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連載 小説. 『 京都テクノリンク 』 連載 6回目
第十三章 花の向こう
佳織は二日目の夜に目を開けた。
まだ声は出せず、体も動かせない。
数日後に面会の許可がおりると山下は病院に駆けつけ、病室を覗いた。
看病していた母親に挨拶をしてから、山下が顔を近づけると、佳織は眉を寄せた。
「何や、その顔」
佳織は目だけを動かした。
「うるさい、いう顔やな」
まぶたが一度、ゆっくり閉じた。
危険な時期を越えても、回復には時間がかかると告げられた。肺の状態が落ち着いたあとも、歩くための訓練が必要になる。
町家では、佳織の椅子だけが空いた。
佳織は京都テクノリンクの社員ではない。営業顧問として契約していたが、毎日町家へ来ていたわけでもなかった。
それでも、仕事の流れは目に見えて変わった。
佳織がゴルフ場で話を聞いたという経営者からの連絡が途絶えた。見積もりまで進んでいた会社は、話を少し先へ延ばしたいと言った。
山下が代わりに訪ねても、同じだった。
「大野さん、どうしてはります」
「回復してます。僕が責任を持って、話を続けます」
「それは、よろしおした」
相手は茶を勧めたあと、見積書を伏せた。
「ほな、大野さんが戻らはってから、ゆっくり」
宏が現場を見ても、新しい仕事にはつながらなかった。頼まれた機械なら直せる。しかし、若い者が続かない、毎日せわしない、息子が会社へ戻らないという話は、どこを直せばよいのか分からない。
真由美の帳簿には、保留になった金額だけが並んだ。
値下げ競争から降り、ようやく資金繰りが落ち着き始めたところだった。七か月あったはずの猶予は、新規案件が止まったことで、また短くなった。
「大野さんが持ってきた仕事は、ほかより利益が残ってます」
「ほな、何で止まるんです」
宏に聞かれ、真由美は帳簿を閉じた。
「それが分かったら、経理やのうて、大野さんしてます」
真由美は保留中の案件を、売上予定からすべて外した。既存契約だけで三か月を持たせる表を作り、町家の設備更新を止め、三人の残業代と外注費まで一件ずつ洗い直した。
「給与は守ります。学生の通信協力費も削りません。ここを止めたら、会社が次に動く足までなくなります」
「ほな、何を削る」
「新しい機械と、急がへん広告です。外注先には事情を話して、支払日を二回に分けてもらいます。ただし、先延ばしにはしません」
山下は、追加出資を頼もうとは言わなかった。佳織が突きつけた問いに、また金だけで答えることになるからだった。
答えを持てないまま、病室には花が届き始めた。
外車ディーラー時代の客、西陣の問屋、伏見の酒造会社、祇園の料理店。窓辺だけでは置けなくなり、看護師が廊下へ小さな台を出した。
「大野さん、お花屋さんやったんですか」
佳織はまだ笑えず、目元だけを緩めた。
山下は、花に添えられた名刺を一枚ずつ読んだ。
知らない名前のほうが多かった。
ある午後、濃紺の背広を着た男が花を置いて帰ろうとした。山下は廊下まで追いかけた。
「すんません。少し、よろしいでしょうか」
「何でしょう」
「私、京都テクノリンクの山下と申します。大野には、いま、うちの仕事を手伝ってもろてます」
「聞いてます」
「実は、驚くほど大勢の方が、花や名刺を置いていかはるんです。私らの知らん方も多うて。失礼でなかったら、大野とは、どのようなお付き合いをされてたのか、聞かせてもらえませんやろか」
男は山下を見た。
「山下さんは、大野さんと長いんですか」
「知り合うてからは、長いです」
「一緒に仕事もしてはる」
「はい」
「それで、お分かりになられませんか」
「何を、でしょう」
「あの人は、ものを売ったりしません」
「ディーラーでは、トップセールスやったと聞いてます」
「車をようけ売ったいう意味やったら、そうでしょうな」
男は病室の扉へ目を向けた。
「私も一台買いました。けど、車が欲しかったんやありません」
