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『 一人分の幅 』

 

第九章 まだ使えますか

 

商店街から市役所へ、催しの企画書が届いたのは一週間後だった。

 

表紙には仮の名称が書かれている。

 

堀川西リユース促進フェア。

 

冨永は一行目を読み、二行目へ進まなかった。

 

「誰がつけたんだろう」

 

隣の福田が画面をのぞく。

 

「商店街」

 

「役所みたいな名前だな」

 

「産業振興課が直したのかもしれない」

 

「じゃあ、役所だ」

 

企画書によると、家庭で不要になった品を商店街へ持参してもらい、修理、再利用、買い替えの相談を受ける。参加予定は六店舗と

 

「つづき」

 

。開催は十一月最初の日曜日。午前十時から午後四時まで。

 

目的の欄には、廃棄物の削減、地域内消費の促進、商店街の回遊性向上と並んでいる。

 

間違ってはいない。

 

だが、黒い羽織を持ってきた女性が、自分の行動を廃棄物の削減だと思っていたとは考えにくい。

 

冨永は企画書を印刷し、安田の机へ持っていった。

 

「広報課で支援できる範囲を確認したいのですが」

 

安田は表紙を見る。

 

「名前が固いな」

 

「はい」

 

「お前がつけたのか」

 

「商店街から、この名前で来ました」

 

「なら、勝手に変えるなよ」

 

「変えるなら、商店街で決めてもらいます」

 

安田は目的の欄へ目を移した。

 

「市の環境施策にも乗せられるかもしれん。環境局へ声をかけたらどうだ」

 

「話が大きくなりませんか」

 

「予算が取れるかもしれない」

 

「何に必要な予算か、まだ決まっていません」

 

「チラシと看板だろ」

 

「それは、種井さんが言っていただけです」

 

「誰だ」

 

「ラーメン店です」

 

安田はもう一度、企画書を読む。

 

「必要なものを出してもらえ。広報課では、案内物の作成と市の媒体への掲載。写真は各店から提供してもらう」

 

「取材撮影はしませんか」

 

「必要ならやる。ただし、前みたいに一人を主役にするな」

 

「市が企画するわけではありません」

 

「わかってる。テレビ局の話だ」

 

安田は企画書を返した。

 

「環境局は、内容が固まってからでいい。先に商店街の言葉を聞いてこい」

 

その日の午後、冨永は

 

「余計なお世話」

 

へ電話をかけた。

 

「市役所広報課の冨永です」

 

「知ってます」

 

京子の声の後ろで、金属の触れ合う小さな音がする。

 

「『つづき』から、各店への聞き取りと、見せ方について依頼を受けられたと伺いました」

 

「昨日、依頼書を受け取りました」

 

「市の案内を作るため、聞き取りの結果を共有していただけますか」

 

「まだ三軒しか回ってません」

 

「いつごろ、まとまりますか」

 

「来週の水曜日。それより前に必要ですか」

 

「いいえ。水曜日の午後、こちらから伺います」

 

「三時なら」

 

「三時に伺います」

 

用件だけで電話は終わった。

 

冨永は受話器を置き、手帳へ日時を書く。

 

店を通して連絡する。

 

京子が決めた方法を守れば、話は短い。

 

京子は六日間で、参加を考えている七つの場所を回った。

 

最初は衣料品店。

 

「ボタンつけと、裾上げなら、その日にできるものもあるわよ」

 

店主は古い裁縫箱をカウンターへ出した。

 

「ファスナー交換は?」

 

「預かり。裏地まで傷んでたら断る」

 

「他店で買った服は?」

 

「見るけど、何でも直すとは書かないで」

 

「料金は」

 

「見ないと決められない」

 

「目安も出せない?」

 

「ボタン一個なら三百円から。裾上げは千円から」

 

「持ってくる前に、洗ってもらう?」

 

「それは絶対」

 

京子は聞いた通りに書く。

 

次は時計店。

 

店頭の看板には、電池交換、バンド調整、時計修理とある。

 

「壊れた時計なら、何でも見てもらえますか」

 

「見るだけならな」

 

店主が答える。

 

「直せるのは?」

 

「腕時計の電池、バンド。動かん時計は中を見ないとわからん」

 

「古い置き時計は?」

 

「うちではやらん」

 

