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連載 小説. 『 京都テクノリンク 』 連載 3回目
第六章 祭りの外側
翌年五月、葵祭の日にも仕事は入った。
行列の通る道から離れた会社だったが、市内の車はいつもと違う流れになっている。宏と真由美は部品を抱え、地下鉄と徒歩で向かった。
「京都の人は、みんな見に行かはると思ってました」
「そら、人によります。アパートの管理人のおばさんは、葵祭は徳川はんのお祭りや言うてました」
「徳川はん、ですか」
「葵祭、徳川幕府で検索したら出てきます。おばさんは、祇園祭は京都に来る観光客のお祭りや、とも」
「ほな、京都の人のお祭りは?」
宏は答えられなかった。
仕事を終えると、真由美が鴨川まで歩こうと言った。二人は人の少ない河原へ下りた。水は浅く光り、飛び石の上で子どもが立ち止まっている。
「あの日、河村さんが庇わはった人、泣いてたんです」
真由美が言った。
「僕は、機械のことを言うただけです」
「そういう言い方をする人やから、覚えてたんやと思います」
真由美はそれ以上言わなかった。
二人の間には、川幅ほどの距離が残った。それでも宏には、前より近く見えた。
第七章 鉾町の夜
七月に入ると、京都の暑さは朝から逃げ場をなくした。
町家の奥は風が通ると言われていたが、昼を過ぎるころには柱まで熱を持った。路地の打ち水は、涼しさよりも濡れた土の匂いを運んだ。
宵山の夕方、宏と真由美は四条烏丸で落ち合った。仕事ではない。真由美から誘ったのは賀茂川以来、二度目だった。
日が暮れても熱気は残り、提灯に灯が入るころには、鉾町を歩く人の肩が触れ合った。祇園囃子が建物の間で反響し、どこから聞こえてくるのか分からなくなる。
「観光客のお祭りや、て言うてはったんでしょう」
「そう言いながら、下宿のおばあさんも毎年、鉾の話はしてました」
「嫌いやったんですか、好きやったんですか」
「京都の人に、それを聞いても答えてくれません」
屏風祭の町家で、二人は人の列から少し離れた。表の明るさの奥に、代々伝わる屏風や道具が置かれている。見せるために暮らしてきたのではない家が、年に数日だけ、暮らしの一部を通りへ開く。
「会社も、こんなふうになれたらええですね」
真由美が言った。
「祭りのときだけ開けるんですか」
「全部見せるんやなくて、見せられるものをきちんと見せる。昔からあるものを邪魔にせんと、新しい人を入れるんです」
宏は、提灯の光を受けた真由美の横顔を見た。工場の正門で初めて名前を知った人が、いまは会社の先の姿を自分よりよく見ている。
人の流れに押され、真由美の手が宏の腕に触れた。離れないように宏が手を差し出すと、真由美は一瞬だけ迷い、その手を取った。
四条通へ出るまで、二人は手を離さなかった。
同じ夜、山下は佳織と先斗町の店にいた。佳織が経営者を紹介する席であり、二人きりではなかった。客を見送ったあとも、山下は仕事の話を続けた。
「もう仕事の話、終わったで」
「分かってる」
「分かってへん顔や」
店を出て三条大橋を渡ると、鴨川の西岸に川床の灯りが並んでいた。山下は佳織を食事に誘うつもりでいた。だが、誘えば自分が何年も彼女を目で追ってきたことまで見抜かれそうで、口にできなかった。
「明日、ゴルフか」
「それ聞いて、どうするん」
「別に」
「ほな、聞かんといて」
佳織は歩きだした。山下は反発する言葉を探しながら、その少し後ろをついていった。
第八章 後から来る者
創業から一年半が過ぎたころ、京洛ビジネスサポートという会社が現れた。
京都テクノリンクの仕事を、安い月額料金で全部引き受けるとうたっている。営業資料には「京都企業の困りごとを一括解決」とあった。
山下は腹を立てた。
「うちの真似や」
佳織は資料を一枚めくった。
「真似されるぐらい、分かりやすい商売になったいうことや」
「感心してる場合か」
「怒ったら客が戻るん?」
京洛は人をそろえ、電話を二十四時間受けた。京都テクノリンクの顧客にも安い見積書を出した。山下は対抗して料金を下げた。
最初に値下げを求めてきたのは、右京区の部品会社だった。
