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『 一人分の幅 』

 

第七章 三か月目のあと

 

「つづき」

 

の開店から二か月が過ぎたころ、市役所から一枚の紙が届いた。

 

作業台の端へ置いたまま、河合美里はしばらく手をつけなかった。

 

短期活用事業終了後の意向確認。

 

紙には三つの四角が並んでいる。

 

同じ店舗で営業を継続する。

 

市内の別の店舗へ移転する。

 

事業を終了する。

 

どれも、いまの三人には少しずつ違っていた。

 

河合は鉛筆を持ったが、先端はどの四角にも触れなかった。

 

店を続けたくないわけではない。

 

けれど、三人とも別の仕事を持っている。いまは交代で店に立ち、仕事のあとに縫っている。それができているのは、

 

「三か月だけ」

 

という期限があるからでもあった。

 

同じ店舗を借りれば、家賃が増える。

 

別の場所へ移れば、また棚を運び、看板を作り直す。

 

そして

 

「事業を終了する」

 

と書かれた四角を見ると、店だけでなく、ここで始めた仕事まで終わるような気がした。

 

「これ、どれに丸をつける?」

 

河合が作業台へ置く。

 

ミシンを担当している女性が電源を切った。もう一人も、値札を書く手を止める。

 

「同じ店は無理だよね」

 

「家賃だけなら、三人で割れば払えなくはないけど」

 

「電気代もあるし、毎日開ける人がいない」

 

「土日だけ営業したら?」

 

「店の持ち主が、それで貸してくれるかな」

 

三人は紙を囲んだまま動かない。

 

入口から、商店街の音が入ってくる。幸子の店でクレープの鉄板をこする音。自転車のベル。塚口が誰かを呼ぶ声。

 

この二か月で、すっかり聞き慣れた音だった。

 

「事業を終了する、になるのかな」

 

一人が言う。

 

言葉にした途端、店の中が少し広く感じられた。

 

棚も作業台も、まだ同じ場所にある。預かった服も五着残っている。それなのに、三か月目の終わりだけが、入口のすぐ外まで来ているようだった。

 

河合は意向確認の紙を裏返した。

 

「すぐには出さない」

 

三日後、商店街の会合が開かれた。

 

場所は、元洋品店の二階にある小さな集会室である。長机をコの字に並べ、塚口、幸子、種井を含む九人の店主が座っている。

 

市役所からは、産業振興課の職員と冨永が出席した。

 

「つづき」

 

の三人は、入口に近い席へ並んでいる。

 

京子はいない。

 

商店街組合の会合であり、組合員ではない京子が出る理由はなかった。

 

「で、三か月のあと、どうするんだ」

 

開会の挨拶が終わる前に、種井が河合へ尋ねた。

 

「まだ決めていません」

 

「同じ店で続ける気はないのか」

 

「続けたい気持ちはあります。ただ、今と同じ営業日数は難しいです」

 

「三人いるだろ」

 

「三人とも、ほかの仕事があります」

 

「最初からわかっとったことじゃないか」

 

種井の声は怒鳴るほど大きくない。だからこそ、河合たちは言い訳を探せない。

 

「はい」

 

河合は正面から答えた。

 

「わかっていました。でも、実際に店を開けないと、どれだけ時間が要るのかわかっていませんでした」

 

「やってみたら無理だった、と」

 

「今の形のままでは」

 

種井は腕を組む。

 

「じゃあ、また空き店舗に戻るな」

 

長机の反対側で、誰かが小さく息をついた。

 

この事業が始まる前にも、同じ問いが出ていた。

 

三か月後、この店はどうなるのか。

 

冨永は資料を開いたまま、口を挟まなかった。

 

河合たちが自分たちの言葉で話している間に、市役所が代わって説明すれば、続けられない理由まで市が決めることになる。

 

幸子が身体を前へ出した。

 

「店がなくなったら、ここで受けた注文はどうするの」

 

「今の注文は、期間中に全部仕上げます。そのあとは、連絡をもらって三人の作業場所で受けられるようにしたいです」

 

「作業場所って?」

 

「一人の家に、ミシンと材料を置いています」

 

「客が服を持っていく場所はないんでしょう」

 

「はい」

 

「それで、商売になるんですか?」

 

河合は答えられない。

 

産業振興課の職員が資料を見ながら口を開いた。

 

