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『 棚のない商店街 』 ストーリー 5
第十章 売れない店
一週間が過ぎた。
数字は思ったほど悪くなかった。
文房具。
キッチン用品。
収納用品。
日用品。
季節商品。
それぞれに売上が立っている。
ただし、一つだけ極端に低い店があった。
掃除用品だった。
他の店舗の半分以下。
客は来る。
商品も見る。
しかし、買わない。
井上が数字を示した。
「来店者数はそこまで少なくないんです」
「なのに売上が低い」
「はい」
「理由は?」
「分かりません」
涼は掃除用品店へ向かった。
店内には、スポンジ、ブラシ、ゴミ袋、洗濯用品、雑巾、手袋などが並んでいる。
一見すると普通だ。
しかし、店内に入ってみて気づいた。
商品がすべて同じ高さに並んでいる。
どの商品も、ただ棚に置かれている。
何を選べばいいのか分からない。
涼は一つのスポンジを手に取った。
「これ、何が違うんだろう」
隣にいた冴が答える。
「硬さ」
「分からない」
「こっちは油汚れ用」
「それも書いてない」
二人は棚を見た。
商品そのものに説明はある。
しかし、小さい。
高齢者には読みにくい。
しかも、似たような商品が並んでいる。
「百円だから、どれを買ってもいいと思ってる人もいるかもしれない」
冴が言った。
「でも、違いが分からないと、買う理由がない」
涼は店を出た。
そして近くの商店街の店主に聞いた。
「普段、掃除用品ってどこで買います?」
「スーパーかな」
「なぜです?」
「必要なものが分かってるから」
涼は考えた。
掃除用品店は、商品を売るだけでは弱い。
使い方を見せなければいけない。
「だったら、使ってみてもらう?」
冴が言った。
涼は彼女を見る。
「実演?」
「そう。スポンジなら、油汚れがどう落ちるか。ブラシなら、どこに使うか」
「店頭で?」
「百円の商品だからできると思う」
その日の午後、掃除用品店の入口に小さな実演台が置かれた。
古い鍋。
油を塗った皿。
汚れたタイル。
そこに商品の説明を添えた。
「油汚れ用」
「水だけで使える」
「細かいところ用」
通りを歩いていた人が立ち止まる。
見ている。
少しすると、一人がスポンジを手に取った。
「これ、百円?」
「はい」
「じゃあ、買ってみようかな」
それがきっかけだった。
夕方までに、スポンジが十七個売れた。
前日の一日の売上を、数時間で上回った。
井上はデータを見て驚いた。
「実演を始めてから、購買率が三倍になってる」
「三倍?」
志保が画面を見る。
「正確には三・二倍」
田島が笑った。
「百円の商品で、そこまで変わるのか」
涼は実演台を見た。
たった一つの小さな工夫だった。
商品を変えたわけではない。
店を変えたわけでもない。
売り方を変えただけだった。
その夜、加藤は会議の最後に言った。
「このデータ、企業に返そう」
「売れたという報告だけじゃなく?」
「どうやって売れたかまで」
井上が頷く。
「企業側からすると、かなり価値がありますね」
「そうだ」
加藤は涼たちを見た。
「このプロジェクトの意味が、少し見えてきたな」
涼は黙っていた。
商店街を再生する。
最初は、それだけを考えていた。
けれど実際に始めてみると、店を置くだけでは人は動かない。
人が動くには理由がいる。
商品が売れるにも理由がいる。
そして、その理由を一つずつ探していく。
それが、この一年間の仕事なのかもしれなかった。
会議が終わり、涼が資料をまとめていると、冴が隣に来た。
「今日、よかったね」
「うん」
「何が一番よかった?」
涼は少し考えた。
「売れたことじゃない」
「じゃあ?」
「売れなかった理由が分かったこと」
冴は笑った。
「やっぱり、そういうところ変わってない」
「どういうところ?」
「問題があると、面白くなるところ」
涼も笑った。
けれど、冴はそのあと少し黙った。
「……昔もそうだったよね」
涼の手が止まった。
冴は何もなかったように資料を持ち上げた。
「明日、九時から商店街だから」
「分かってる」
「じゃあ、お疲れさま」
「お疲れさま」
冴が部屋を出ていく。
涼は一人残った会議室で、しばらく動かなかった。
昔。
その言葉が、頭の中に残っている。
三年前に終わったはずの時間が、このプロジェクトの中で少しずつ戻ってきている。
しかし、涼にはまだ、それをどう受け止めればいいのか分からなかった。
翌週、プロジェクトに新しい問題が持ち込まれるまでは。
その朝、黒田から一本の電話が入った。
「永島さん」
声がいつもより硬かった。
「実は、御社の企画について、社内で少し問題が出まして」
「問題?」
「はい」
