スマホのメモアプリに
書き出しかけのブログがいくつかあり
脳の中には書きたい(言いたい)と思う題材も
いくつかありながら、
なかなかままならない状況がつづき‥
でも、博士ちゃん3時間スペシャルを見たら
脳内のひとつを取り出さずにいられなくなりました
五郎さんの「(会話に)僕も入りたい」発言、
その真意、並びの出演者には分からないですね
シティポップのはなし
「GOROes by myself 2 ~City Pop~」の選曲リクエストが始まったとき曲選びを楽しみながらも「あ〜自分で言っちゃった」って思っちゃいました。
世間の風潮に少しイライラしていましたので。
表現は違っても五郎さんにも似た思いがあったのかもしれません。
何年くらい前からでしょうか、シティポップ、シティポップって騒がれはじめて。そこに出てくる名前はもうここに連ねなくてもいいですね。
それが加速して、これまで当てはめちゃう?なラインナップも出てきたりして。
そんな中、一部で五郎さんの再評価もあるにはありました。五郎さんに注目する私たちにはその声は大きくなっていると感じていても、世間的には(今夜本人を前にして誰も言わないほど)認知されないのです
結局そんなことだから、五郎さんの音楽にそういう形容は必要ないし、五郎さんも引っ張られないでほしいな、と思っていました。
今日の番組での説明も、それは80年代に生まれてきた、とありましたが、すでに違いますね。
私がこの言葉(シティミュージックと言われていたかもしれません)を目にしたのは70年代後半、音楽雑誌で、その言葉を目に留めたのは紛れもなく野口五郎さんキッカケです。
あの頃、FM fanなどの音楽系情報誌があった内の一冊だったと思いますが、音楽評論家の方がシティミュージックなるものを解説されていて、そこに五郎さんの名前があり、そこで初めて山下達郎さんや大貫妙子さん等、今シティポップの元祖と言われる人たちの名前も目にしました。
この記事のことを覚えているのは、高校の現代国語の自由論文的な課題に、世間的には歌唱力の優れた歌謡歌手と認知されているけれど、それだけではない野口五郎の凄さを綴り、担当教師が五郎さんに感心し、ひと声かけてくださった記憶があるからです。
理解してくれた大人にポッと嬉しくなりました。
斎藤耕一監督談の「俳優としても素晴らしい才能」や著書「哀しみの終わるときに」のこと(お母さんとの戦争についての会話)、そして音楽誌に語られる高度な音楽性などなど‥あらゆるジャンルで評価されていることを書き綴りました
その音楽誌で五郎さんと名を連ねる山下達郎って?と買ったアルバム「SPACY」(1977)にハマり、コンサートにも数度出かけました。
彼が「RIDE ON TIME」でメジャー化したのは1980年です。
Wikiを見ると、達郎さんのメジャー化する前の活動も含めると、五郎さんの海外録音や「GORO&HIROSHI」などのアルバムを次々発表する頃と重なります。
私がシティミュージックを知ったのは野口五郎であり、山下達郎を知ったのも野口五郎。
つまり、私的には五郎さんが本家ですが、本当に双方元祖か本家かと言えるのです。
だけど、そもそもシティミュージック(シティポップ)ってそんなくくり軽すぎる、ましてやこう乱用されるとそんなに若者におもねることなくてよくない?って思うのです。
当時「シティミュージック」と同様に、五郎さんを取り上げるようなときに、音楽関係者からの耳に残る言葉がありました。
「ナロウな感覚」です。
カタカナ単語がナウかったのでしょうか。分かりづらいですよね。
当時のFM局は一度歌謡歌手とくくると、まるで曲を流さない、そういうような了見の狭い慣習を戒める言葉と文脈からは理解していました。
最近、五郎さんの音楽性の深さを語る人たちの中に、ファンである私たちを今なおナロウな感覚で「野口五郎ファンには分からない」とふざけた(失礼)コメントする人もいますね。
変わったようで変わらない上から目線、今風にいいますとマウント姿勢、いったい音楽を愛することのどこに差をつけたいのでしょうか。
博士ちゃん3時間スペシャルは、シティポップジャンルのみならず、ほぼ全てに「あんたたち!その横並びに座ってる方を知らなさすぎだぁ!!」と心で叫んでおりました(サンドさんも藤井さんも面白いからなおのこと)。
ゴローちゃん、よく耐えたよ。
G博士ちゃんもね。
(それでもようやく五郎さん登場まで漕ぎつけてよかったです)
もっと冷静に書きたい話だったんですけど
おわります
一週間前、12月7日の京都御苑です🍁