「市内の別の空き店舗をご紹介することは可能です」

 

「別の商店街へ行かせるのか」

 

塚口が低い声で言う。

 

「候補としてです。この店舗は、事業期間終了後、所有者と通常の賃貸契約を結んでいただくことになりますので」

 

「家賃を下げてもらう話はできんのか」

 

「所有者の判断になります」

 

「市は三か月だけ連れてきて、あとは知らんということか」

 

職員の顔が硬くなる。

 

「そういうことではありません。継続を希望される場合は――」

 

「継続したくても、毎日開けられんと言っとるだろ」

 

塚口の隣で、幸子が手を上げた。

 

「叔父さん、怒っても店は開かんよ」

 

「わかっとる」

 

「わかってない顔してる」

 

塚口は黙った。

 

会議の空気が、少しだけ動く。

 

冨永は資料の余白へ、河合が先ほど言った言葉を書いた。

 

客が服を持っていく場所がない。

 

店を持つことより、その方が問題なのかもしれない。

 

「確認してもいいですか」

 

冨永が河合を見る。

 

「三か月後も、作り替える仕事そのものは続けたいんですね」

 

「はい」

 

「必要なのは、毎日開ける店舗ですか。それとも、客から品物を受け取り、相談できる場所ですか」

 

河合は両隣を見る。

 

「相談できる場所です。作業は別でもできます」

 

「どのくらいの頻度なら、三人がそろえますか」

 

「月に二回なら」

 

「一日ずつ?」

 

「土曜日に一日。もう一日は、平日の夕方でも」

 

産業振興課の職員が冨永の方を向く。

 

「短期活用事業は、店舗の営業を前提にしています」

 

「事業期間中は営業しています。今は、終了後の話です」

 

「終了後の支援として、市が場所を用意する制度はありません」

 

「用意する必要があるかは、まだわかりません」

 

冨永は商店街の店主たちを見る。

 

「月に二回、相談を受けられる場所が、この中にありますか」

 

誰もすぐには答えない。

 

塚口の喫茶店なら、奥の席を一つ空けてもらう必要がある。

 

幸子の店では、服を広げる台が足りない。

 

種井の店では、ラーメンの匂いがつく。

 

三人の顔に、同じことが浮かんでいた。

 

場所は欲しい。

 

けれど、どこでもいいわけではない。

 

「月に二回だけ、この店を借りるのは?」

 

幸子が尋ねた。

 

産業振興課の職員が首を横へ振る。

 

「所有者との交渉になりますが、ほかの借り手を募集する以上、月二回だけ押さえるのは難しいと思います」

 

「じゃあ、また空くまで使うとか」

 

「次の募集をする予定です」

 

「次がすぐ決まるの?」

 

「それは、まだ」

 

話は、少しずつ同じところへ戻ってくる。

 

冨永は時計を見なかった。

 

店主の一人が椅子へ深く座り、別の一人が資料をめくる。河合たちは、三つの四角を前にしたまま黙っている。

 

誰も決められない。

 

決められないまま、一時間が過ぎた。

 

「今日は、続けるかやめるかを決める会じゃなかったはずです」

 

冨永が言う。

 

皆の視線が集まる。

 

「終了後に何が必要かを確認する会です。今わかったのは、三人は仕事を続けたいこと、毎日の店舗は持てないこと、月に二回なら相談日を設けられることです」

 

「場所がない」

 

種井が言う。

 

「はい。場所は決まっていません」

 

「それだけか」

 

「今日は、それだけでいいと思います」

 

種井は納得していない顔をしていた。

 

けれど、すぐに答えの出ない話を続けても、誰かが無理を引き受けるだけである。

 

塚口が腕をほどいた。

 

「次はいつだ」

 

「二週間後ではどうでしょう。その間に、市は使える制度や場所がないか調べます。商店街でも、月二回なら何ができるか考えていただく」

 

「三人は?」

 

「終了後に、どのような形で注文を受けるのか整理してください」

 

冨永は最後に、意向確認の紙を見る。

 

「この三つに当てはまらないなら、まだ丸をつけなくて結構です」

 

産業振興課の職員が横を向く。

 

「提出期限があります」

 

「期限まで、あと十日あります」

 

「十日で決まりますか」

 

「決まらなければ、決まっていないと書いて出します」

 

