音楽界、芸能界の訃報が相次ぐ。
近ごろは、昨夜何時とか、今朝何時、という報道ではなく、何月何日に亡くなっていた、と、後日の報告発表が多い。
特別に好きだったわけでなくても、一般人にとって現実には二次元的な存在であっても、その一週間や十日あまりの日々、そのアーティストがいなかったことに思いを馳せ、なおのこと胸が痛む。
私には短大を卒業して社会に出て、東京でお世話になった方があり、その方が京都へ越してこられてからも仕事にプライベートにお世話になっていた。
年月が経ちお仕事での付き合いはなくなっても折りにつけ連絡をいただき親しくしていた。
特に12月25日、クリスマスの日には毎年必ず何かしら細々詰め合わせたプレゼントを送ってくださる。
私は仕事ではその方の弟子のような存在だったので、当初はお歳暮などと形式的な贈りものをしていたけれど、プライベートのお付き合いだけになってからは、私もクリスマスにプレゼントを贈るようになった。
たいていそのあとお互いお礼と年明けのスケジュール〜お茶かランチのため〜の報告のメールのやり取りをする。
11月の声が聞こえると、街で小物やカレンダー、お菓子の缶などに目が留まる。
その年、やはり『今年はこれかな?』と、目移りしながら、そろそろ贈りもの選別の時期‥と、そわそわ気分でいたとき、彼女の夫から赤いキノコの切手の白い封書が届いた。
彼は私の元同僚でもある。
なんだろ、いまごろ。
封を開けると
それは目を疑う一文で始まる印刷文字の挨拶状でした。
平成最後の桜の咲くころに妻がその生涯をとじたということが、長い美しい文章で綴られていました。
私は私の恩人がいないことを
八ヶ月もの間知らずに過ごしていた。
そして令和になり、仕事で平成、令和に出会いその存在に励まされて来た方々がひとり、ふたりと他界され、寂しさがひとつふたつ心のどこかに積み重なってきた。
そしてまたひとり、一週間前、おそらく私の人生で一番お世話になった方が旅立った。
こんな経験は誰もがそうで、仕方のないこと。
出会えたこと、縁があったことを感謝してまた元気に日常を過ごすことの繰り返し。
それにしては厳しいなぁ。
ふた月前にご報告した柿のその後。
ある日色づきはじめた経過写真を撮ったら‥
その奥に‥!なんかあかいのが写ってる⁈
そう、もう一個健気に先に柿色に染まっておりました
可愛いその子はこやつです
見過ごされてすでに少し柔らかく熟しておりました
母に心で謝って剥いて口に入れたら甘かった
そしてようやくあの青かった柿も
雨風まともに受けながら
やはり健気に色づきました
今日はホームに薬を届けに行く日。
母には会えないけれど、事務所の方にこの柿の成り立ちをお伝えし、母に見せてやってほしい、可能ならひと口だけでも口へ、とお願いして、無事に収穫〜出荷を終えました。
10月22日、秋田の熱い日
哀しみの対面をし
10月27日、白金代の熱い日
理不尽なボスにたえて仕事
それでも
若き日お慕い申したその方が
音楽の元、今も邁進続けていることを
愛しく喜ばしく受けとめて
次はやっと私の番かな
ピルボードライブオーサカ ✨