

 

 涼が言う。

 

「今までとは少し違う」

 

 冴が顔を上げた。

 

「商品じゃなくて、人を呼ぶ」

 

 その日の午後、六人は駅へ向かった。

 

 商店街の入口から駅までは、歩いて十分ほど。

 

 途中に小さな公園がある。

 

 ベンチが三つ。

 

 滑り台が一つ。

 

 平日の昼間は、ほとんど人がいない。

 

 さらに駅前には、使われていない小さなスペースがあった。

 

 以前は臨時の売店があったらしい。

 

 今は何もない。

 

「ここ、使えないかな」

 

 冴が言った。

 

「駅の敷地だから、許可が必要」

 

 井上が答える。

 

「でも、交渉はできる」

 

 加藤は腕を組んだ。

 

「何をする?」

 

 冴は少し笑った。

 

「商店街の出張所」

 

「出張所?」

 

「一日だけ、商店街を駅前に持ってくる」

 

 田島が笑った。

 

「それ、商店街じゃないだろ」

 

「全部持ってくる必要はない」

 

 冴は続けた。

 

「例えば、八百屋のおすすめ野菜。食堂の惣菜。100円ショップの季節商品。それを駅前で紹介する」

 

「売るの?」

 

「売ってもいい。でも、目的は売上じゃない」

 

 冴は駅の改札を見た。

 

「商店街を知らない人に、存在を知ってもらう」

 

 涼は少し考えた。

 

 これまでの企画は、商店街へ来た人をどう回遊させるかだった。

 

 今度は逆。

 

 商店街のほうから、人のいる場所へ出ていく。

 

「やってみよう」

 

 加藤が言った。

 

 駅前での出張販売が決まったのは、それから二週間後だった。

 

 駅側との調整。

 

 商店街側との調整。

 

 出店する店舗の選定。

 

 100円ショップ各社への説明。

 

 簡単ではなかった。

 

 それでも、これまで半年間積み上げてきた実績があった。

 

 「商店街の実験」という言葉だけでは、誰も動かなかったかもしれない。

 

 しかし今は、数字がある。

 

 来店者が増えた。

 

 売上が増えた。

 

 空き店舗に人が入った。

 

 それを示すことができた。

 

 駅前イベントの前日。

 

 商店街では準備が進んでいた。

 

 八百屋の店主が野菜を箱に詰める。

 

 食堂の主人が惣菜を確認する。

 

 100円ショップでは、冬用品を選ぶ。

 

 手袋。

 

 小さな湯たんぽ。

 

 収納用品。

 

 掃除用品。

 

 季節に合わせた商品が並んだ。

 

「結構本格的になったね」

 

 志保が言った。

 

「最初はもっと小さくやるつもりだった」

 

 田島が箱を運びながら答える。

 

「人間、欲が出るんだよ」

 

「売上?」

 

「それもある」

 

 田島は商店街を見た。

 

「この町が変わっていくのが見えると、もっとやりたくなる」

 

 その言葉に、誰も笑わなかった。

 

 全員が同じ気持ちだった。

 

 翌朝。

 

 駅前に小さなテントが並んだ。

 

 「商店街の出張所」

 

 大きな文字が掲げられている。

 

 通勤客が通り過ぎる。

 

 最初は誰も立ち止まらない。

 

 八時。

 

 九時。

 

 十時。

 

 午前十時半、一人の女性が足を止めた。

 

「商店街?」

 

「はい」

 

 志保が答える。

 

「ここから歩いて行けるところです」

 

「知ってるわ。昔、よく行った」

 

「今もやっています」

 

「そうなの?」

 

 女性は驚いた。

 

「最近、あまり行ってなかったから」

 

「よかったら、地図だけでも」

 

 志保が紙を渡す。

 

 女性は地図を見た。

 

「こんなに店が増えたの?」

 

「空いていた店舗を使って、100円ショップの商品をジャンルごとに販売しています」

 

「へえ」

 

 女性の目が少し変わった。

 

「ちょっと見てみようかしら」

 

「ぜひ」

 

 女性は地図をバッグに入れた。

 

 それから、一人、また一人と立ち止まる人が増えた。

 