「ほな、何で買わはったんです」
「社長にならはってから、ご自分でハンドル握ること、なくなりましたなぁ、と言われましてな」
運転手がいるわけではない。会社と家を往復し、休みの日にも社用車へ乗るうち、自分が行きたいところへ行くことを忘れていたという。
「それで、外車を?」
「休みの日に、自分で走る車を買いました」
男は帽子をかぶった。
「大野さんは、京都人の魂いうたら大げさかもしれませんけどな、新しいもんへの憧れを見せてくれはる人です。昔からのもんを捨てなさいとは言わへん。ただ、その隣に、まだ知らん楽しみがあることを見せはる」
「佳織が、そんな話を」
「そう聞いても分からはれへんのやったら、大野さんを分かるのは難しいんと違いますか」
男は頭を下げ、廊下を歩いていった。
別の日には、ゴルフ仲間だという経営者が来た。
「大野とは、どんな話をされてたんです」
「何を話しましたかなぁ」
「仕事の話やないんですか」
「仕事の話もしたでしょうけど、あの人、売り込んできませんよ」
「ほな、何しにゴルフへ」
「ゴルフしに来てはるんやろ」
経営者は当然のように答えた。
「前に、息子が会社へ戻ってこん話をしたんです。半年ほどして一緒に回ったとき、息子さん、まだ東京がええ言うてはりますか、と聞かれましてな」
「覚えてたんですか」
「私が忘れたい話を、あの人は忘れてへんかった」
「それで、うちへ仕事を?」
「仕事を頼んだんは、そのあとです。あの人が言う会社やったら、一回ぐらい話を聞いてもええと思た。それだけです」
「それだけで、仕事になりますか」
「それだけが、なかなかでけへんのやないですか」
三人目は、佳織に腹を立てたことがあるという社長だった。
「若い者が続かん言うたら、若い人に根気がないんやのうて、根気がなくなるまで働かせてるんと違いますか、と言われました」
「怒らはったでしょう」
「そら、腹立ちました。二度と一緒に回るかと思いました」
「ほな、何で今日、花を?」
「次の月も、あの人、何もなかったように来はったんです。うちの若い子、何時に帰ってます、と聞かれました」
「また、その話を?」
「逃がしてくれへんのです。そやけど、うちの会社を悪いとは言わへん。若い子も社長も、もうちょっと楽に仕事できる方法、あるんと違いますか、と」
社長は名刺を山下へ渡した。
「大野さんが戻らはったら、話の続きをしたいと伝えといてください」
三人から話を聞いても、山下には一つの言葉へまとめられなかった。
第十四章 人に惚れる
山下は、創業のころから付き合いのある織物会社の社長を訪ねた。
病室へ届いた花のこと、車を買った男のこと、息子の話を覚えていたこと、若い社員の働き方を叱ったことを順に話した。
社長は最後まで聞き、湯呑みを置いた。
「そら、人に惚れるちゅうことやな」
「大野はモテまっさかいなぁ」
社長は山下を見て、声を上げて笑った。
「何がおかしいんです」
「あんた、大野さんのこと、女としてしか見えてへんのか」
「そんなこと言うてません」
「いま言うたがな」
山下は冷めた茶を飲んだ。
「私が言うてる惚れるは、男と女の話やない。その人が言うことやったら、いっぺん聞いてみようと思う。その人に恥かかせんよう、約束は守ろうと思う。会社や肩書やのうて、その人を信用するいうことや」
「うちらは、大野が連れてきた仕事を、会社の仕事やと思てました」
「違うたんか」
「まだ、うちの仕事にはなってへんかったんかもしれません」
「ほな、これから、あんたらの仕事にしはったらよろしい」
社長は急須を持ち上げた。茶はもう残っていなかった。
「山下はん、こんなことがあったんやけど、話、聞きたいか」
「話される前に聞きたいか言われても、困りますわ」
「そら、そうやな」
社長は腕時計を外し、机へ置いた。
「あんたも腕時計や髭剃り、毎日使うてるやろ」
「使うてます」
「毎日使うてたら、壊れることもあるわいな」
「そら、あります」