職員は何か言おうとしたが、安易に丸をつけさせるより、その方が正確である。結局、口を閉じた。

 

会合が終わると、店主たちは階段を下りていった。

 

種井は河合たちへ、

 

「やめるなら早く言えよ」

 

とだけ言う。言葉は冷たいが、声には先ほどの硬さがない。

 

幸子は三人の肩を順にたたき、店へ戻った。

 

塚口は冨永をつかまえようとしたが、喫茶店から客に呼ばれ、舌打ちしながら走っていく。

 

夕方、河合たちは

 

「余計なお世話」

 

を訪ねた。

 

京子は客に、赤いスカートへ合わせる上着を説明しているところだった。三人は店の外で待つ。

 

ガラス越しに、京子が客の背中へジャケットを当てるのが見える。少し離れ、前から見て、また近づく。

 

客が帰ったあと、河合たちは中へ入った。

 

「会合、どうだった?」

 

「店は続けられないって言いました」

 

「そう」

 

京子は赤いスカートを畳み、棚へ戻す。

 

「怒られました」

 

「誰に」

 

「種井さんと、塚口さん」

 

「二人とも、店を続けてほしいんだよ」

 

「言い方が、そう聞こえません」

 

「あの二人に、聞こえるように言えっていうのは無理」

 

河合は意向確認の紙を作業台へ置いた。

 

「どれにも丸をつけられなくて」

 

京子は三つの選択肢を読む。

 

「仕事をやめるわけじゃないんでしょう」

 

「はい。月に二回、相談を受けられる場所があれば続けたいです」

 

「月に二回なら、店じゃなくてもいいね」

 

「でも、服を広げられて、鏡があって、話ができるところが必要です」

 

京子は自分の店を見回した。

 

鏡はある。作業台もある。

 

三人の視線が、同じように店内を動く。

 

「ここは駄目」

 

京子が先に言った。

 

河合が目を戻す。

 

「まだ何も言ってません」

 

「顔が言ってた」

 

「月に一回だけでも」

 

「私の店で受けたら、『つづき』が私の仕事になる。客も、どっちに頼んでるのかわからなくなる」

 

三人は黙る。

 

京子は意向確認の紙を裏返した。

 

「でも、月に二回だけ必要なら、一つの場所じゃなくてもいいんじゃない」

 

「どういうことですか」

 

「毎月、違う店を借りる。今月は喫茶店の閉店後。来月は、どこかの空いてる二階。服を広げられる日だけ、場所を作る」

 

「お客さんが迷いませんか」

 

「次の相談日と場所を、前の月に知らせる。ずっとある店を探すから家賃が要るんでしょう」

 

河合は紙の裏へ書き始めた。

 

「商店街の店を順番に借りる……」

 

「貸してくれるかは知らないよ。私が決めることじゃない」

 

「会合で言えばよかった」

 

「私は組合員じゃないから、会合には出ない」

 

「次の会合で、私たちが言います」

 

「自分たちで考えたこととして?」

 

河合の鉛筆が止まる。

 

「長谷部さんに聞いたと言います」

 

「ならいい」

 

京子は意向確認の紙を河合へ返した。

 

翌日、冨永の机に三つの資料が置かれた。

 

市の貸会議室。

 

創業支援施設の共用スペース。

 

空き店舗を一日単位で使う実証事業。

 

どれも、一枚目だけを見ると使えそうだった。

 

貸会議室では商品の販売ができない。共用スペースは相談には使えるが、市役所の反対側にあり、商店街から離れる。実証事業は来年度からである。

 

冨永は資料を机へ並べた。

 

「ないの?」

 

福田が尋ねる。

 

「使えそうで、使えないものが三つある」

 

「役所の資料らしいな」

 

福田は笑った。

 

「商店街の中で、月に二回だけ場所を変えるのはどうだろう」

 

福田が椅子を回す。

 

「急にどうした」

 

「一つの店を借りるから家賃が要る。毎回、空いている場所を借りれば、固定費は減る」

 

「誰が場所を探すの」

 

「商店街と三人」

 

「市は?」

 

「日程と場所を案内する」

 

「それ、制度にある?」

 

「ない」

 

「じゃあ、課長が嫌がる」

 

「だろうな」

 

冨永は三つの資料を重ねた。

 

けれど、思いついただけでは提案にならない。

 

