3.クワタケイスケ
(anncoの懺悔)
ついこの前まで、
こんなにこの人と対峙する時が来ることを想像していなかった
クワタケイスケ
ユーミンとサザンだけは、アルバムの新譜が出る度、頼んでもいないのに誰かがダビングしてくれるので、あのころの身体にはそのメロディや詩が常に入り込んでいた。
今も手元には頼んでいないのに桑田ファンの友達が貸してくれたシングルレコードが3枚ある。頼んでいなくて貸されたものは本当に困る。
貸してくれた子の気持ちを汲んでちゃんと聴こう‥と思うから聴けないままに返せず残る。
(いや、どの曲もアルバムやTVラジオで聴いて、もちろん知っているのです。とても良い曲です。でも、レコードに針を落としてから返したかったから‥)
コンサートにも行きました。
たぶん、レコードを貸してくれた友達のお付き合いで関西で一度、そして、1980年、東京は田園コロシアムの野外コンサートへ。
このとき、少しの間住んでいた東京の同じアパートの学生が、サザンのコンサートのチケット申し込みの電話掛けるのを手伝って!と夜中に訪ねてきました。
桑田さんのオールナイトニッポンでの先行予約でした。
その日はさんまさんが電話を取る可能性があり、彼女はそれで舞いあがっていたのです。
電話のないアパート、二人で夜中に電話ボックスへ。
繋がった電話の受話器を渡されて出ると、さんまさんでした
いきなり「エスエーエスってわかる〜?」って聞かれて、私まで混乱してなんて答えたか覚えていません。
それでもチケットを買えたのでそこのところは伝えられたのでしょうね。
(オペレーターさんに代わられたのかな)
コンサート当日は遠くからステージを見つめる場所で、ふと斜め後ろあたりにオーラを感じ、見るとつばの広い帽子を被った女性が案内されてきて優雅にお座りに‥ピンクレディのミーちゃんでした。
こういう記憶って今になるとほんとうだったかな?って思います。
話が逸れました。
この記憶ももう確かかどうかわからないけれど、いつか桑田さんが、清志郎さんに「歌詞なんて聞きとれなくていい」と絡んできた、という話を聞き、少し桑田さんをやだな、って思ったのです。
だけど、桑田さんの曲だってメロディが心に残り、詩もドキッとするほど思いをつくところがありますよね。
聴くと鮮明にその時の情景が蘇る思い出の曲、こんな私にもあります。
そう、思い起こしてみると‥それらが私の桑田さんの思い出。私にとってそれ以上でも以下でもなかった。
時代遅れのRock'n'Roll Bandが配信されるというニュースを知った瞬間から確かな認識となった今まで、自分の頭の中がどんなだったかもう定かではない。
その日、とにかく桑田さんのラジオ
「やさしい夜遊び」を聞いてみた。
寝つきが悪いというお話や
🎸同級生一人ひとりにお手紙を書かれたこと
その全ての出会いを
愛おしく感動されているご様子
クワタケイスケさんは
こんな人だったんだ‥
五郎さんよりはずっと
世間に理解され認められてきた
羨ましい人と認識していたのに
私が理解していなかった
charとは言わずもがな‥
いつコラボしてくれるの?
このまままた時が過ぎるの?
と、つい最近まで思っていた
世良さんは先頃の朝ドラでの“今の歌唱”に魅せられたばかり
そして佐野元春さん
ナイアガラトライアングルVol.2
これは一時期
繰り返し繰り返しずっと聴いていた
配信後初めてじっくり聴いたとき、
五郎さんのソロのあとに続く佐野さんの声に思わずテーブルに突っ伏してしまった
こんなことがあるなんて
野口五郎→佐野元春
この声のリレー
もちろん
全編溢れる桑田メロディと詩
それを五郎さんが歌ってる!
charとハモってる!!!
夢ですユメ!
桑田さんが仕組んだ
予想だにしなかったYume
そこに託された思いは
同級生の夢ばかりでなく
世界への切なる願い
それで世の中が変わってくれないのは
ジョン・レノンしかり
忌野清志郎しかり
知っているけれど
誰かが、一流の誰かが
引き継いでくださることが大切
こんなインパクトを持って
発信してくれた桑田さん、
応えて集まってくれた
佐野さん、世良さん、charさん、五郎さん
ありがとうございます。
ずっと聴いていきます。
古いアルバムに並んだ桑田さんと五郎さん
長いブログ三連続にお付き合いくださった
みなさま
ありがとうございました。
& おつかれさま でした。