02から始まります
いきなりの「やはり」はそんなわけです
「先生」と「さん」と敬称略は雰囲気で書いてます
今後の連打ご了承ください
興味とお暇があれば共有してくださいませ🙇♀️
やはり五郎さんファンの松本隆先生リツイートの流れで知りました
“paradiso channel”
作詞家松本隆先生と音楽に関して
神戸から発信されています。
https://kazemachi-kobe.mystrikingly.com
vol.2
はっぴいえんどのデビューアルバムの中の「12月の雨の日」の製作エピソード、ドラムの話など、とても興味深く、また、対談のシチュエーション、映像の構成にも松本隆さんらしくビジュアルにこだわりを感じる配信動画でした。
穏やかな語りを聞いていると
1969年‥この年の東京へ
私的な思い入れの二人の彼を巻き込んで
すぅーっと
入り込んでいきました
幡ケ谷(はたがや)
1969年11月30日 雨の夜
大瀧詠一との新曲作りのため
松本隆が幡ケ谷の大瀧詠一の下宿に行く
その日の情景を詩に書いた
『12月の雨の日』
国立(くにたち)
アマチュアバンドでオリジナル曲
『泥だらけの海』をテレビで披露したり
アマチュアコンサートでも
知られるようになっていた栗原清志
高校3年生
この頃すでに自ら芸名をつけていた
忌野清志郎
浅草(あさくさ)
6月に岐阜県美濃市から上京
浅草の印刷屋に母と下宿
美しい幻のデビュー曲『友情の花束』を
変声期の挫折の中で繰り返し繰り返し
歌唱録音していた佐藤靖13歳
のちの野口五郎
1969年の東京
なんて濃い街
幡ケ谷の仲間の下宿で詩を書いていたミュージシャンと浅草の下宿で歯を食いしばって歌と向き合っていた少年は、その8年後、日本の第一線で活躍する作詞家と歌手として共に楽曲を発表する。
文学的な『むさし野詩人』
ドラマティックな『沈黙』
そしてアルバム『異邦人』
それぞれに思い描いたように
歩んで来た先の出会いだったのかは
私にはわかりません
1977年 その頃
もう一人の国立の彼、忌野清志郎はデビュー3曲目『ぼくの好きな先生』がヒットするものの、その後長く日のあたらない場所をさまよう。
本人にブレはなくても、ついてこれない世間にとがって生きていた。
アコースティックギターだからフォークと言われながら、ガッタガッタ唸っていた。
私はまだ出会えていない
青いリンゴがヒットしアイドルと呼ばれながら、ソロコンサートではガッツガッツ唸り、わずか数年のうちにロンドン、ロサンゼルス、ニューヨークと突き進むキラキラした世界とはまるで関係のない真逆の世界だ。
アンダーグラウンドなガッタガッタは
あと2年もすれば
突然世間とリンクし始める
ガッツガッツに夢中だったわたしも
ガッタガッタに出会うことになる
ガッタガッタとガッツガッツは
共にオーティス・レディング流
平行しすれ違う音楽の波
ワタシだけリンクした
不思議な時間旅
松本隆さんの配信対談動画に
ここまで思い巡らせてしまった
松本隆さんの はっぴいえんど には
大瀧詠一さんと細野晴臣さん、鈴木茂さん
国立の清志郎さん周りには井上陽水さん
13歳の五郎ちゃんは
えらい街でがんばってたのね
ガッタガッタとガッツガッツ
***
友情の花束
変声期になり歌えずに終わってしまった幻のデビュー「友情の花束」の楽譜とデモテープを紹介。
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