「看板には時計修理って」

 

「腕時計のことだ」

 

「客にはわからないですよ」

 

「持ってきたら言う」

 

「持ってくる前に言うための催しです」

 

京子は看板の文字を見上げた。

 

「『腕時計の電池とバンド。動かない時計は、修理できるか確認します』」

 

「長い」

 

「短くすると、置き時計を持ってきますよ」

 

「持ってきたら帰す」

 

「重いのを抱えて?」

 

店主は黙る。

 

「古い置き時計、柱時計は扱いません、も入れます」

 

「何でも書くと客が来んぞ」

 

「できないものを持って来られるよりいいでしょう」

 

時計店主は気に入らない顔をしたまま、最後にはうなずいた。

 

塚口の喫茶店では、珈琲器具の手入れを相談できることになった。

 

「豆の挽き方も教える」

 

「器具を買ってない人にも?」

 

「来た人なら」

 

「無料?」

 

「珈琲を一杯頼めば」

 

「また、それ」

 

「喫茶店だからな」

 

「壊れた器具は直せる?」

 

「直せん」

 

「じゃあ、持ち込みはなし」

 

「写真なら見る」

 

幸子のクレープ店は、包装の相談をすると言い出した。

 

「食べきれないクレープを、どう包むか?」

 

京子が聞く。

 

「違う。家にある布で、小さい贈り物を包む方法。前に『つづき』の子に教えてもらったの」

 

「幸ちゃんが教えるの?」

 

「『つづき』の三人に来てもらう」

 

「それは、『つづき』の仕事でしょう」

 

「じゃあ、うちはクレープを売る」

 

「いつも通りだね」

 

「催しの日だけ、古いハンカチを持ってきた人に五十円引き」

 

「そのハンカチをどうするの」

 

「包み方を教えて、そのまま持って帰ってもらう」

 

「誰が教える?」

 

幸子は少し考える。

 

「京子」

 

「やらない」

 

「けち」

 

「依頼するなら考える」

 

「いくら?」

 

「内容を決めてから」

 

幸子の案は、いったん保留になった。

 

種井のラーメン店へ行くと、がたついていた椅子が一脚、店の外に出ている。

 

「直したんですか」

 

「釘を一本打った」

 

「がたつきは?」

 

「止まった」

 

京子が座ると、椅子はわずかに左へ傾いた。

 

「止まってない」

 

「京ちゃんの座り方が悪い」

 

「催しで、椅子を直すんじゃなかった?」

 

「客の椅子を直してどうする。大工じゃないぞ」

 

「じゃあ、種井さんは何をするの」

 

「ラーメン」

 

「いつも通り」

 

「人が来たら腹が減る」

 

それは間違っていない。

 

種井の店は、相談場所として二階を貸し、通常通りラーメンを出す。できることの欄には、場所の提供と書いた。

 

「つづき」

 

は、服の作り替え相談と、簡単な布包みを担当する。

 

元洋品店の次の出店者は、古本とレコードを扱う男性だった。最初の選考で

 

「つづき」

 

と並んで残り、別の空き店舗を紹介された人物である。短期出店の順番が回り、今は元洋品店へ入っていた。

 

「傷んだ本の補修なら、簡単なものだけ」

 

店主は背表紙の外れた文庫本を見せた。

 

「価値のある古書は触りません。専門店へ持っていってもらう」

 

「レコードは?」

 

「汚れの落とし方。傷は直せない」

 

「写真だけでも相談できます?」

 

「盤面は、実物を見ないと」

 

「割れたものは?」

 

「持ってこないでください」

 

「大きく書きます」

 

最後に、京子は自分の店の欄を書いた。

 

アクセサリーの留め具交換。

 

切れた紐やチェーンの修理。

 

片方だけになったイヤリングの作り替え相談。

 

宝石、貴金属の鑑定はしない。

 

高価な品は預からない。

 

料金は、部品代と作業内容による。

 

書き終えてから、客の側に立つように、紙を向こうへ回して読んだ。

 

何を直してくれる店かはわかる。

 

なぜ催しの日に行くのかは、わからない。

 

普段でも受けている仕事である。

 

京子は紙の一番上に、一行足した。

 

捨てようか迷っているものも、見せてください。

 

水曜日の午後三時、冨永が店へ来た。

 

