ステージ左側から見る矢吹卓さんのピアノ、島田光理さんのバイオリン、右側から見た伊藤充志さんのサックス&キーボード、大久保敦夫さんのドラム、正面に見える斎藤まことさんのベース、どこからも影になりがちだったけどビンビン聴こえてきた土方隆行さんのギター
そして野口五郎さんの声帯とギター
ビルボードでのライブを聴いていると、言い方には語弊があるけど、歌詞はどうでも良いくらい、一人ひとりの技量を浴びることに夢中になっていました。
こんなこと、思いました。
音がグルーブがこんなに楽しい野口五郎のライブ
詩が言葉が発音が耳に残る忌野清志郎のライブ
どちらも、実はその両方が一流なんですが、逆のイメージがより印象深く残るのが面白いところです
いつかも書いた清志郎さんが桑田さんに「歌詞なんてどうでもいいんだよ」と言われたという話、その時の私は桑田さんにプンな気持ちになったわけだけど、(圭ちゃんやっちゃんになったから言うわけじゃないけど)こういうことなんだな、野口五郎さんのライブに、桑田圭介さんの言わんとしたことが今、私的にはしっくり来ています。
前置きが長くなりました。
前置きと通じるのか否か、今日書きたかったのはこちらです。
『さらば友よ 作詞家・橋本淳 作曲家・筒美京平』
ビルボードライブ大阪での野口五郎ライブのしばらく前に、BSPで作詞家 橋本淳と作曲家 筒美京平 の関係を綴ったドキュメンタリーが放送されました。
(折々敬称略となります🙏)
まさにライブ二日目の朝の再放送を録画、全てのライブが終了してからこの番組を観ました。
橋本さんと筒美さん、お二人は中学時代からの同窓生で友人だったなんて驚きです。
筒美京平を歌謡界へ導いたのは橋本淳、そして橋本さんはもう40年ほども前に作詞から手を引いていたということにも驚きました。
筒美京平が残した晩年の未発表曲を仕上げるために40年を経ての作詞に挑む橋本淳を追った番組でした。
秀樹さんが五郎さんの元に残した歌声に向き合うあの時の五郎さんが重なります。
青いリンゴが、その時、歌謡界でキラキラと才能を発揮していた友人作家二人の作品であることになんだか運命を感じます。
筒美京平を語る人たち、アーティストもプロデュース側も、口を揃えて筒美京平さんはヒットにこだわった、という話に集中しがちです。
五郎さんだけが、先生が本当にやりたかったことは‥‥と口を紡ぎます。
五郎贔屓としては、そこを受けとめたいと思いつつ、少し拗ねているのかな、なんて風にも感じたりしていました。
だけど、五郎さん以外の口からはじめて筒美さんの苦悩を聞いた気がしました。
ヒット曲だけを求められる辛さから筒美さんを置いて早々に歌謡界から退いた橋本さんは、今回の作詞に償いも込めておられます。
新たな詩の創作は紆余曲折、テーマが変わっては書き換えられます。
プロデューサーの息子さんやスタッフさんともすれ違う思いにぶつかります。
レコーディングで息子さんの歌手への歌唱指導を否定した橋本さんは、あとにご自分も同様に歌手へ指導されているのには可笑しくなりました。
出てくる歌詞はおしゃれな単語を散りばめた70〜80年代が拭いきれない印象です。
長年のブランクと対峙しながら筒美さんへの想いを結実しようとする姿は、残された者の哀愁すら感じます。
平山みき & 野宮真貴
「アーティスト」
ultravybe.lnk.to/mikimakiartist
さて、今年五郎さんがライブのテーマに選んだアルバムは「SMILE」
タイトル曲 スマイルは山上路夫さん、ほかは、ちあき哲也さん4曲、橋本淳さん5曲という各先生の詩です。
不思議な巡り合わせです。
歌詞はどうでも良いなんてノリノリだった我が身を反省して、スマイルに書かれた橋本淳さんの5曲を読み返しました。
やはり・・
ストーリーが読み取り難く
イメージが並んでいる印象
です。
が、この言葉たちと筒美京平さんの曲との共鳴があって心動かす一曲になります。
アーティスト自身が作詞作曲するのが当たり前の今、意図しなくても否応なくメッセージ性が高くなります。
根本的に違いますね。
時代だなぁと思います。
園芸部で夜まで花壇に向き合う筒美京平
ジャスバーでピアノを演奏する筒美京平
たった14〜15歳の少年
五郎さんの大切にしている手紙の中には
そんな素の筒美京平さんがいたのか‥
そんな風にも思いました。
to be continued...