この作品は盗用禁止です。

AIに登録してネット監視していますので、ご注意ください。

 

 

『 一人分の幅 』

 

第十二章 催しの日

 

十一月最初の日曜日、京子は八時二十五分に

 

「余計なお世話」

 

 の格子戸を開けた。

 

 空は明るい。

 

 昨夜用意した透明なケースは、使わずに済みそうだった。

 

 白地に黒い文字の案内を店先へ置く。

 

 まだ使えますか。

 

 アクセサリーの留め具交換。切れた紐やチェーンの修理。片方だけになったイヤリングの作り替え相談。

 

 大切な品は、その場で確認し、預からない場合がある。

 

 できることより、できないことの方が目立つ。それでも、持ってきた人が店先で初めて断られるよりはいい。

 

 八時半、

 

「つづき」

 

 の三人が元洋品店を開けた。

 

 河合は予約表を入口へ置く。小川は、頼まれていない布包みの見本まで持ってきていた。佐伯は預かり票を受付順に並べ、番号が抜けていないか二度確かめている。

 

「布包み、やるの?」

 

 京子が聞いた。

 

「時間があれば」

 

 小川が答える。

 

「服の相談が十三件あるでしょう」

 

「相談の間が空いたら」

 

「誰が空いたと決める?」

 

 三人は顔を見合わせた。

 

「そのとき、三人で」

 

 河合が言う。

 

「なら、見本だけ置いておけばいい」

 

 京子はそれ以上言わなかった。

 

 九時、冨永と福田が商店街へ来た。

 

 二人とも市の腕章をつけている。冨永の鞄には全体案内と連絡先一覧、福田はカメラと記録用紙を持っていた。

 

「本部は、塚口さんの店の前です」

 

 冨永が言う。

 

「本人は、催しの案内より珈琲を勧めますよ」

 

 京子が答える。

 

「通常営業ですから、止められません」

 

「一杯の注文は任意でしょう」

 

「店内を利用する場合は、一品お願いします」

 

「覚えてたんですね」

 

「掲載した文章ですから」

 

 昨日までと同じように話せる。

 

 冨永が資料を持ち、京子が店の案内を確認する。

 

 どちらも、相手の顔色をうかがわない。

 

 少し離れたところにいる相手が何を考えているかは、以前より分かる。

 

 九時半、参加店の案内がすべて出た。

 

 時計店は濃紺。

 

 衣料品店は深い赤。

 

 喫茶店は茶色。

 

 古本店は灰色。

 

「つづき」

 

 は青と緑。

 

 色は違う。上の一行だけが、数十メートル先まで繰り返されている。

 

 午前十時、催しが始まった。

 

 最初に時計店へ来た男性は、腕時計を三本持っていた。

 

 店主は一本ずつ裏蓋を見て、二本は電池交換、残る一本は専門の修理業者へ出す必要がある

と説明する。

 

「ここでは直らないの?」

 

「うちでは無理だ」

 

「看板に修理って書いてあるでしょう」

 

 男性が案内を見る。

 

 そこには、動かない時計は修理できるか確認します、と書かれている。

 

「確認したら、うちでは無理だった」

 

「そういう意味か」

 

「そういう意味だ」

 

 男性は不満そうな顔をした。男性は二本を置き、残る一本は教えられた専門店へ持っていくと言った。

店主は、少し離れたところにいる京子を見る。

 

「二本は仕事になった」

 

「一つは?」

 

「うちの仕事じゃなかった」

 

 店主は、自分でそれを言った。

 

 衣料品店には、ボタンの取れたコートや、裾のほつれたスカートが持ち込まれる。

 

 古本店では、背表紙の外れた文庫本を店主が直していた。

 

 塚口の喫茶店では、珈琲器具の写真を見せる人より、ホットケーキを食べる客の方が多い。

 

「催しの客か、いつもの客かわからんな」

 

 塚口が冨永へ言う。

 

「分ける必要がありますか」

 

「報告に困るだろ」

 

「相談件数だけ数えます。ホットケーキは店で」

 

「市役所は役に立たんな」

 

 言いながら、塚口は嬉しそうだった。

 

 十一時前、綾子と潤が商店街へ来た。

 

 潤は黄色いボタンをつけた段ボールの箱を、紙袋へ入れている。

 

 冨永は本部で、案内図を見せていた。

 

「お父さん」

 

 潤が走りかけ、綾子に腕をつかまれる。

 

「走らない。人が多いから」

 

 冨永が二人に気づく。

 

「来たのか」

 

「これを見てもらう」

 

 潤が紙袋を持ち上げた。

 

「長谷部さんに?」

 

「うん」

 

「順番を待つんだぞ」

 

「分かってる」

 

 綾子は店の並びを見る。

 

「あなたは、ここにいるの?」

 

「四時まで」

 

「では、私たちは回ってくるね」

 

 二人は脇道へ入った。

 

 京子の店には、すでに客が二人待っている。

 

 潤は紙袋を抱え、壁際に立った。綾子はイヤリングの棚を見ている。

 