 駅前で売れた商品は多くない。

 

 それでも、地図を持って帰る人が増えた。

 

 昼過ぎには、百枚用意した地図がなくなった。

 

「追加、持ってきます!」

 

 志保が走った。

 

 涼はその様子を見ていた。

 

 商品が売れる以上に、地図がなくなったことが嬉しかった。

 

 人が商店街を知る。

 

 それだけでも意味がある。

 

 夕方、駅前の出張所を片付けていると、見覚えのある女性が近づいてきた。

 

 先月、商店街に店を出したいと言っていた女性だった。

 

「今日、見に来たんです」

 

「どうでした?」

 

 冴が聞く。

 

「面白いですね」

 

「何か決まりました?」

 

 女性は首を横に振った。

 

「まだ」

 

 そして、商店街の地図を指でなぞった。

 

「でも、だんだん分かってきました」

 

「何がですか?」

 

「私が何をしたいのか」

 

 冴は黙って聞いた。

 

「昔、私はこの商店街で買い物をしていました」

 

 女性は言った。

 

「でも、結婚して外へ出て、戻ってきたら店が減っていた」

 

「はい」

 

「だから、昔の商店街を取り戻したいと思っていたんです」

 

 女性は少し笑った。

 

「でも、今日ここに来て、違うなと思いました」

 

「違う?」

 

「昔に戻すんじゃなくて、新しい商店街にすればいいんですよね」

 

 冴はその言葉を聞いて、涼を見る。

 

 涼も同じことを考えていた。

 

 元に戻す必要はない。

 

 この町に今必要な形を作る。

 

 それは、プロジェクトの最初には誰も言葉にできなかった考えだった。

 

「どんな店をやりたいんですか?」

 

 涼が聞いた。

 

 女性は少し迷ってから答えた。

 

「まだ秘密です」

 

「秘密?」

 

「決まったら、一番に皆さんに言います」

 

 そう言って笑った。

 

 女性が帰ったあと、田島が言った。

 

「気になるな」

 

「俺も」

 

「もしかして、競合する店だったりして」

 

 冗談だった。

 

 しかし、その言葉を聞いた瞬間、涼は何かが引っかかった。

 

 競合。

 

 商店街に新しい店が入る。

 

 それは、既存の店にとって必ずしも歓迎できることではない。

 

 再生と競争は、同じ場所で起こる。

 

 人が増えれば、店も増える。

 

 店が増えれば、競争も増える。

 

 これまで六人が考えていた「再生」は、少し単純すぎたのかもしれない。

 

 十二月に入った。

 

 前年同月比一四・二パーセント。

 

 目標まで、あと〇・八。

 

 残り一か月。

 

 会議室で数字を見た田島が立ち上がった。

 

「いける」

 

 井上は頷いた。

 

「数字だけなら」

 

「何か問題がある?」

 

 加藤が聞く。

 

 井上は次のページを開いた。

 

「既存店舗の中に、売上が落ちているところがあります」

 

「どこ?」

 

「洋品店」

 

 全員が黙った。

 

 商店街の古くからある洋品店。

 

 駅前の出張販売を始めてから、むしろ客が減っていた。

 

「理由は?」

 

「まだ分かりません」

 

 涼は椅子から立った。

 

「見に行こう」

 

 洋品店へ向かう。

 

 店主は、いつもと変わらない顔で店に立っていた。

 

「最近、売上が落ちてるって聞きました」

 

 涼が言う。

 

「そうだね」

 

 店主は笑った。

 

「でも、あんたたちのせいじゃないよ」

 

「何かありましたか?」

 

「駅前でいろいろやってるでしょう」

 

「はい」

 

「人は増えた」

 

 店主は店の外を見た。

 

「でも、みんな若いんだよ」

 

 涼は黙った。

 

「うちが扱ってるのは、昔からの服が多い。今の人には合わないんだろうね」

 

「だったら、変えますか?」

 

 冴が聞いた。

 

「何を?」

 

「売るもの」

 

 店主は笑った。

 

「簡単に言うけどね」

 

「分かっています」

 

 冴は店内を見た。

 

