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連載 小説.       『 京都テクノリンク 』      連載 5回目

 

第十一章 学生ネットワーク

 

 契約料金を戻したあとも残った顧客から、少しずつ紹介が増えた。赤字の仕事ではなくなったが、引き受けられる件数には限りがある。

 

 人手が足りず、依頼を断る日が続いたころ、白髪の男が町家を訪ねてきた。

 

 宏と山下が大学で教わった西岡教授だった。退官後は、散歩の途中で古い建物を眺めるのが日課になっている。

 

「ええ会社になったな」

 

 山下は苦笑した。

 

「中を見ても、そう言えますか」

 

 教授は壁に貼られた市内地図を見た。赤い印は顧客、青い磁石は技術者の予定だった。

 

「人が少ないんやない。人の動きが見えてへんのや」

 

 教授の研究室では、学生が市内の商店や工房を訪ねる調査を始めていた。学生を修理や顧客対応に関わらせることはできない。だが、専用の携帯電話を持たせ、移動する区間と交通の混み具合だけを知らせてもらうことはできる。

 

 その情報を地図へ重ねれば、宏たちは最短距離ではなく、実際に早く着ける順に現場を回れる。近くを走っている協力会社にも、顧客情報を伏せたまま応援を頼める。

 

「学生を働かせるんやない。街の流れを見せてもらうんや。京都を流れる目になってもらう、と言うたらええ」

 

 教授の言葉だけでは、仕組みにはならなかった。

 

 学生の何を見て、誰が判断し、どこまで仕事に使うのか。宏と真由美は二週間、壁の地図の前で話し合った。山下は学生を電話受付に使えばいいと言ったが、真由美が退けた。

 

「責任を持たせへんと言いながら、都合のええときだけ社員みたいに使うのは違います」

 

 最初に協力した学生は五人だった。工学部二回生の高瀬航は、その中でいちばん熱心だった。市内を自転車で走るのが好きで、裏道にも詳しいと自負している。

 

 試験運用の初日、東山の顧客から通信機器の不調を知らせる電話が入った。宏は西院にいた。高瀬からは、四条通の東行きは流れているという情報が届いた。

 

 宏は五条通ではなく四条通を選んだ。

 

 ところが、烏丸を越えたところで車列が止まった。高瀬が見たのは自転車が通れる路地と歩道で、自動車の流れではなかった。さらに祇園近くでは工事車両が道を塞いでいる。

 

 宏が顧客へ着いたのは、約束より四十分遅かった。

 

「学生さんの遊びに、うちらの仕事を使わんといてもらえますか」

 

 顧客の担当者は、それだけ言って作業に立ち会わなかった。

 

 高瀬は町家へ謝りに来た。

 

「僕、自転車で走れたから、空いてると思いました」

 

「僕も確認せずに使った。判断したのは僕です」

 

 宏が言っても、高瀬は顔を上げなかった。

 

「もう、やめたほうがええですか」

 

 壁際で聞いていた西岡教授は答えなかった。山下も口を挟もうとしたが、真由美が目で止めた。

 

 宏は木崎に言われた言葉を思い出した。疲れている耳は、自分が聞きたい音を聞く。自分は、人手不足を解決する答えが欲しくて、高瀬の情報を都合よく読んだ。

 

「やめるかどうかは、間違いの理由が分かってから決めよう。次から、自転車、車、徒歩を分けて送ってください。見てへん道は、分からへんと書く。僕らも一つの情報だけでは経路を決めません」

 

 高瀬は、専用電話の入力画面を自分で作り直した。交通手段、確認時刻、見た区間、推測か実見か。送る項目は増えたが、曖昧な「空いている」は消えた。

 

 一週間後、高瀬から、堀川通で事故があり北行きが動かないという情報が届いた。宏は西へ迂回し、約束より十分早く着いた。

 

 帰りに町家へ寄ると、高瀬は何も言わず、壁の地図に小さな青い磁石を置いた。

 

 宏も褒めなかった。ただ、その磁石を動かさなかった。

 

 真由美が先に条件を決めた。学生には定額の通信協力費を払い、位置情報は本人が送ったときだけ使う。顧客名も故障内容も知らせない。夜間は運用しない。

 

 山下は、すぐに人数を増やしたがった。

 

「まず十人です」

 

 真由美が止めた。

 

「仕組みが間違ってたら、百人いても百人分間違います」

 

 学生ネットワークは、京都の細い道を流れる目になった。祇園祭の鉾建てが始まると通れなくなる道、観光バスで詰まる交差点、雨の日だけ遅れる路線。数字だけでは分からない街の呼吸が、町家の地図に現れた。

 

 宏たちの到着は早くなり、断る仕事が減った。

 

 京洛ビジネスサポートが同じ仕組みを作ろうとしたとき、学生は集まらなかった。

 

 西岡教授が学生へ伝えていたのは、アルバイトの募集ではない。この会社が古い商いと新しい技術の間で、何を守ろうとしているかという話だった。

 

 京洛ビジネスサポートはその後も、安い月額料金と二十四時間受付を掲げて営業を続けた。

 