 以前迷った緑色の石が、まだ残っていた。

 

「それ、まだあったんですね」

 

「今日は、黒い服だから合いますよ」

 

「では、いただきます」

 

「一か月以上考えましたね」

 

「忘れていただけです」

 

「それでも残ってた」

 

 綾子は鏡の前で耳へ当てる。

 

「どうですか」

 

「今日の服には、よく合います」

 

「今日だけ?」

 

「次は、服を選んでください」

 

 綾子が笑う。

 

「やっぱり余計なお世話ですね」

 

 順番が来ると、潤は箱を作業台へ置いた。

 

 表に黄色いボタンが二つ並んでいる。糸は裏側で何度も絡まり、段ボールへ食い込んでいた。

 

「何を入れる箱?」

 

「まだ決めてない」

 

「作ってから決めるの?」

 

「うん」

 

 京子は裏側を見る。

 

「今は取れない。でも、段ボールが破れたら取れる」

 

「直せる?」

 

「裏に布を入れれば強くなる。自分でやる?」

 

「教えて」

 

 京子は二時の枠を紙へ書いた。

 

「今はほかの人が待ってるから、二時に来て」

 

「予約?」

 

「黄色いボタンの予約」

 

 潤は紙を財布へ入れた。

 

 綾子と潤が店を出る。

 

 冨永は本部から二人の姿を見つけたが、声をかけなかった。潤は商店街の案内を一枚ずつ読み、綾子は買ったイヤリングの袋を鞄へしまっている。

 

 正午前、空が暗くなった。

 

 アーケードの外から風が入る。衣料品店の前に出した赤い案内が、一度、歩道側へ傾いた。

 

 冨永は空を見上げた。

 

「二十パーセントですね」

 

 京子が通りの向こうから言う。

 

「四回に一回の方でした」

 

 十二時十分、雨が落ちてきた。

 

 最初は屋根を細かく鳴らす程度だった。数分後には、商店街の入口が白くなる。

 

 横から吹き込んだ雨が、店先の机へかかる。

 

「透明ケースを出して」

 

 河合が言う。

 

 佐伯が案内を入れ、小川が机を軒下へ引く。

 

 雨を避ける人が一斉にアーケードへ入り、通路が狭くなった。濡れた傘、自転車、買い物袋。店先へ出した机と看板が、歩く人の邪魔になる。

 

 冨永は福田へ案内図を渡した。

 

「本部と両端だけ残して、看板は軒下へ。移動した店を書いてください」

 

「衣料品店の服は?」

 

 福田が尋ねる。

 

 京子はすでに店の前へ向かっていた。

 

「今、畳ませない方がいい」

 

 相談台には三人分の服が広がっている。急いで重ねれば、誰のものか分からなくなる。

 

「今見ている服だけ持って、一人ずつ店内へ入ってください。残りは番号を確かめてから運びます」

 

 衣料品店主が入口の棚を奥へ押す。

 

「一人ずつなら入れるよ」

 

 冨永は通路からその様子を見る。

 

「ここは任せます」

 

 京子が言う。

 

「お願いします。私は時計店の前を空けます」

 

 二人は別の方向へ動いた。

 

 打ち合わせる必要はなかった。相手が何を守ろうとしているかは分かっている。

 

 元洋品店では、古本店の商品と「つづき」の相談台が重なっていた。

 

 小川が布包みの実演台まで運ぼうとしている。

 

「それもやるの?」

 

 京子が聞く。

 

「来る人がいるかもしれないから」

 

「服の相談は?」

 

「五件あります」

 

 佐伯が答えた。

 

 河合は布と予約表を見る。

 

「布包みは中止にします。見本だけ、棚へ置かせてください」

 

 古本店主が空いた一段を指した。

 

「ここなら濡れませんよ」

 

 小川は少し不満そうだったが、布を畳んだ。

 

「次は、晴れた日にやる」

 

「そのとき三人で決めて」

 

 京子が言う。

 

「分かってます」

 

 小川は言い返した。

 

 京子は笑った。

 

「なら大丈夫」

 

 午後一時、時計店の前で屋根の継ぎ目から水が落ち始めた。

 

 床が濡れ、客が一人足を滑らせかける。

 

 種井がラーメン店から、以前がたついていた椅子を二脚持ってきた。

 

「ここを挟めばいい」

 

「その椅子、大丈夫?」

 

 幸子が言う。

 

「直した」

 

 種井は一脚を床へ置き、手で揺らす。

 

 もうがたつかなかった。

 

 二脚の間へ、冨永が「足元にご注意ください」と書いた紙を貼る。

 

 客は自然に左右へ分かれた。

 

「催しで初めて役に立ったな」

 

 塚口が言う。

 

「ラーメンも出してる」

 

「それはいつもだろ」

 

「いつもの仕事が一番だ」

 

 種井は店へ戻った。

 

 午後二時、綾子と潤が京子の店へ戻る。

 

「予約した」

 

 潤が財布から紙を出す。

 

「覚えてたね」

 

