一昨日、1978 GORO IN NISSEI THEATRE をCDで聴いていました。
このライブ盤を初めて聴いたのは19のとき。
この頃はコンサートのために関西から出ることがなかったので日生劇場は憧れの場所、ほかの全ての東京のリサイタルもカセットやアルバムが私の劇場でした。
「僕にとって青春とは‥‥」
この歌に関して、ずっとお話ししたいことがありました。
このアルバム〜リサイタルでは本当にいろいろな表情、タイプのオリジナル曲が満載で、とても楽しいリサイタルでした。
寂しい曲だけど「スキッピィ」が大好きでした。
「僕にとって青春とは‥‥」
重く響くこの歌は何度も聴くうちに、
どこかで聴いた!
と、心がざわつきました。
そして、ふと思い出しました。
五郎さんがデビューされる前、小学校低学年〜中学年の私はピンキー、今陽子さんが大好きでした。
まだレコードを買うほどのお小遣いをもらえていなかったその頃は父にピンキーとキラーズのレコードを買ってもらっていました。
五郎さんはご存知でしたか。
1970年のピンキーとキラーズのライブアルバムに入っている「今,今,今」という歌があったことを。
『この本が教えてくれたの』の一行で始まりますが、本については歌詞に何も書かれていなくて
ただ
『今、生きている』
ことを繰り返す歌詞です。
(はじめの「本」だけが唐突なので、もしかしたら何かのミュージカルの中の一曲だったのかもしれません)
ピンキーの圧倒的な歌唱でやはり胸に迫る歌です。
作詞家を見ました。
藤田敏雄先生でした。
このテーマは藤田敏雄先生にとって、ライフワークだったんだ、と知りました。
八年の先、野口五郎という歌手で、歌としてのこのテーマを完成形に持っていかれたんだと、深い感動を覚えました。
いつか、この話をしたいと思っていました。
終戦記念日に五郎さんから曲名が出てきて、
堰を切ったように書き始めてしまいました🙏
その前に藤田敏雄先生はどうされているかと検索し、昨年九月に92歳でお亡くなりになられていたことを知りました。
ピンキー、野口五郎という圧倒的な歌唱力を持ち、そしてそれぞれの時期、若い人に人気絶頂中であったお二人に提供されたことに、何としても伝えたいメッセージがそこにあったことを感じました。
(そのどちらにも、しっかりはまったワタシです)
'78年日生劇場リサイタルでは、
ほかに「僕 vs 僕」「朝がえり」の詩を書かれています。
そこからも「僕にとって‥」も含めて、五郎さんご自身とも深く話し合って作りあげられたと想像します。
今も大好きな土曜の朝の「題名のない音楽会」の立ち上げ、企画構成もされていたことも検索で知りました。
今改めて藤田敏雄先生のご冥福をお祈りし、幼いときから教えていただいた大切なことに感謝いたします。
そして、あの若さでこのような歌を歌いあげて、常に何かしら心にうえつけながら共に成長させてくださった五郎さんにも感謝です。
ピンキーも♡