涼は立ち上がった。
黒田は少し間を置いてから言った。
「他社の商品を同じ商店街で扱う件です」
涼の表情が変わった。
「何かありましたか?」
「うちだけではなく、別の100円ショップにも同じ話をされていることが分かりまして」
「はい。それは最初から……」
「それを問題視する声が出ています」
電話の向こうで、黒田が息を吐いた。
「場合によっては、うちの参加を見直すことになるかもしれません」
涼は窓の外を見た。
商店街では、今日も六つの店が開店を待っている。
人が歩き始めるまで、あと一時間。
ようやく動き始めた企画が、思いもしなかったところから揺らぎ始めていた。
第十一章 同じ棚
電話を切ってからも、涼はしばらく窓の前に立っていた。
商店街の朝は、まだ静かだった。
昨日までと何も変わらない。
シャッターの上がる音。
トラックのエンジン音。
店先を掃く箒の音。
八時を過ぎると、文房具店の前を学生が通り始める。
それなのに、涼の頭の中だけが落ち着かなかった。
黒田の言葉が残っている。
参加を見直す。
その企業が抜ければ、一つの店舗が空く。
一店舗だけなら、まだ対応できる。
しかし、一社が抜ければ他社も判断を変えるかもしれない。
そうなれば、企画そのものが崩れる。
「どうしたの?」
冴が会議室へ入ってきた。
「黒田さんから」
涼は電話の内容を話した。
冴は黙って聞いていた。
「他社の商品を同じ商店街で扱ってることが問題になった」
「やっぱり来たね」
「分かってた?」
「可能性は考えてた」
「俺も考えてたけど、実際に言われると重いな」
冴は窓の外を見た。
「商売だから仕方ないよ」
「でも、この企画の核なんだ」
「分かってる」
冴は振り返った。
「だから、ここで諦めたら駄目」
その言葉に、涼は少しだけ気持ちが軽くなった。
「どうする?」
「まず、黒田さんの会社が何を心配しているのか聞く」
「競合商品が並ぶこと?」
「それだけじゃないと思う」
冴は椅子に座った。
「自社の商品を提供したのに、他社の売上を伸ばすことになるかもしれない。自社の商品がどんな位置づけになるのか分からない。そういう不安じゃないかな」
涼は頷いた。
それなら、数字を見せる必要がある。
ただ売れた、売れなかったではなく。
この企画に参加することで何が得られるのか。
その説明が足りなかった。
「今日の午後、黒田さんに来てもらおう」
涼が言った。
「商店街を見てもらう」
「もう見てるよ」
「今度は、売れてるところを」
冴が笑った。
「なるほど」
午後二時。
黒田が商店街に来た。
前回とは少し違う。
今回は涼と冴の二人だけで案内することにした。
「こちらです」
最初に文房具店へ入る。
平日の午後でも客がいた。
小学生の男の子が消しゴムを選んでいる。
その隣では、母親が収納用品の店の案内を見ていた。
「この商店街の面白いところは、買う場所が分かれていることです」
涼が言った。
黒田は黙って店内を見ていた。
「でも、それだけなら普通の専門店と同じですよね」
「違うのは、商品が全部100円商品だということです」
冴が続けた。
「しかも、一社の商品だけではない」
黒田は棚を見た。
「だから、御社の商品と他社の商品を比較できる」
「はい」
「それが、うちには問題なんですが」
「そこは分かっています」
冴は一枚の資料を差し出した。
「ただ、比較されるのは商品だけじゃありません」
黒田が資料を見る。
「販売場所、商品の見せ方、客層、時間帯。いろいろな条件を変えて比較できます」
「つまり?」
「御社の商品が、どんな場所で、どんな人に、どういう売り方をすると動くのか」
冴は静かに言った。
「普通の店舗では取れないデータが取れます」
黒田は資料を読み続けた。
そのとき、店の外から声が聞こえた。
「すみません」
高齢の女性が入口に立っている。
「電池はどこ?」
店員が案内する。
「日用品のお店です」
「ありがとう」
女性は商店街の奥へ歩いていく。
黒田はその姿を目で追った。
「こういう方が多いんです」
涼が言った。
「最初は目的の商品だけを買って帰る。でも、歩いているうちに別の店にも入る」
「実際にそうなっていますか?」
「データがあります」
井上がまとめた資料を見せる。
店舗間の移動率。
滞在時間。
再来店率。
購入点数。
黒田は数字を追った。
「……再来店率、結構ありますね」
「まだ一か月も経ってませんけど」
「これは面白い」
黒田の表情が少し変わった。
しかし、資料の最後で手が止まった。
「それでも、社内を説得するには弱いな」
「何が必要ですか?」
涼が聞いた。
「うちの商品だからこそ、という数字です」
黒田は資料を閉じた。
「他社と同じ条件で置かれている。その中で、うちの商品がどう動いているか」
