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『 一人分の幅 』
第二章 似合わないもの
京子が「余計なお世話」の格子戸を開けたのは、十一時より五分早かった。
店先の白い看板を外へ出し、戸の上に掛けた札を〈営業中〉へ裏返す。
通りからは、店の中が半分ほどしか見えない。
土間を改装した店内に、木製の棚が三つ。銀色のイヤリング、色石を使ったブローチ、細い革紐のネックレスが、少しずつ間を空けて並んでいる。
数は多くない。
空いたところへ品物を詰めれば、もう少し賑やかに見える。それでも京子は、一つを見ているときに隣の色が入ってくるのを好まなかった。
奥の壁には細長い鏡がある。
客が品物だけでなく、身につけた自分まで見られる大きさだった。
京子はカメラを作業机へ置く。
塚口の店で撮った写真は、夜に見るつもりである。店を開ける前に急いで選べば、ピントや明るさだけで決めてしまう。一度時間を置いた方が、何を見せたかったのか分かることもあった。
今日仕上げるのは、乳白色の石を使ったイヤリングである。
京子は椅子へ座り、細い金属線をペンチで曲げる。
一度で形を決めようとすると、角が立つ。少し曲げては指を離し、左右を見比べる。足りなければ、もう少しだけ力を加える。
片方ができたところで、格子戸の鈴が鳴った。
「こんにちは」
三十代半ばくらいの女が入ってくる。
赤いワンピースを着ていた。
身体の線に沿った細身のもので、胸元には布を重ねた飾りがある。腰にも同じ色の細いベルト。靴は黒、鞄には金色の留め金。
「いらっしゃいませ」
「これ、昨日、窓から見えて」
客は正面の棚へ近づき、金色のネックレスを手に取った。
細い鎖の先に、小さな赤い石が三つ並んでいる。
「友達の結婚式に着けたいんです」
客は鏡の前に立ち、ネックレスを胸へ当てた。
京子は会計台から出て、客の斜め後ろへ移る。
鏡の正面は空けておく。
客が自分の姿をよく見られる位置だった。
「結婚式には、そのワンピースを?」
「はい。先週買ったばかりなんです」
客は身体を少し横へ向ける。
気に入っているのが分かる。似合うかどうかを聞きに来たのではない。もう決めた服に合うアクセサリーを探している。
京子は、ネックレスからワンピースへ目を移した。
ワンピースの形は、客の身体によく合っている。腰の位置もきれいだった。ただ、胸元にはすでに飾りがある。そこへ赤い石を足せば、顔より先に服とネックレスが目へ入る。
「そのネックレスは、やめた方がいいです」
客の身体が鏡の前で止まった。
「色が合いませんか」
「色ではなくて、ワンピースの飾りと喧嘩します。鞄の金具も金色なので、全部が前へ出すぎます」
客はネックレスを胸から離した。
鏡の中で、先ほどまでより顔が硬くなっている。
「では、どれなら合いますか」
言葉は丁寧だったが、声の温度が少し下がっていた。
京子は別の棚から、細い銀色のイヤリングを取る。小さな透明の石が一つだけ付いている。
「こちらなら」
「銀色ですか」
客は手に取ろうとしない。
「鞄が金色なのに?」
「金具は小さいので、無理に合わせなくても大丈夫です。それより胸元には何も足さない方が……」
「今日は、ネックレスを買いに来たんです」
客が京子の言葉を止める。
狭い店の中へ、格子戸の外を通る自転車の音が入った。車輪が石を踏み、短く跳ねる。
京子は銀色のイヤリングを持ったまま、客の横顔を見る。
言う順番を間違えた。
客の顔が固くなった。京子はアクセサリーの組み合わせを話したつもりだった。けれど、客が聞いたのは、ワンピースそのものを否定された言葉だった。
「すみません」
京子はイヤリングを棚へ戻した。
客が鏡越しにこちらを見る。
「そのワンピースは、よく似合っています。腰の位置もきれいです」
客の表情は、まだ硬い。
「だったら、どうして」
「私が先に、合わないところから言ったからです。ネックレスだけを見てしまいました」
京子は客が戻した金色のネックレスを受け取る。
