藤原塾

藤原塾

男稼業も長くやっていると、いろんな仲間ができるもんさ。馬鹿もいれば利口な奴もいる。今日もそんな仲間と男ってものについて語りたいもんだ。

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仕事の打ち合わせのない日は、本当に気持ちがリラックスするもので、朝から寝っぱなしだった。
正確にいうと、昨日の夕方からずっとソファーで横になりっぱなしだった。
昼に起きては、近くの百貨店の食品売り場で売っていたお弁当を食べて、また寝るという一日。
弁当ってのは、やっぱり最低1,000円ぐらいのものでないと満足できない。
最近では、弁当のおかずは、知らず知らずに野菜の煮物と魚中心が好みになっていた。
割烹料理の良さがわかるようになってくる年頃ってわけだ。
おじん。

夜になり、昼間に寝て貯めた体力が、無性に騒ぎ出しはじめた。
スポンサーから依頼を受けたホームページ制作でも手をつけようと思った。
しばらく手を動かしていると、休みたくなり軽く水割りをつくって飲んだ。
パソコンの画面に集中して上昇した血圧が、すっきり安定していくのが感じられた。
酒をこんなふうに薬がわりにして飲むなんて、やっぱり俺は長生きできそうもないと思った。

2、3杯水割りを飲むと、酒に歯止めが利かなくなってくるのを感じた。
アテローゴに飲みに行くか。
そういえば、ただで飲ましてくれる約束してたなぁ。
と思った瞬間、マスターのジャックが、このバーで学校を始めたい。
しいては、俺に先生になれと言っていたことを思い出した。

行きづらい。

飲んだ勢いで引き受けたものの、何をやったらいいものか、全くわからない。
とにかくこの前はこの前、今日は今日ということで、素知らぬ顔で飲みに行けばいいか、と思い事務所を出た。

JRの踏切を渡り、立ち飲み屋が並ぶ裏通りを抜けて繁華街に出た。
そして知り合いの店である胡麻担々麺の店を通り過ぎて路地に入ったところにあるビルのエレベーターに入った。
8階に到着して扉が開くと、すぐ右に曲がった突き当たりの店だ。
アテローゴ。

重たい扉を開いて中に入ると目の前にカウンターが現れた。
そこで飲んでいたのは、オカマの書道家と手作り弁当屋のおやじだった。
「いらっしゃい、塾長」
カウンターの向こうからまさに人柄の良さがこぼれ落ちんがごとくの笑顔で、マスターのジャックが顔を出した。
俺はカウンターの一番端に飾られた胡蝶蘭の側に座った。
マスターのジャックは、棚から角瓶を降ろしてきて俺の前に置いた。
そのボトルの首には、塾長と書かれた名札が掛けられていた。
「なんやこれ?」
「塾長、好きなだけ飲んでくれたらええで」
「ジャック、学校やるんて、本気でっか」
「当たり前やがな、学校の名前も決めたで、藤原塾や」
「そのまんまやないか」
「とにかく今日は初日ということや、期待しとるで」

「どんないいこと、おしえてくれるの?」
むこうのカウンターのオカマの書道家が、いやらしい声を出した。
俺は、はっきりいって、何も考えていなかった。
藤原塾なるものをはじめてみることにした。
俺が通うバーのマスターからの提案だった。
大阪城の天守閣が眺められるビルにあるバーだ。
アテローゴ
そのバーの名前だ。
バーのマスターの名前は、ジャック。
もちろん自称さ。
本名を教えろといっても、ジャックとしか答えないので、それ以上しつこくたずねるのは、止めにしている。
たかが飲み屋のおやじだから。
ジャックになりたけりゃあ、なればいい。

このバーには、ほんとうにいろんな奴がやってくる。
商店街の会長、ビルのオーナーもいれば、博打三昧の大学生、身を持ち崩したサラリーマン、売れないマジシャン、ダーツをこよなく愛する女、夜遊び好きの主婦、30歳過ぎてから格闘技に目覚めた営業マン、語り始めたらきりがない。
そして仕事のアイデアに行き詰まったら飲みにくる俺。

「いっぺん為になることを やってみいへんか」
マスターのジャックが言い出した言葉だった。

人が飲みに来るのは、愚痴や他人の悪口、自分の不甲斐なさを パーと吐き出すためにやってくる。
このバーには、かなりのマイナスの空気が充満してきている。
「飲み屋ってには、そんなもんやないか」
俺は、そう思っている。
「そうやないんや、わしはなぁ、このバーを学校みたいにしてみたいんや」
「学校?、そんな堅苦しいもんにしたら誰も来んようになるで」
「学校いうても、そんな堅苦しいもんやないんや。人が生きていくためになることを学べる場所にしたいんや」
「飲み屋のおやじが、なんで急にそんなこと言い出すんや。金さえ儲かったらええんやないか」
「わしもなぁ、あと何年生きれるかわからへん」
確かにマスターのジャックは、見かけは若いが、顔に刻まれた皺の数を数えると、ええ歳のじいさんだ。
「わしの後からついてくる奴らに人生っちゅうもんを教えてやりたいんや」
マスターのジャックの左手の小指は、人より短かった。
いつもさりげなく隠していたが、俺はわかっていた。
「やりたかったら、やればええやん」
俺は、グラスの酒を氷が鼻に当たるまで傾け、飲み干した。
「あんたに先生になって欲しいんや」
予想できてたこととはいえ、即、断った。
「なんで、俺がやらなあかんねん」
「あんた学あるやろ」
「学?、あるわけないやろ」
「いや、あんたはある」
それから沈黙は、長く続いた。
俺は、4、5杯はウイスキーのロックをあおった。
人ってのは、思い込みで生きているもんだと、いつも俺はそう思っている。
マスターのジャックもそうなんだと。
「俺が何を教えられると思ってんや」
「あんたの思っていることを、伝えてもらったらええんや」
「ろくなこと、あれへんで」
「あんたやったらできる」
そこまで言われたんじゃぁ、こちらも引き下がれない。
「ギャラは、いくらや?」
「飲み代、ただや。なんぼでも飲んだらええで」
俺はその言葉に酔ってしまった。