山下が通された会議室には、京洛の見積書が置かれていた。京都テクノリンクより三割安い。社長は見積書を指で押さえた。
「長いこと来てもろてるし、できたら山下さんとこに頼みたい。そやけど、会社としては、この差を無視でけへん」
山下は、同じ金額まで下げると答えた。
町家へ戻ると、真由美が契約書を読み、電卓を叩いた。
「この金額では、一回訪問したら赤字です」
「毎月行くわけやない」
「故障が重なったら?」
「長い客や。困ってはるときに守らんで、何のための会社や」
山下には、本当に顧客を守っているつもりがあった。創業時に仕事をくれた会社を、金額だけで京洛へ渡すことは裏切りに思えた。
「守るいうのは、ただ安うすることですか」
真由美が尋ねても、山下は契約書へ判を押した。
その一社を残すための値下げは、ほかの顧客にも伝わった。京都では秘密にした話ほど、どこからともなく広がる。二か月後、七社の契約料金が下がっていた。
仕事は増えた。金は残らなくなった。
真由美が最初の異変を見つけたのは、十月の支払日だった。
銀行の入出金明細と請求書を照らすと、売上は前月より増えている。それなのに、月末残高は減っていた。協力会社へ支払う外注費と、夜間対応の交通費が増えている。
彼女は顧客別に紙の色を変えた。黒字は白、利益がほとんどない契約は黄、訪問するたび損失が出る契約は赤。町家の座卓が、赤い紙で埋まった。
「一時的なもんや」
山下は言った。
「いつまでを、一時と言います?」
「京洛が音を上げるまでや」
「先にうちが音を上げます」
真由美は赤い紙を一枚ずつファイルへ戻した。怒鳴る代わりに紙の角をそろえる。その指先を、宏は見ていた。
宏は一日に五社を回り、夜は町家で報告書を書いた。真由美は支払い予定表を何度も作り直した。
十一月の雨の日、宏は朝から伏見、山科、岡崎を回り、夕方に木崎の工場へ入った。
検査機から異音がするという連絡だった。宏は音を聞き、駆動部の軸受けが摩耗していると判断した。交換には機械を半日止めなければならない。
「明日の朝一番で止めましょう」
宏が言うと、木崎は返事をせず、機械の横へ立った。
「もういっぺん聞いてみ」
「軸受けです。このまま回したら、ほかまで傷みます」
「ほんまに、その機械から鳴ってるか」
宏は苛立ちかけた。あと二件残っている。携帯電話は何度も震え、山下から到着時刻を尋ねる連絡が入っていた。
検査機を止めると、音も消えた。やはり間違っていない。そう思った直後、少し離れた集塵機が止まり、工場がさらに静かになった。
宏は顔を上げた。
もう一度、検査機だけを動かしてもらう。異音はしなかった。二台が同時に動いたとき、集塵機の振動が床を伝わり、検査機の覆いを鳴らしていたのだ。
軸受けを交換しても、音は消えなかった。
「すみません。判断を間違えるところでした」
木崎は宏を責めなかった。
「疲れてる耳は、自分が聞きたい音を聞く。今日はもう帰り」
「まだ二件あります」
「その二件でも、間違うんか」
宏は答えられなかった。
町家へ戻ると、山下は、なぜ残りの訪問を断ったのかと責めた。宏は木崎の工場で起きたことを話した。
「結果、間違ってへんかったんやろ」
「木崎さんが止めてくれたからです」
「今は一件でも断ったら、京洛へ行く」
「間違ったまま触ったら、一社どころやない」
「ほな、どうする。人がおらんのや」
「仕事を減らしてください」
山下が机を叩き、立ち上がった。宏も引かなかった。
二人の間に真由美は入らなかった。赤い紙のファイルを抱えたまま、言い争う二人を見ている。
会社は忙しいのではない。止まれなくなっている。
そのことを、三人とも別々の場所から見始めていた。
「今の経費のまま、これ以上値段を下げたら、三か月もちません」
「客を取られたら一か月ももたへん」
山下の声が荒くなる。
「人を増やしましょう」
「給料は誰が払う」
「払えへん仕事を取るのを、やめてください」
二人の間に宏が入った。
「言い争う前に、明日の現場を決めましょう」
派遣切りされた工場で、誰かを庇ったときと同じだった。だが今度は、正しいことを言うだけでは足りない。会社が止まれば、三人とも仕事を失う。