「でも、この店をなくしたくないなら、変えるしかない」

 

 店主はしばらく黙っていた。

 

「この歳で、新しいことをやれって?」

 

「そうじゃありません」

 

 冴は首を振った。

 

「今までのものを捨てる必要はないです」

 

「じゃあ?」

 

「今のお客さんに合わせて、少しだけ増やす」

 

 涼が言った。

 

「例えば、靴下。手袋。雨の日の商品。100円ショップでは扱えないもの」

 

 店主は考えた。

 

「それなら、できるかもしれない」

 

「価格帯も変える」

 

「全部高くするのか?」

 

「逆です」

 

 涼は笑った。

 

「入口に、手頃な商品を置く」

 

 店主が少し笑った。

 

「なるほどね」

 

 その日の帰り、冴と涼は二人で商店街を歩いた。

 

「少しずつ変わってきたね」

 

 冴が言った。

 

「何が?」

 

「商店街の人たち」

 

 涼は頷いた。

 

「最初は、俺たちが何かを持ってくると思ってた」

 

「今は?」

 

「自分たちで考えるようになってる」

 

 冴は歩きながら、少し笑った。

 

「それが一番大事なんじゃない?」

 

「そうかもしれない」

 

 二人の間に、しばらく沈黙が続いた。

 

 以前なら気まずかった沈黙が、今はそうでもない。

 

 仕事の話をしているうちに、昔のような距離感が少しだけ戻っている。

 

 けれど、そのことを二人とも口にはしなかった。

 

 商店街の入口に近づいたところで、冴が突然立ち止まった。

 

「涼」

 

「ん?」

 

「大学の頃のこと、覚えてる?」

 

 涼は答えなかった。

 

 冴は商店街の明かりを見たまま続けた。

 

「私たち、あの頃は何でも話してたよね」

 

「そうだった」

 

「別れてから、ほとんど話さなくなった」

 

「うん」

 

「どうしてだったんだろう」

 

 涼は少し考えた。

 

 答えは、ずっと胸の奥に残っていた。

 

 けれど、今まで言葉にしたことはない。

 

「俺が逃げたから」

 

 冴が振り返った。

 

「何から?」

 

「卒業して、仕事が決まって、環境が変わって……」

 

 涼は言葉を探した。

 

「冴は先に東京へ行くことが決まってた。俺は地元に残ることになった」

 

「うん」

 

「そのとき、俺は勝手に思ったんだ」

 

「何を?」

 

「このまま続けても、どこかで終わるって」

 

 冴は黙っていた。

 

「だから、終わる前に終わらせた」

 

 冬の風が二人の間を抜けた。

 

 冴はしばらく何も言わなかった。

 

 やがて、

 

「私も、そう思ってた」

 

 と言った。

 

 涼が顔を上げる。

 

「だから別れたの?」

 

「うん」

 

「俺だけじゃなかったんだ」

 

「そう」

 

 冴は少し笑った。

 

「二人とも怖かったんだと思う」

 

 涼も笑った。

 

 それ以上、何も言わなかった。

 

 けれど、長い間胸の中にあったものが、ほんの少しだけ動いた気がした。

 

 そのとき、商店街の奥から田島が走ってきた。

 

「二人とも、ここにいたのか!」

 

「どうした?」

 

「加藤さんから連絡!」

 

 田島は息を切らしていた。

 

「例の新規出店の女性、店が決まった」

 

「どこ?」

 

「奥の空き店舗」

 

 二人は顔を見合わせた。

 

 そこは、半年間ほとんど誰も使おうとしなかった店舗だった。

 

「何の店?」

 

 冴が聞く。

 

 田島は少し笑った。

 

「それが……」

 

 そこで言葉を切った。

 

「100円ショップと競合する店じゃない」

 

「じゃあ?」

 

「逆だよ」

 

 田島が答えた。

 

「この商店街に今までなかった店らしい」

 

 涼は商店街の奥を見た。

 

 冬の夕暮れの中で、空き店舗のシャッターが一枚だけ残っている。

 

 その向こうに、半年後の商店街を変えることになる新しい店が入ろうとしていた。