 京子は作業台を空けた。

 

 絡まった糸を小さなはさみで切る。段ボールの裏へ厚手の布を貼り、穴を開ける。

 

「ここから、自分で」

 

 針へ糸を通し、潤へ渡す。

 

 潤が急いで引くと、糸が輪になる。

 

「止めて。無理に引かない」

 

 京子は潤の指を押さえず、輪の場所を示した。

 

「こっちを少し戻す」

 

 潤が針を戻す。絡まりがほどける。

 

 店の外では、冨永が濡れた案内を新しい紙へ替えていた。格子戸の向こうに潤の背中が見える。京子は手を出さず、横から指で場所を示している。

 

 冨永は店へ入らなかった。

 

 自分がいなくても、潤は自分で針を動かしている。

 

 三十分後、黄色いボタンは、前より平らに箱へついた。

 

「今度は取れない?」

 

「段ボールが濡れなければ」

 

 潤は箱を両手で持つ。

 

「お父さんに見せる」

 

「何を入れるか決めた?」

 

「まだ」

 

「なら、まだ使えるね」

 

 潤はうなずいた。

 

 午後三時を過ぎると、雨が弱くなった。

 

 移動した相談台は元へ戻さない。残り一時間のために服や本を動かせば、預かり番号を間違える可能性がある。

 

 河合がそう判断し、冨永が案内図だけを書き直した。

 

 京子が口を出すところはなかった。

 

 午後四時、催しは終了した。

 

 相談は四十三件。

 

 その場で終わった修理は二十件。

 

 預かりは十一件。

 

 専門店を案内したものが五件。

 

 何もせず持ち帰ったものが七件。

 

「何もしなかったのも数えるんですか」

 

 河合が尋ねた。

 

「相談した結果でしょう」

 

 冨永が答える。

 

「直さないと決めたのも?」

 

「その人が決めたことです」

 

 京子は離れたところで聞いていた。

 

 同じ答えを、自分もしたと思う。

 

 塚口だけは、ホットケーキの数を市の記録へ入れろと言い張った。

 

「二十六枚」

 

「相談件数ではありません」

 

「客が増えた証拠だろ」

 

「商店街の報告へ別に書きます」

 

「別でも入るならいい」

 

 片づけが終わったのは、午後六時だった。

 

 濡れた看板を拭き、机を戻し、預かり品の番号を確かめる。

 

 京子が自分の店へ戻ろうとすると、冨永が本部の長机を畳んでいた。

 

「終わりましたね」

 

「はい」

 

「うまくいったと思います?」

 

 京子が尋ねる。

 

「予定通りではありませんでした」

 

「それは見れば分かります」

 

「予定通りでなかったのに、誰も市役所の指示を待たなかった」

 

「市役所としては困りません?」

 

「助かりました」

 

 冨永は机の脚を畳む。

 

「長谷部さんは、どう思います?」

 

「私がいなくても、河合さんたちが実演を中止した」

 

「少し残念ですか」

 

「少し」

 

「それなら、うまくいったんでしょう」

 

「そうですね」

 

 二人は濡れた通りを見る。

 

 必要なときには声をかける。

 

 相手が動いているときは邪魔をしない。

 

 片づける場所が分かれば、いちいち尋ねない。

 

 京子は、畳んだ机の端を押さえた。

 

 その手を離す。

 

「冨永さん」

 

 京子が言う。

 

「はい」

 

「今日、一緒に仕事ができて、嬉しかったです」

 

「私もです」

 

 冨永は少し笑った。

 

 その言葉を口にしただけなのに、仕事の報告とは違うところへ声が届いた気がした。

 

 京子も、言ってから少し目を伏せる。

 

 嬉しかった。

 

 仕事がうまく進んだからだけではない。

 

 冨永が通りの向こうにいると、何となく安心した。

 

 自分が忙しくしているとき、あの人も同じ商店街のどこかで動いていると思うと、少し楽しかった。

 

 ただ、会えた日は、帰り道が少し短く感じる。

 

「また、仕事があれば」

 

「そのときは連絡します」

 

「仕事がなくても?」

 

 京子が顔を上げる。

 

 冨永は一瞬だけ考えた。

 

「珈琲くらいなら」

 

 京子が笑う。

 

「それ、仕事じゃないですよ」

 

「そうですね」

 

「でも、飲みたいです」

 

 冨永は答えなかった。

 

 答えなくても、顔に少し出ていた。

 

「また、仕事があれば」

 

「そのときは連絡します」

 

「仕事がなくても?」

 

 京子が顔を上げる。

 

 冨永は一瞬だけ考えた。

 

「珈琲くらいなら」

 

「塚口さんに怒られますよ。二人とも仕事中に来たって」

 

 京子が笑う。

 

「それなら、仕事のある日に」

 

「それがいいですね」

 

 二人はそれ以上話さなかった。

 

「では、お疲れさまでした」

 

「お疲れさまでした」

 

京子は脇道へ入り、冨永は残った資料を抱えて駅へ向かった。