場所を変えるたびに、誰が鍵を開けるのか。

 

品物を運ぶのは誰か。

 

料金を受け取るのは誰か。

 

事故が起きたとき、誰が責任を持つのか。

 

冨永は、机の上に並んだ三枚の紙を重ねた。

 

使える場所を探すだけでは足りない。使える仕組みにしなければならない。

 

その日の午後、

 

「つづき」

 

から一通のメールが届いた。

 

件名は、

 

「終了後の相談日の案」。

 

添付された紙には、月二回、商店街の中で場所を変えながら相談を受ける、と書いてある。

 

冨永は一行目を読み、椅子の背から身体を起こした。

 

自分が午前中に考えたものと、ほぼ同じだった。

 

ただ、添付には、その先がある。

 

場所を貸す店にも客が立ち寄るよう、相談日は各店の営業時間に合わせる。喫茶店なら閉店後ではなく、客席の一角を予約制で使う。服を広げる必要がある場合は、元洋品店の空いている日を借りる。

 

毎回同じ場所にしないことを、不便ではなく、商店街を知ってもらう機会にする。

 

最後に、小さく書き加えてある。

 

長谷部京子さんの助言を受け、三人で作成。

 

冨永はその一行をしばらく見た。

 

名前を消す必要のない紙だった。

 

市の広報ではない。

 

「つづき」

 

が、自分たちの仕事を続けるために作った案である。

 

冨永は資料を印刷し、安田の机へ持っていった。

 

「次の会合に出す前に、相談があります」

 

安田は一枚目を読み、二枚目へ進む。

 

「誰が考えた」

 

「『つづき』の三人です。店外の助言も受けています」

 

「お前も同じことを考えてた顔だな」

 

「はい」

 

「だったら、先に言えばよかっただろ」

 

「運用まで考えられていませんでした」

 

安田は紙を机へ置く。

 

「これは、市がやる事業か?」

 

「市が場所を用意する必要はありません。商店街と三人が合意した日程を、市が案内する。短期活用事業の終了後支援として、半年間だけです」

 

「市が案内すれば、公的な事業に見える」

 

「だから、条件を作ります。一つの店だけを支援するのではなく、短期活用事業を終えた出店者が、商店街との活動を続ける場合に使える仕組みにします」

 

「ほかに対象がいないだろ」

 

「今は、いません」

 

「長谷部という人だけを記事に載せないようにしたお前が、今度は一つの店のために制度を作るのか」

 

冨永は答えるまでに少し時間を置いた。

 

「一つの店で試すことと、一つの店だけを特別扱いすることは違います」

 

「どう違う」

 

「次に同じ条件の出店者が出たとき、同じように使える形にします」

 

安田はもう一度、資料を読む。

 

赤いペンは持っていない。

 

「半年は長い。三か月にしろ」

 

「それでは、相談日が六回しかありません」

 

「試すには六回で十分だ」

 

「結果が出なければ」

 

「やめる。結果が出れば、そのとき考える」

 

冨永はうなずいた。

 

「わかりました」

 

「産業振興課を先に通せ。広報課だけで動くなよ」

 

「はい」

 

安田は資料を返す。

 

「それから、その長谷部という人に、市役所の案を作らせるな」

 

「作らせていません」

 

「ならいい」

 

冨永は紙を受け取り、自分の席へ戻った。

 

福田が椅子を寄せる。

 

「課長、何て?」

 

「三か月なら検討する」

 

「通ったの?」

 

「まだ、入口に立っただけだ」

 

冨永は新しい文書を開いた。

 

短期活用事業終了後の地域連携試行。

 

仮の名称を打ち込み、すぐに消す。

 

名前をつけるのは、最後でいい。

 

今は、誰が鍵を開け、どこへ服を運び、客がどこへ行けばいいのかを書く必要がある。

 

商店街の側にしかわからないことは、まだ多い。

 

市役所の中でしか決められないこともある。

 

冨永は

 

「つづき」

 

へ返信した。

 

次回の会合で検討するため、場所を貸す側の条件を確認してください。

 

市で確認すべき事項は、こちらで整理します。

 

送信してから、宛先を見直す。

 

三人の共有アドレスだけである。

 

長谷部京子の名は入っていない。

 

二人が同じことを考えていたと、互いに知る必要はなかった。