「これはきれいです。でも、今日のワンピースを一番きれいに見せるものではありません」
「同じことじゃないですか」
「そう聞こえますよね」
京子は言い返さなかった。
客は鏡へ向き直る。
胸元に何もない自分を見る。次に、金色のネックレスをもう一度当てた。
京子は黙って待つ。
「確かに、少しうるさいかも」
客の声が、先ほどより小さくなる。
「ネックレスが悪いんじゃないんです。ワンピースに、もう飾りがあるから」
「でも、何か着けたいんですよね」
「結婚式ですからね」
京子は棚から、短い革紐のネックレスを取った。
飾りは、小さな乳白色の石が一つ。最初のものより地味で、値段も安い。
「こちらなら、胸元にあっても邪魔をしません」
客は受け取り、鏡の前で合わせる。
すぐには頷かない。
顔を右へ向け、次に左へ向ける。少し離れて、全体も見ている。
「これは、地味すぎませんか」
「イヤリングを少し明るくすれば大丈夫です」
京子は先ほどの銀色ではなく、薄い金色の小さなイヤリングを取った。
鞄の金具より色が淡く、耳元に置いても強く出ない。
「これなら、鞄とも合います」
客は鏡へ顔を近づけた。
ネックレスを見るときより、表情が明るい。
「この二つにします」
「ありがとうございます」
京子は会計台へ戻り、ネックレスとイヤリングを別々の薄紙で包んだ。
客は財布を出しながら、最初に選んだ赤い石のネックレスを見る。
「これも、いつか着けたいんですよね」
「無地の黒か、白いブラウスなら合います」
「普段着でも?」
「その方が、石がきれいに見えます」
「では、また服を着てきます」
「見せてください」
京子は小さな紙袋を渡した。
客は受け取り、格子戸へ向かう。戸を開ける前に、もう一度鏡の前へ戻った。
紙袋から品物は出さず、赤いワンピースだけを見る。
「腰の位置、きれいですか」
「はい」
今度は、京子も迷わず答えた。
客は少し笑い、店を出た。
鈴の音が消える。
京子は鏡の前に残っている自分を見る。
白いシャツに、黒い細身のパンツ。耳にも首元にも、自分で作ったものは着けていない。
合わないところは、すぐに見える。
似合っているところも同じように見えているはずなのに、口に出すのはいつも遅かった。
京子は赤い石のネックレスを棚へ戻す。鎖の形を整え、三つの石が正面を向くように置いた。
午後一時を過ぎた頃、中村幸子が店へ入ってくる。
返事を待たず、手にした紙袋を会計台へ置いた。中から、まだ温かいクレープの匂いがする。
「新しいのを作ったから、味を見て」
「売り物でしょう」
「端が破れたの。お客さんには出せないから」
幸子は店内を見回した。
「今日は売れた?」
「二つ」
「まだ一時だから、上出来じゃない」
「ネックレスとイヤリングで、一人分」
「二つは二つでしょう」
幸子は客用の椅子へ座る。
急いで戻ると言いながら、いったん座ると腰を据える人である。
京子は紙袋からクレープを取り出す。
中身は薄い桃色のクリームと、細かく切った白桃だった。
「色が薄い」
「食べる前から文句を言わない」
「写真にしたら、生地と同じ色に見えるよ」
「まだ写真を頼んでないでしょう」
京子は一口食べる。
桃の香りは強くない。甘さも控えめで、あとからわずかに酸味が残った。
「どう?」
「おいしい」
「それだけ?」
「桃をもう少し大きく切った方が、食べたときに分かる」
「味の話を聞いてるの」
「食感も味のうちでしょう」
幸子は呆れた顔をした。
それでも京子の言葉を否定せず、紙袋の端を指で折っていた。
「さっき、赤いワンピースの人が店から出てきたけど」
「見てたの?」
「店の前を通っただけ。何か言ったでしょう」
「どうして分かるの」
「店を出たところで、自分の服を見てたから」
京子は残りのクレープを包み直した。
「最初に選んだネックレスが、服に合わなかったの」
「それを、そのまま言った?」
「言った」
「また?」
「でも、言い直した」
幸子の指が、紙袋の上で止まる。
「京ちゃんが?」
「私だって言い直すことくらいあるよ」
「お客さんが帰ってからじゃなくて?」