「いっぺんでも壊れたことある人間が、知り合いの持ってる腕時計を見て、これ、もう十年使うてるけど、いっぺんも壊れてへんで、と言われたら気にならへんか」
「気になりますな」
「どこが作ったもんか、聞きたならへんか」
「聞きます」
「同じもん、欲しいと思わへんか」
「そんときは……その人の腕時計と同じもんが欲しなります」
「そやろ」
社長は腕時計をつけ直した。
「京都には古いもんもぎょうさんある。そやけど、新しいもんも、ようけある。京都の人間は新しいもんが嫌いなんやない。むしろ好きなんや」
「知ってます」
「ほな、何で新しいもんが、なかなか売れへん」
「失敗したないからですか」
「自分が最初になって失敗したないんや。ほかの人が使うて、ちゃんと動いて、前より良うなったと分かれば、話は別や」
山下は病室の名刺を思い出した。
「佳織は、そこに気づいてたんですか」
「気づいてたんやろな。あの人、車の説明より、誰がどんな車に乗って、どう変わったかいう話をようしてましたわ」
「ほな、車を売ってたんやない」
「車も売ってたで。売らんかったらトップにはならへん。ただ、車だけを売ってへんかったいうことや」
山下は、病室に並んでいた名刺の会社名を思い返した。
京都テクノリンクは、困っている会社を探してきた。何が悪いかを見つけ、直す方法を考えた。
矢印は、反対にも向けられる。
「困ってる会社を探すだけやのうて、もう困ってへん会社を探したらええんや」
「ようやく分かったか」
「同じことで困ってた会社が、どう直したかを見せてもらう。どの機械を入れたかだけやない。何で選んで、どう使うたらうまいこといったかまで聞く」
「それを、困ってる会社へ持っていく」
「そのまま持っていくんやありません。その会社に合うよう、河村が現場を見る。村上が、入れたあとも金が残るか調べる。僕が、どこまで変えたいか社長と話す」
「大野さんは?」
山下は、少し考えた。
「新しいほうへ行っても大丈夫やと、思わせる」
社長はうなずいた。
「それやったら、何を売る会社か、よう分かるな」
山下は立ち上がりかけた。
「まだ、話終わってへん」
「何です」
「あんたとこの会社、経営者の間で何て言われてるか知ってるか」
「悪い話ですか」
「悪い話やったら、本人には言わへん。ええとこ見つける会社や、言われてる」
「それやったら、悪ないでしょう」
「そのあとがある。ええとこ見つけるけど、そこは置いといてほしいんやわ、て」
「無駄やと分かってるのに、ですか」
「分かってる。何で残したいか聞かれたら、本人にも答えられへん。先代が始めたからか、古い社員の仕事をなくしたないからか、長い客がそれを好んでるからか」
「ほな、触らんかったらええ」
「すぐ、そう決める」
社長は空の急須を置いた。
「そこを直してほしいんやない。ほんまに直したいところは、ほかにあるんや」
「どこです」
「それを言うたら、ややこしいことになる場所や。人かもしれん。息子かもしれん。昔からの取引先かもしれん」
「最初に見せられた困り事の奥に、別の困り事がある」
「それを見つけるんが、あんたの仕事やろ。河村君は、機械の音と、そこで働いてる人を見たらええ。あんたは、その会社がどこへ行きたがってるか見なあかん」
山下は、置いたままの湯呑みを見た。
「分かってます」
「分かってたら、いまごろ、そんな顔してへん」
社長は立ち上がった。
「お茶、なくなりました。今日はもう帰り、いうことや」
町家へ戻ると、山下は宏と真由美に、聞いた話をそのまま伝えた。
宏は病室から書き写した名刺を見た。
「僕らは、困ってる会社の中しか見てませんでした」
「僕は、経営者の困り事しか見てへんかった」
「大野さんは、困ってへん会社の人とも会うてたんですね」
真由美は、名刺を二つに分けた。困っている会社と、すでに同じ問題を解決した会社である。
「この二つをつないだら、仕事になります」
「帳簿に入るか」
「入るようにするのが、私らの仕事でしょう」
三人の間に、初めて同じ方向を向いた矢印ができた。