 京都テクノリンクから移った会社もあった。反対に、担当者が替わるたび同じ説明を繰り返すことに疲れ、戻ってきた会社もあった。

 

 山下は、戻ってきた会社を前にしても、勝ったとは思わなかった。夜中にも電話がつながる会社を必要とする客もいる。現場へ来て、会社ごとの事情を覚える相手を必要とする客もいる。

 

「京洛ビジネスサポートを潰すんが、うちの仕事やない」

 

 山下がそう言うと、真由美は赤い紙のファイルを閉じた。

 

「うちが守れるお客さんを、守れる値段で守る。それでええんやと思います」

 

 二つの会社は、同じ困り事を扱いながら、別の客を守る会社になっていった。

 

第十二章 赤い車が止まった日

 

 花背で雪を投げ合った日から、五か月近くが過ぎていた。

 

 六月の京都は、朝から空気に水を含んでいる。町家の庭では、前夜の雨を吸った苔が色を深くし、軒先から落ちる雫が同じ石を繰り返し打っていた。

 

 その日、山下は久御山の部品会社を訪ねていた。

 

 社長から聞かされたのは、荷受け場の混雑だった。材料を運ぶ車が重なると、工場の者が持ち場を離れ、荷を下ろす。十分ほどで済む日もあれば、一時間近く機械が止まる日もある。

 

「荷受けの人、置かはったらどうです」

 

「その一時間のために、一日分の給料払うんか」

 

「ほな、車の時間を分けてもらう」

 

「昔からの取引先に、うちの都合で時間変えろと言えますかいな」

 

 社長は困っている。しかし、人を増やすことも、取引先へ頼むこともしたくない。

 

 山下には、どちらの気持ちも分かった。

 

「一週間、車の来る時間と、機械が止まる時間を見せてください。そのあと、何を変えるか決めましょう」

 

「見ただけで、分かるんか」

 

「分からんかったら、分からん言います」

 

「頼りない会社やな」

 

 社長は笑い、机の上の資料を引き寄せた。

 

「そやけど、何でもできます言う会社よりは、ましか」

 

 契約の話へ入ったところで、山下の携帯電話が震えた。

 

 会議中には見なかった。

 

 佳織から届いた連絡だった。

 

〈今日、町家寄る。学生の目、道だけに使うんはもったいない〉

 

 午後一時四十七分、学生ネットワークの専用電話へ高瀬航から連絡が入った。

 

「高瀬です。堀川で事故が――」

 

 クラクションと人の声が重なり、通話は切れた。

 

 配送トラックと乗用車二台が絡み、一台が街路樹との間に挟まれていた。雨に濡れた赤い車体の運転席側が、大きく潰れている。

 

 高瀬は救急へ通報したあと、見えている道の状態を町家へ送った。

 

〈大宮通北行き、鞍馬口から上は流れています〉

 

〈北大路から堀川へ南下する車線、事故地点の手前まで空いています〉

 

〈建勲神社東側、普通車は通れます。緊急車両の幅は分かりません〉

 

 学生たちは道を選ばなかった。見たことと、分からないことを分けて送った。

 

 真由美は消防の窓口へ会社名を告げ、必要なら実見した情報を伝えられると申し出た。情報が救助に使われたかどうかは、最後まで分からなかった。それでも学生たちは、推測を交えず、見た道だけを送り続けた。

 

 やがて北側から救助工作車が到着し、止まっていた救急車も反対車線側へ回り込んだ。学生たちは指示をせず、救助活動の妨げにならない場所まで下がった。

 

 山下が現場近くへ着いたとき、運転者は救急車へ移されるところだった。

 

 覆いが外され、赤い車の後部が見えた。

 

 曲がったナンバーは、町家の前で何度も見たものだった。

 

 山下は携帯電話を取り出した。

 

〈今日、町家寄る。学生の目、道だけに使うんはもったいない〉

 

 佳織は、いつも次の話を持って現れた。

 

 その続きが、突然なくなる。

 

「佳織」

 

 閉じた救急車の扉へ、名前だけが出た。

 

 高瀬が歩道に立っていた。顔もシャツも雨に濡れている。

 

「意識は、あったんですか」

 

「分かりません。すみません」

 

「何で、君が謝るんや」

 

 声が大きくなり、高瀬の肩が固くなった。

 

 山下は目を閉じた。

 

「すまん。違う。見つけてくれて、ありがとう」

 

 佳織は救命救急センターで緊急手術を受けた。

 

 肋骨の骨折、肺の損傷、腹腔内の出血。肝臓にも大きな傷があった。出血は止められたが、医師は数日間、予断を許さないと説明した。

 

 宏と真由美が病院へ着いたとき、山下は手術室前の長椅子にいた。

 

「あいつが思いついたこと、まだ聞いてへん」

 

 宏は隣へ座った。

 

「聞けます」

 

「何で分かる」

 

「分かりません」

 

 山下は、それ以上聞かなかった。

 

 窓の外では、雨が降り続いていた。