最近日を超えないように寝るように努めていて、今日は深夜2時に目が覚め、アップされていた五郎さんのブログに気づきました。
お正月をお家で過ごされたご様子が伺え、すこしは人らしい生活も(失礼)されたかとほっこりしました。
コメント欄には各地のお雑煮も色々‥お椀を想像して、それぞれにあったかい湯気やお出汁の香りを感じてしみじみしながらもう一度寝たら
‥母の夢をみました。
コメント欄には長くなるので、続けてになりますがリブログさせていただきます
夢は、今は認められていない施設からの外出許可で母を家に戻していたところから始まりました。
その前後は飛んでしまいましたが、夕方時分お互いになんだか疲れた空気になっていたので、友人に頂いた美味しい葉で緑茶を入れてあげよう、私も落ち着こうと電気ポットにお湯を沸かしに一瞬その場を外れて戻ったら、座敷テーブルに置いていたはずのお茶菓子か買っていたパンだったか‥全部がどこかへ片付けられ、部屋の電気も消して
「寝ますから、もう5時までに全部おわって寝ます、あんたもあっちいって」
そんな事を言われ、あーぁな気分に襲われ、が、次の瞬間ふと見ると、小瓶の酒を手酌で飲んでるではないですか。
(実際は記念日くらいに嗜む程度の人)
「いまお茶入れようと思ってたのに!」
私はまた心が乱れます。
また、今度は隣部屋の台所をふと見ると、コンロにもう使えない古い大きなやかんが火にかけられています。
あ〜あ、もう
そこから先は登場人物が増えはじめ、場所も変化したりでさらに複雑化するので割愛します
美味しいパンをもう一度と、綺麗な小さな洋菓子店〜洋菓子店のパンだったみたいです〜に再度訪ね、4つほどセットされている菓子パンの袋をひとつ手に取ると、お店のすてきなマダムが覚えてくださっていてリピートにお礼を言われたのですが、私が手にしていた籐の買い物籠には前に一緒に買っていたらしい食パンが目一杯に入っておりその周りを探っても探ってもお財布が見つからずあたふたしたところで、2度目、目覚めました。
でも、この夢はあながち不穏な想像に過ぎないわけではなく。
母は、誰もが認める料理好きで料理上手でした。
お節料理もほぼ完璧に全ての品を作り上げ、私はもっぱら重詰め専門でした。
家族もひとり減りふたり減り‥母の認知症が進んでお料理もままならなくなりはじめた頃から、私はとても母のようにできないので、母とふたり分のお重は宅配で注文し、黒豆、栗きんとん、ごまめなど4品ほどとお雑煮だけを家で用意する手抜き正月を迎えるようになりました。
お雑煮は、母が作ってくれていたのを思い出しながらの大根、金時人参、里芋、白味噌です。
家の主人の椀には大きな頭芋が入ります。
母とふたりでもあるし、男尊女卑感のあるそれは封印して気楽に里芋だけです
ある年の大晦日、年も新たまった深夜3〜4時ごろ、母も1階の部屋ですっかり寝、私も2階の自室のベッドにようやく入ったと思ったら台所でなにやらコトコト、ガタガタ音がします。濃〜い出汁の匂いもします。
わーっと胸の高まりが激しくなり急いで台所へ。
母がコンロの前で鍋を火にかけようとしていました。
「何してるの⁈!」
「何してるって、お煮しめしてへんやんか‼︎」母は怒っていました。
(この時はまだ、というか突然というか、陽が昇ればお正月〜を認識できたのです)
かつての母のように三ヶ日のお雑煮用に、大根、にんじん、里芋を予め茹でて冷蔵庫に入れておいたものを、上手く見つけてそれを煮ようとしてたのです。
「それはお雑煮用や!お節はちゃんと別に届いてるし!」
そこでようやく母の怒りと焦りの見幕がおさまり「そうか〜、よかった〜」
茹でた野菜たちも色が付けられる前に救えました。
これは夢でなく現実
2度目の目覚め、4時過ぎにこの日のことを思い出し、しんみりしました。
新年からあまりに寂しいので、ついでに、少し笑えるエピソードも付け加えると‥
その頃はデイやショートステイのない日は終日、デイの日も母の帰宅に合わせて仕事を早退させてもらい、母に寄り添う私も心身過渡期。
夜はほぼ熟睡できない日々でした。
ある朝方、一階から何やら物音。
いつものように駆け降りると
「あんたいたん?まだ帰ってきいひんと思って用意してた‥」
夕方と間違い夕飯準備をし始めていました。
母がひどく落ち込んだので
「いいよ、いいよ、朝食べよう」
うちは祖父の昔から朝はパン食なのですが、その日、母が何を用意したか今思い出せませんが、料理上手だった母にしてはとても粗末なものだったと思います。でもその朝は私たちにとっては夕飯みたいな朝ご飯を笑いながら食べました。
どうせなら…
こんな夢がみたいわ💕

💕💕