(anncoにとって)
ロックとはその音楽形態をくくる言葉なのか、精神的なものを言うのか
捉え方もさまざま
私は評論家でもなければ、すごく音楽をたくさん聴いてきた方でもない
そんな私にも私なりのロックがあって
本当は言葉にできない感覚だけど、ここしばらくすごく考えたので少し言葉にしてみると‥
夢や怒りや正義を何かに取り繕うこともなく隠すこともなく表現されていて、なおかつ、詩もメロディも激しくとも美しくあってほしい
誤解を恐れず言うと
声も姿も汚くあってほしくはない
だとしたら
私にとっては
ロック
すなわち 忌野清志郎
清志郎が亡くなってライブやコンサートは行く意味が見えなくなり清志郎のCDも楽曲と関係なく涙なしで聴くことができなくなり私は私の「ロック」からは遠ざかった
清志郎遺作
そんなとき、かつてRCを教えてくれた友達がこれ聴いて、と教えてくれた歌があった
訳もわからず涙がブワッと出てきた
しばらくこの歌を取り憑かれたように聴いた
いくつか彼らの歌を聴いてみた
存在が危うく見えたけれど
言葉が素直で
そして、メロディが美しい
ただ
ずっと追うほど嵌まったわけではなく‥
そして、清志郎が亡くなって九年後に29年ぶりに野口五郎さんのステージを観ることとなり今へと続きます。
そのステージでいろんなものを取り戻した、超越した感覚でした。
それだけ野口五郎の引力がとてつもなく大きかった(これはロックなのか?)
音源媒体だけなら特別にはならなかったかもしれない。それはどのアーティストでもそう。かまってちゃんを先に生で聴いていたら今の私はなかったかもしれない
生のステージに関東まで出かける思いを掘り起こしてくれたところに意味がある
愛と平和の歌を
最後に残していった清志郎のこの言葉
(これを残して去ったんですよ。ずるいです)
十三年後にはこんな形で‥
桑田さんありがとう