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『 棚のない商店街 』 ストーリー 6
第十三章 三か月目
三か月目の最終日。
プロジェクトチームは、最初の中間報告をまとめていた。
売上は目標を上回った。
来店者数も増えた。
店舗間の回遊率も上がっている。
さらに、既存店舗の一部で売上増加が確認された。
数字だけを見れば、順調だった。
しかし、井上は一つの数字を見つめていた。
「これ、おかしくないですか?」
「何が?」
涼が聞く。
「高齢者の再来店率です」
「高い?」
「逆です」
井上は画面を回した。
「一回目は来る。でも、二回目が少ない」
冴が画面を見る。
「どうして?」
「分かりません」
データだけでは分からない。
そこで、六人は実際に聞いて回ることにした。
商店街で買い物をしている高齢者に、簡単なアンケートを取る。
なぜ来たのか。
何を買ったのか。
また来たいと思うか。
その中に、一人の女性がいた。
七十代くらい。
「一回は来ました」
「ありがとうございます」
志保が聞く。
「また来たいですか?」
「うん」
「じゃあ、なぜ今まで来なかったんですか?」
女性は少し困った顔をした。
「どこに何があるか分からないから」
「案内板がありますけど」
「見えるよ」
「では……」
「でもね」
女性は笑った。
「歩くのが大変なの」
六人は黙った。
商店街を歩いてもらう。
それが企画の前提だった。
けれど、高齢者にとっては、歩くことそのものが負担になる場合がある。
目的の商品を探すために、商店街を五百メートル歩く。
それは楽しい人もいる。
しかし、すべての人にとって楽しいわけではない。
「だから、買いたいものをまとめて教えてくれたらいいんだけどね」
女性が言った。
「そうすれば、一番近い店から順番に回れるでしょう?」
冴が顔を上げた。
「それです」
女性は驚いた。
「え?」
「ありがとうございます」
冴は頭を下げた。
その日の午後、六人は案内システムを作り始めた。
欲しい商品を選ぶ。
現在地を入力する。
最短の順番を表示する。
スマートフォンだけではなく、入口の案内所でも紙にして渡す。
「商店街を歩かせるんじゃない」
涼が言った。
「歩きたい人には歩いてもらう。でも、歩くのが大変な人には、楽に買える方法を作る」
加藤が頷いた。
「それなら、この企画の意味も変わってくるな」
涼は商店街を見た。
再生という言葉を使うと、何かを元に戻すように聞こえる。
しかし、元に戻す必要はない。
今ここにいる人たちに合わせて、商店街の形を変えていけばいい。
その夜、三か月目の中間報告書が完成した。
売上目標達成。
来店者数増加。
回遊率増加。
既存店舗への波及効果あり。
そして、新たな改善策。
翌朝、加藤が黒田へ報告書を送った。
しばらくして返信が届いた。
黒田からだった。
「社内で前向きに評価しています」
そこまでは、良かった。
しかし、続きがあった。
「ただし、経営会議から追加条件が出ました」
涼は画面を見つめた。
「中間報告から三か月後までに、商店街全体の売上を前年比一五パーセント以上増加させること」
誰も声を出さなかった。
三か月で、ようやく形が見えてきた。
それなのに、次の目標はさらに高い。
しかも、100円ショップの売上だけではない。
商店街全体。
昔からある店も含めて。
空き店舗を利用した実験だけでは、届かない数字だった。
加藤がゆっくり立ち上がった。
「次は、商店街そのものを動かさないといけない」
涼は窓の外を見た。
夕方の商店街を、人が歩いている。
以前より確かに増えている。
けれど、まだ足りない。
一五パーセント。
その数字の向こうには、六人がまだ見つけていない何かがある。
そしてその頃、藤村冴のもとに一本の電話が入っていた。
大学時代の友人からだった。
「冴、今度こっちに戻ってくるんだって?」
「うん。仕事でね」
「そういえば、永島君も一緒?」
冴は答えなかった。
「まだ付き合ってるの?」
その一言に、冴の手が止まった。
「……もう、ずっと前に別れてる」
「そうだったね」
電話の向こうの友人は、何気なく言った。
「でも、また一緒に仕事してるんでしょう?」
冴は窓の外を見た。
商店街の明かりが一つずつ点いていく。
「うん」
「じゃあ、ちょうどいいじゃん」
「何が?」
「今度は、ちゃんと話せるんじゃない?」
冴は返事をしなかった。
電話を切ったあとも、その言葉が残った。
ちゃんと話せる。
冴自身、何を話したいのか分からなかった。
別れた理由なのか。
あの頃のことなのか。
それとも、今のことなのか。
ただ一つだけ確かなのは、このプロジェクトが終わるまで、涼と一緒にいる時間はまだ続くということだった。