「それなら出せます」
涼は答えた。
「今までもデータを取っています」
「どこまで?」
「商品別です」
黒田が顔を上げた。
「商品別?」
「どの商品が、何個売れたか」
「それを?」
「御社専用のレポートにします」
黒田は少し考えた。
「そこまでやるなら、社内でも話しやすい」
その日の帰り際、黒田は言った。
「参加をやめるという話は、いったん止めます」
涼は息を吐いた。
「ありがとうございます」
「ただし、条件があります」
涼の表情が戻る。
「何でしょう?」
「三か月目に中間報告をしてください」
「三か月目?」
「そこで数字が見えなければ、うちは判断します」
黒田は商店街を振り返った。
「一年は長いですからね」
「分かりました」
「三か月」
その言葉だけを残して、黒田は駅へ向かった。
涼はその背中を見送った。
冴が隣に来る。
「どう思う?」
「三か月か」
「短いね」
「短い」
けれど、涼は笑った。
「でも、やるしかない」
第十二章 商店街の会議
三か月目を目前にして、プロジェクトは新しい問題を抱えた。
売上は伸びている。
来店者も増えている。
しかし、商店街全体の既存店舗の売上が、思ったほど伸びていない。
100円ショップの六店舗には人が来る。
その人たちが、昔からある店へ流れているとは限らない。
八百屋。
食堂。
薬局。
文房具店。
それぞれの売上を見ると、変化はまちまちだった。
「このままだと、商店街再生とは言えないんじゃない?」
志保が言った。
会議室が静かになった。
涼も同じことを考えていた。
100円ショップだけが繁盛して、既存の店が変わらないなら、空き店舗を利用しただけになる。
それでは本来の目的から外れる。
「でも、100円ショップに来た人が他の店に入る仕組みを作るのは難しい」
井上が言った。
「買うものが違うから」
「だったら、同じ商品を置く?」
田島が言った。
「既存店と競合することになる」
「それじゃ意味がない」
冴が言う。
「むしろ、既存店の商品を100円ショップ側から紹介する」
全員が冴を見る。
「紹介?」
「例えば八百屋なら、野菜を買うだけじゃなく、その野菜を使うためのキッチン用品を百円ショップで見てもらう」
「なるほど」
涼が言った。
「食堂なら?」
「食堂で食べた人に、商店街の案内を渡す」
志保が続ける。
「この商店街で使える情報をまとめる」
「でも、それだけじゃ弱い」
加藤が言った。
「もっと具体的にしよう」
そこで、商店街の既存店舗を一軒ずつ回ることになった。
最初は八百屋だった。
「うちの商品を宣伝してくれる?」
店主は驚いた顔をした。
「100円ショップで?」
「はい」
「どうやって?」
冴が説明した。
季節の野菜。
その野菜を使うためのキッチン用品。
保存用品。
小さな調理器具。
それらを一つのテーマとして商店街の中でつなげる。
「つまり、買い物の道筋を作るんです」
志保が言った。
「野菜を買う。キッチン用品を見る。食堂で食べる。帰りに日用品を買う」
「そんなにうまくいくかね」
店主は笑った。
「やってみないと分かりません」
田島が答えた。
店主は少し考えた。
「じゃあ、やってみよう」
次は食堂。
その次は薬局。
そして、古くから続く洋品店。
店主たちは最初こそ戸惑ったが、話を聞くうちに少しずつ興味を持ち始めた。
夕方には、商店街の六店舗が参加することになった。
翌週から、小さな試みが始まった。
八百屋の入口に、キッチン用品店の案内。
キッチン用品店には、八百屋のおすすめ野菜の写真。
食堂には、商店街全体の地図。
薬局には、収納用品の案内。
それぞれの店が、自分の店だけではなく、別の店を紹介する。
最初はぎこちなかった。
それでも、一週間もすると変化が出た。
「昨日、キッチン用品買ってくれた人が、うちにも来たよ」
八百屋の店主が言った。
「本当ですか?」
「大した人数じゃないけどね」
そう言いながら、店主は嬉しそうだった。
その日の夕方、商店街の入口に一人の女性が立っていた。
買い物袋を二つ持っている。
一つは100円ショップの袋。
もう一つは八百屋の袋だった。
涼はその姿を見ていた。
それまで別々だった二つの袋が、一緒になっている。
それが妙に嬉しかった。
「見た?」
冴が隣に来た。
「うん」
「これだよ」
「何が?」
「私たちがやろうとしてたこと」
涼は女性の後ろ姿を見た。
100円ショップだけが商店街を変えるのではない。
100円ショップをきっかけに、人が昔からある店へも歩いていく。
店と店がつながっていく。
そのとき、商店街の奥から笑い声が聞こえた。
八百屋の店主と食堂の主人が、店先で何か話している。
以前なら、ほとんど見なかった光景だった。