京子は七店分の聞き取りを、作業台へ並べている。

 

「まとまりましたか」

 

「まとまったようで、まとまってません」

 

冨永は椅子へ座らず、紙を一枚ずつ見る。

 

「時計店は、扱わないものが多いですね」

 

「看板より、できることが少なかった」

 

「衣料品店は、洗濯して持参」

 

「そこは大きく書いてください」

 

「写真店は、参加しないんですか」

 

「店主が腰を痛めて、催しの日は休むそうです」

 

「七店ではなく、六店と『つづき』ですね」

 

「私の店を入れれば、六店」

 

「最初から入っています」

 

「括弧でした」

 

「もう参加されるのでは?」

 

京子は自分の店の紙を見る。

 

「依頼を受けた仕事だけして、自分の店は出ないのも変でしょう」

 

「では、括弧を外します」

 

冨永は手帳の店名を囲んでいた線を消した。

 

紙を読む間、二人の会話は途切れる。

 

京子は工具を整理し、冨永は必要な箇所へ印をつける。同じ机の両端で、それぞれ別のものを見ている。

 

「催しの名前、決まりました?」

 

京子が尋ねた。

 

「仮称は『堀川西リユース促進フェア』です」

 

京子の手が止まる。

 

「誰が行きたいと思うんですか、それ」

 

「まだ仮です」

 

「市役所の人?」

 

「たぶん」

 

「捨てようか迷ってる服を持って、『リユースを促進しよう』と思う人はいないでしょう」

 

「目的には合っています」

 

「目的の名前をつけるんですか」

 

冨永は自分の企画書を出した。

 

廃棄物の削減。地域内消費の促進。商店街の回遊性向上。

 

京子が読む。

 

「店の人は、こんな話してませんでしたよ」

 

「市の支援を受けるには、事業の目的が必要です」

 

「チラシにも書くんですか」

 

「そのままは書きません」

 

「なら、これは市役所の中だけに置いてください」

 

京子は七店分の紙を重ねた。

 

一番上に、自分が書いた一行がある。

 

捨てようか迷っているものも、見せてください。

 

「催しの名前、これでいいんじゃないですか」

 

冨永がその一行を見る。

 

「『捨てようか迷っているもの』?」

 

「長いですね」

 

「『まだ使えますか』」

 

京子は顔を上げた。

 

「質問にする?」

 

「店へ持ってくる人が、聞きたいのはそれでしょう」

 

「直せますか、じゃなくて?」

 

「直せないものもある。直さずに持って帰る人もいる」

 

冨永は企画書の仮称へ二本の線を引いた。

 

その上に書く。

 

まだ使えますか。

 

京子は文字を横から見る。

 

「句点はいらない」

 

「疑問符は?」

 

「つけない方がいい」

 

「催しだとわかりませんね」

 

「下に書けばいいでしょう。堀川西商店街――」

 

「ものを直す、相談する、一日」

 

「少し説明してる感じ」

 

「案内なので、説明は要ります」

 

二人は言葉を入れ替えた。

 

直す日。

 

捨てる前の日。

 

もう一度使う日。

 

どれも少し違う。

 

最後に残ったのは、

 

「まだ使えますか」

 

「直す人と、相談できる一日」

 

という二行だった。

 

「直す人、でいいですか」

 

冨永が尋ねる。

 

「直せない人もいるけど」

 

「相談できる人、では?」

 

「何の相談かわからない」

 

「では、直す人」

 

「仮で」

 

「はい。仮で」

 

催しの名前が決まったわけではない。

 

商店街へ持ち帰り、参加店の了承を得る必要がある。

 

企画書の表紙にあった言葉より、店先へ置いたときの形が見えていた。

 

冨永は次に、各店の案内文を作り始めた。

 

時計店の欄で、文字数が増える。

 

「古い置き時計、柱時計は扱いません。これ、大きく書くと、できないことばかり目立ちます」

 

「小さくしたら持ってきますよ」

 

「店主は客が来なくなると言っています」

 

「持ってきて断られた客は、もっと来なくなる」

 

「では残します」

 

喫茶店の欄には、器具の持ち込み不要、写真で相談、と入れる。

 

衣料品店には、洗濯済みの服のみ。

 

古本店には、高価な古書の補修は不可。

 

