藤原塾なるものをはじめてみることにした。
俺が通うバーのマスターからの提案だった。
大阪城の天守閣が眺められるビルにあるバーだ。
アテローゴ
そのバーの名前だ。
バーのマスターの名前は、ジャック。
もちろん自称さ。
本名を教えろといっても、ジャックとしか答えないので、それ以上しつこくたずねるのは、止めにしている。
たかが飲み屋のおやじだから。
ジャックになりたけりゃあ、なればいい。
このバーには、ほんとうにいろんな奴がやってくる。
商店街の会長、ビルのオーナーもいれば、博打三昧の大学生、身を持ち崩したサラリーマン、売れないマジシャン、ダーツをこよなく愛する女、夜遊び好きの主婦、30歳過ぎてから格闘技に目覚めた営業マン、語り始めたらきりがない。
そして仕事のアイデアに行き詰まったら飲みにくる俺。
「いっぺん為になることを やってみいへんか」
マスターのジャックが言い出した言葉だった。
人が飲みに来るのは、愚痴や他人の悪口、自分の不甲斐なさを パーと吐き出すためにやってくる。
このバーには、かなりのマイナスの空気が充満してきている。
「飲み屋ってには、そんなもんやないか」
俺は、そう思っている。
「そうやないんや、わしはなぁ、このバーを学校みたいにしてみたいんや」
「学校?、そんな堅苦しいもんにしたら誰も来んようになるで」
「学校いうても、そんな堅苦しいもんやないんや。人が生きていくためになることを学べる場所にしたいんや」
「飲み屋のおやじが、なんで急にそんなこと言い出すんや。金さえ儲かったらええんやないか」
「わしもなぁ、あと何年生きれるかわからへん」
確かにマスターのジャックは、見かけは若いが、顔に刻まれた皺の数を数えると、ええ歳のじいさんだ。
「わしの後からついてくる奴らに人生っちゅうもんを教えてやりたいんや」
マスターのジャックの左手の小指は、人より短かった。
いつもさりげなく隠していたが、俺はわかっていた。
「やりたかったら、やればええやん」
俺は、グラスの酒を氷が鼻に当たるまで傾け、飲み干した。
「あんたに先生になって欲しいんや」
予想できてたこととはいえ、即、断った。
「なんで、俺がやらなあかんねん」
「あんた学あるやろ」
「学?、あるわけないやろ」
「いや、あんたはある」
それから沈黙は、長く続いた。
俺は、4、5杯はウイスキーのロックをあおった。
人ってのは、思い込みで生きているもんだと、いつも俺はそう思っている。
マスターのジャックもそうなんだと。
「俺が何を教えられると思ってんや」
「あんたの思っていることを、伝えてもらったらええんや」
「ろくなこと、あれへんで」
「あんたやったらできる」
そこまで言われたんじゃぁ、こちらも引き下がれない。
「ギャラは、いくらや?」
「飲み代、ただや。なんぼでも飲んだらええで」
俺はその言葉に酔ってしまった。