この曲は岡林信康さんが歌った「手紙」という曲の cover のもので、曲は女性からの視点で書かれているので女性が歌っている方が感情が湧きやすいと思い、こちらを紹介します。

恥ずかしながら 70歳に近いというのに、この曲を知ったのは数年前です。

聴いたあと、だったら駆け落ちするとか、一旦店を継いでから様子をみて一緒になったらとか、そもそも店を譲ってもらわずに「みつるさん」が懸命に働いて店を出す努力をするとか、いろいろと思いを巡らしたのですが、この曲は差別を取り上げているのでそういうことじゃないんだと思い直しました。

 

この曲から僕の中にはある記憶がよみがえってきました。

それを紹介します。

 

高校三年の頃に担任の K教師が封筒を取り出して「部落の人にはこの封筒が届きます」と言ったのです。

クラスはざわつきました。

その時に、部落についての簡単な説明があったような、なかったような、はっきりとした記憶がありません。

「封筒はいつ来るんですか」クラスの一人がそう聞きました。

すると K教師は、

「全員に届くわけではないが、二、三日後かな」

そう言った後、続けて、

「高校を卒業して進学するものもいるけど、これから就職したり、結婚すると思うけど、その時に必ず部落出身ということ知って悩むことになる者もいる。  俺はその時にショックを受けるより、前もって知っておくべきと思う。 手紙をもらったら、家の人とよく相談してこれからの人生で最善な道を歩んで欲しいと思っている」

クラスメートの何人かはショックを受けた顔だったのを覚えています。

 

 

僕にはそれ以前に、ある経験がありました。

中学生の頃に好意をもった後輩の子がいて、年賀状を出したのです。

その子からはとても丁寧で綺麗な文字の返事が来ました。

「年賀状ありがとうございます。ところで、あなたはどなただったかしら」

実は、その後輩に声をかけたこともなく、僕の一方的な想いだったのです。

その年賀状を受け取った後、祖母が「その娘とは何かあったんか」と聞いてきたので「何もない、年賀状を出しただけや」と言うと「◯◯の家の娘なら付き合うたらあかん」と言いました。

祖母は年賀状を読んでいたのです。

どうしてと聞いても何も答えてくれませんでした。

母に聞くと「お母ちゃんは特には気にせえへんけど、付き合わんほうがええ。あのな、あの娘が悪いのとは違うんやで」と言って言葉を濁しました。

父はそのことを母から聞いたようでしたが黙っていました。

僕は何となく理解しましたが、だからといってその後輩への想いは変わりませんでした。

しかし、この頃の恋は憧れにも似たものか、想いは次第に薄れて消えていったのです。

 

話は戻って、あの日以来、高校のクラスの雰囲気はほんの僅かでしたが変わったように思いました。。

僕と良く話してくれていたクラスメートの何人かが、少しよそよそしくなったと感じたのです。

ひょっとしてと思いましたが、僕の勘違いかもしれないし、だとしても、だからといって僕自身は態度を変えようとは思いませんでした。

しかし、僕の中では、その K教師に敵意がふつふつと湧き上がってきたのです。

確かに、クラスの中にいる部落出身の生徒には、そうと知る時が来るでしょう。

しかし、それはまだ先かもしれないし、可能性は低いものの知らずに人生を送るかもしれない、それを学校の教師がなんの権利があってこの時に知らせるのだと憤りました。

一方で、僕以外の生徒で、先生のしたことが正しいという者もいるかもしれないとも感じました。

しかし、僕には許せませんでした。

学校の先生に恵まれない生徒の人生はかなり影響を受けますね、そう思いませんか。

教師は思想に左右されることなく、生徒の人となりを知り、授業などを通して将来に希望をもてるように指導して欲しいと思います。

また、思想に偏る教師は日本の将来のために排斥してもよいくらいです。

 

この一件から、僕はいまだに高校の同窓会に出席はしていません。

あれこれ連絡して出席することは可能だったと思いますが、あの K教師をみたくなかったのです。