第十四章 十五パーセント
プロジェクト開始から半年後までに、商店街全体の売上を前年比一五パーセント以上にする。
その数字が決まってから、六人の動きは変わった。
それまでは、100円ショップの売上を伸ばすことが中心だった。
しかし、これからは違う。
商店街に昔からある店も含めて、全体の数字を上げなければならない。
月曜日の朝、最初の会議で加藤が言った。
「100円ショップを増やすだけでは届かない」
井上が資料を映した。
「現在の商店街全体の売上は、前年同期比で七・八パーセント増です」
「悪くないじゃん」
田島が言った。
「でも一五には届かない」
「あと七・二パーセント」
志保が数字を見た。
「半年で?」
「正確には、残り三か月です」
井上が答えた。
会議室が静かになった。
プロジェクトが始まって三か月。
実証実験の折り返し地点だった。
100円ショップの六店舗は、すでに商店街に馴染み始めている。
客も増えた。
しかし、数字を細かく見ると、課題はまだ多い。
100円ショップの売上は伸びている。
既存店舗も一部は伸びている。
だが、全体を押し上げるには足りない。
「商店街全体で何が一番弱い?」
加藤が聞いた。
井上が画面を切り替えた。
「夕方です」
「夕方?」
「午後六時以降の売上が低い」
グラフの線が急に下がっている。
「昼間は人が来る。でも、夕方になると帰る」
「仕事帰りの人を呼べない?」
志保が言った。
「この商店街を通って駅へ向かう人はいるんです」
井上が答える。
「でも、立ち寄らない」
涼は地図を見た。
商店街の入口から駅までは十分ほど。
住宅地から駅へ向かう人は、毎日かなりいる。
なのに、その人たちは商店街を通り過ぎる。
「昼間の客を増やすより、今いる人を止めるほうがいい」
涼が言った。
「どうやって?」
志保が聞く。
涼は答えられなかった。
そのとき、田島が言った。
「夕方だけ開ける店があってもいいんじゃない?」
「当初使う予定だった空き店舗は、もう全部使ってる」
「新しい店じゃなくて、今ある店」
「どういうこと?」
「例えば八百屋」
田島は地図を見ながら話した。
「昼間は普通に営業する。でも夕方になると、仕事帰りの人向けの商品を出す」
「惣菜?」
「それもある。食材を少量で買えるようにする。今日の夕飯に必要なものだけ」
志保が頷いた。
「一人暮らしの人にはいいかも」
「それを100円ショップ側とつなげる」
田島は続けた。
「小さな保存容器。ラップ。キッチン用品。そういうものを近くに置く」
涼が考えた。
「一人分の夕食」
「そう」
「テーマを作る」
冴が言った。
「曜日ごとに変える?」
「例えば?」
「月曜日は簡単な夕食。火曜日は弁当。水曜日は掃除用品……」
「掃除は夕食じゃないだろ」
田島が笑った。
「じゃあ、そこは別の日」
会議室に笑いが起きた。
久しぶりだった。
数字の話ばかりしていると、いつの間にか六人とも顔が硬くなっていた。
笑ったあと、加藤が言った。
「やってみよう」
その週の金曜日。
商店街の入口に小さな看板が出た。
「金曜日の夕方 今日の晩ごはん」
八百屋では、少量の野菜をまとめて販売した。
キッチン用品店には、一人分の調理に使える小さなフライパンや保存容器。
食堂では、持ち帰り用の惣菜を少し増やした。
最初は誰も期待していなかった。
午後五時。
会社帰りらしい男性が一人、商店街に入ってきた。
八百屋の前で立ち止まる。
野菜を見る。
値札を見る。
そして、店に入った。
「これ、今日食べる分だけ?」
「そうですよ」
店主が答える。
「じゃあ、これください」
男性は野菜を買った。
そのまま歩いていく。
数分後、キッチン用品店に入った。
小さな保存容器を手に取る。
それを買って、食堂へ入った。
涼は少し離れたところから見ていた。
一人だった。
買い物袋を持っている。
店に入る。
また出てくる。
その繰り返しだった。
商店街を歩いている。
それは、これまでなかった光景だった。
「来たね」
冴が隣に立った。
「うん」
「でも、一人だけ」
「最初は一人でいい」
涼はそう言った。
「一人が二人になればいい」
その週、金曜日の夕方企画は続いた。
来店者は少しずつ増えた。
十人。
二十人。
三十人。
大きな数字ではない。
それでも、これまで夕方に人がいなかった商店街に、少しずつ人が残るようになった。
そして、思わぬ効果が出た。
食堂の店主が言った。
「夕方の客が増えたから、昼の仕込みを少し変えられる」
八百屋の店主は、
「一人暮らしの人が来るようになった」
と言った。
薬局では、
「夕方に寄る人が増えたから、ついでに日用品を買う人もいる」
という。
小さな変化だった。
だが、数字は確実に動き始めた。