京子の店には、高価な品は預からない。

 

「『高価』って、いくらからですか」

 

冨永が尋ねる。

 

「客が高価だと思うもの」

 

「それでは基準になりません」

 

「値段だけでは決められないんです。家族からもらったものは、安くても預かりたくない場合がある」

 

「では、『紛失した場合に代わりのきかない品は、その場での相談のみ』」

 

「長い」

 

「意味は通ります」

 

「市役所ですね」

 

「案内ですから」

 

京子は笑い、文章をそのまま残した。

 

七店分を終えたころ、外が暗くなっている。

 

冨永は時計を見る。

 

五時二十分。

 

「店を閉める時間まで、使ってしまいました」

 

「今日は客が二人しか来なかったから」

 

「その二人を、待たせませんでしたか」

 

「一人は三時前。一人は、あなたが紙を読んでる間に会計しました」

 

冨永は顔を上げる。

 

「気づきませんでした」

 

「静かなお客さんだったから」

 

京子は紙を揃え、店ごとにクリップで留める。

 

「市役所へ持っていくものと、商店街へ返すもの、分けます?」

 

「同じ内容を、両方で確認します」

 

「それなら二部ずつ」

 

京子が複写機の蓋を開ける。

 

冨永は止めなかった。

 

「用紙代は、市で出します」

 

「七枚くらい、いいですよ」

 

「仕事で使うものです」

 

「じゃあ、十四円」

 

「請求してください」

 

「本当に十四円の請求書を作らせるつもり?」

 

「難しいですね」

 

「市役所ですね」

 

二人とも手を止めず、少し笑った。

 

複写機から出た紙を冨永が取り、京子が店ごとに揃える。

 

一部は商店街。

 

一部は市役所。

 

京子の手元に残す一部。

 

いつの間にか三部になっていた。

 

「二部ずつじゃなかったですか」

 

冨永が言う。

 

「私も使うから」

 

「では、二十一円です」

 

「請求しません」

 

紙を鞄へ入れ、冨永は店を出た。

 

家へ帰ると、潤が食卓で、黄色いボタンを段ボールの切れ端へ縫いつけている。

 

針には太い糸が通り、裏側で何度も絡まっていた。

 

「何を作ってる」

 

「まだ決めてない」

 

「縫ってから?」

 

「ボタンをつけたら考える」

 

綾子が台所から振り返る。

 

「誰かさんと同じこと言ってるよ」

 

「長谷部さんか」

 

「覚えてたんだ」

 

「店の人だから」

 

冨永は上着を椅子へ掛ける。

 

「今日、その長谷部さんの店で打ち合わせだった」

 

「そう」

 

綾子は味噌汁の味を見ている。

 

「今度、商店街で、物を直せるか相談する催しをやる」

 

「黄色いボタンも?」

 

潤が顔を上げる。

 

「それは、壊れてないだろ」

 

「何に使うかわからない」

 

「それを相談する日じゃない」

 

答えてから、冨永は少し考える。

 

「たぶん」

 

「名前は?」

 

綾子が尋ねる。

 

「『まだ使えますか』」

 

「いい名前だね」

 

「まだ仮だ」

 

「誰が考えたの」

 

冨永は鞄を開け、企画書の表紙を見る。

 

最初にその一行を書いたのは、自分である。

 

けれど、元になった言葉は、京子の聞き取りにあった。

 

「二人で」

 

答えは、それしかなかった。

 

綾子は味噌汁の火を止める。

 

「仕事ができる人なんだね、長谷部さん」

 

「そうだな」

 

「あなた、楽しそう」

 

冨永は潤の手元を見る。

 

黄色いボタンの穴へ糸が四度通り、段ボールへしっかり留まっている。

 

「仕事だから」

 

「仕事が楽しいって、悪いことじゃないよ」

 

綾子は椀を三つ並べた。

 

それ以上、何も尋ねない。

 

冨永も説明を足さなかった。

 

翌日、商店街へ出した名称案は、店主全員の賛成で決まった。

 

種井だけが、

 

「まだ食べられますか、みたいだな」

 

と言った。

 

幸子が、

 

「ラーメン屋には合ってるでしょう」

 

と返し、話は終わった。

 

催しまで、あと四十日。

 

六つの店と「つづき」に、初めて同じ名前がついた。