「帰る前」
「珍しい」
幸子は、本当に感心しているようだった。
「何て言ったの」
「先に合わないところを言って、すみませんって」
「それだけ?」
「ワンピースは似合っていると言った」
「本当に思った?」
「思ってなければ言わない」
「なら、最初に言えばよかったのに」
京子は返事をしない。
幸子はクレープの包みを見た。
「京ちゃんは、褒めてから注意すると、ご機嫌取りみたいで嫌なんでしょう」
「そういう言い方をすると、全部嘘みたいじゃない」
「順番の話よ」
「思った順に言っただけ」
「人の顔を見て、順番を変えるのも仕事でしょう」
幸子は椅子から立ち上がった。
座っていたのは、ほんの数分である。ほんの数分のために、店を抜けてきたらしい。
「桃は大きく切る。クリームの色は変えない」
「写真に写らないよ」
「食べるものだから、味を変えてまで濃くしない」
幸子は、京子が言いそうなことを先に言った。
「それでいいんじゃない」
「京ちゃんに許可されたくない」
「聞きに来たのは幸子さんでしょう」
「余ったから持ってきただけです」
格子戸へ向かいながら、幸子が振り返る。
「クレープ、食べていいから」
「もう食べてる」
「そういうところは早いのね」
戸が閉まり、鈴が鳴った。
京子は椅子の背に残った小さなへこみを見ている。
幸子は、慰めに来たわけではない。赤いワンピースの客を見かけ、店の様子を確かめに来たのだろう。
何かあったのかと直接は聞かない。
京子が話さなければ、そのままクレープの感想だけを持って帰るつもりだったに違いない。
三時頃、今度は塚口が顔を出した。
「写真、いつできるんだ」
「今夜見る」
「今日じゃないのか」
「明日持っていくって言ったでしょう」
塚口は店の中へ入り、京子が勧める前に客用の椅子へ座る。
「市役所の人、何を聞いていった?」
「私は先に帰ったから、知らない」
「京ちゃんのことも記事にするのかね」
「しないでしょう」
「何で分かるんだ」
「私の取材じゃなかったから」
京子は作業机へ戻り、途中になっていたイヤリングを手に取る。
塚口は棚の品物を順番に眺めていた。男一人で入りやすい店ではない。落ち着かないのか、片方の膝だけが小さく動いている。
「おじさん、店は?」
「客がおらんから、少し閉めてきた」
「前より少ないだけじゃなかったの?」
「今日は、たまたまだ」
京子は金属線へペンチを当てる。
「市役所の人、取材は早かった?」
「気づいたら、終わっとった」
塚口は膝の動きを止めた。
「何を聞かれたか、よう覚えとらん」
「それで記事になるの?」
「書くことは、ちゃんと書いとったぞ」
「なら、なるんじゃない」
京子は金属線を少し曲げ、左右を見比べる。
今朝の店内を思い出そうとはしなかった。
撮影も塚口の取材も、客のコーヒーも、特に滞らず終わっている。
それで十分だと思っていた。
「京ちゃん」
「何?」
「ホットケーキ、市役所の人と食べたぞ」
「そう」
「代金を払うと言い張ってな」
「おじさん、受け取ったの?」
「半分だけもらった」
「どうして半分」
「俺も二切れ食べたから」
「細かいね」
「京ちゃんに言われたくないがね」
塚口は立ち上がる。
来た目的は写真の催促だったはずなのに、最初から急がせるつもりはなかったようだ。
「明日でいいからな」
「分かってる」
「忘れるなよ」
「忘れない」
塚口が格子戸を開ける。
外へ出る直前、店の白い看板を見た。
「余計なお世話ばっかりしとると、自分の仕事が遅れるぞ」
「誰のせいで写真を撮ったと思ってるの」
「頼んどらん」
「印刷代は出すんでしょう」
「写真を見てからな」
塚口は笑い、戸を閉めた。
店の中には、再びペンチの小さな音だけが残った。
京子は片方のイヤリングを仕上げ、最初に作ったものと並べた。
同じように作ったつもりでも、二つはわずかに違っている。
片方を直すか、もう片方を直すか。
京子はすぐに決めず、少し離れたところから見た。
二つ並んだときに、揃って見えればよい。
一つずつを、まったく同じにする必要はない。
