兵庫から大阪を挟んだ離れた町で
庭で放し飼いの雑種の中型犬が怯えて吠え続けて走り回っていました。
祈ります。
その日いつもより一時間以上早く目覚めたのは、何匹もの鼠が暴れる夢に怯えてでした。
テレビはまだ番組が始まる前の早朝、眠りなおすことなく、各局の放送開始画面をひとつずつ見ていました。
もう少しすればいつも見ている朝の情報番組前の天気予報の時でした。
部屋が横にガクンとズレて激しく揺れ、テレビ画面が真っ暗になりました。
庭で放し飼いの雑種の中型犬が怯えて吠え続けて走り回っていました。
近くの部屋で寝ていた母が犬の名を叫びながら出てきました。
「◯◯こ!◯◯こ‼︎ 大丈夫か❗️」
テレビの中でも悲鳴や慌てる様子がそのまま映っていましたが、わたしは自分の町の自分の部屋の下が震源地かと思うほど愕然としていました。
しばらくして地元局に切り替えると、近くの電車が止まっている様子などが出て、やはり‥などと思っていました。
時間が経ち、大阪でとんでもないことになっていることが分かり、近畿各地の震度5〜6の地図が出ています。ただ、神戸の震度が出ていませんでした。
近年でも京都大阪などで5弱〜6の地震がありましたが、5と表記されても、その質が全く違った印象が残っています。
胸がザワザワしながらも仕事場へ行きました。
仕事部屋を開けると玄関のものが散らばっていて、前日描きかけだった絵の上に筆洗の水が飛び散っていました。
それを見てザワザワが収まらないけれど、
‥でも、この町はつまりはその程度だったのです。
テレビの音量だけは入る音響デッキでニュースを流し続けていると、耳を疑う状況ばかり紹介されて、いてもたってもいられなくなり、仕事をやめて帰宅してテレビに釘付けになりました。
その状況は今でもこの日には少し流れる悲惨な姿です。
この日から、ひと月くらいは民放放送全国でCMがカットされたでしょうか。
全国放送でCMが再開されてからもおそらくその後1〜2ヶ月は関西では全国放送でCMに切り替わるとライフライン情報や安否情報などを放送していたと思います。
私は何を見ても涙が出てくるような感じでしたが、こちらの町で泣くなんて許されないと思い、毎日淡々とテレビを見るのですが、意味なく苦しくなっていました。
そのころ、地元新聞にそれは私だけのことではない事が載っていました。
同じ時刻に同じ地震の揺れを体験しているのに被災していないことの矛盾で不安定に陥ることが解かれていてその小さな記事を切り取って気持ちのお守りにしていました。
二ヶ月後に東京では地下鉄サリン事件が起こり人々の心の不安は複雑化するのです。
数ヶ月して神戸、芦屋、宝塚‥の友人たちの様子を知りました。
仮設住宅に住む者もいましたがみんな無事で安心しました。
自分はというと、ボランティア登録はしたもののそれだけ、心ばかりの募金、それだけ、何もできずに情けない思いばかりの年でした。
神戸という魅力的な都会の壊滅の印象が大きいですが、その名の通り淡路島も大きな被災地です。
あの日の自分の半日(後半は覚えていません。多分ずっとテレビを見ていました)は、つぶさに覚えています。
だけど、テレビでの報道の少なさを残念に思いながらも、自分も誰かと語ることもあまりなく‥
いつものテーマとはかけ離れますが、震源地から離れて揺れを体験したあの日のことを記しました。
祈ります。