先日、仕事中に帝国劇場の戦前までの年表を調べることがありました。


目的の調べ事を終えふと目に止まったのが‥


6章 昭和62年(1987年)

まさに歴史を変えるミュージカル『レ・ミゼラブル』が華やかに開幕!そして、昭和62年度文化庁芸術祭賞を受賞‼︎ 206


帝国劇場100年のあゆみ


という本の目次からです。


https://iss.ndl.go.jp/sp/show/R100000002-I024167069-00/


この見出し一節だけでも、帝国劇場にとっても日本のミュージカルの重要な初演に五郎さんが出演されていたことを知らされました。


帰宅してさらに検索してみました。

東宝のレ・ミゼラブルのサイトのコラムが出てきました。

このコラムの第一回から第四回までが、初演について書かれています。


オーディションのことから

エコール レ・ミゼラブル〜出演者たちの歌・ダンス・演技を学ぶ学校

岩谷時子さんの歌の翻訳の苦心

などなど〜観ていなかった私にも〜当時の熱量が伝わってきます。


ゴローをさがせみたく写真の中に五郎さんを探すのもちょっとわくわくしました。

私の見なかった団体の中の五郎さん。


大切なご経験だったのですね。


https://www.tohostage.com/lesmiserables/column_vol1.html



その翌日、また仕事で、今度は古い織物の見本帳を繰っていましたら、宮地嶽神社のお守りの織り見本がありました。


昭和9年のもので、その頃から光の道の光景を人々が見ていたのか?‥それは窺い知れないことです。


私が持つ野口五郎さんの歌 “光の道” のイメージは宮地嶽神社のあの光景とは違うので、あまりにそのイメージが強くなってしまい、私はあの御朱印の書も強すぎて目を伏せがちになります。


でも、昭和9年の色の褪せた素朴な織り見本に五郎さんの光の道がふわっと浮かびあがりました。



心が彷徨っていても、2日も続けて この今、出会う五郎さんの面影に、うまく言えませんが‥仕事中に気持ちがじりじりしました。



仕事も大変な中だったので、この二日間おかげさまでそのあと仕事に『さ、戻るぞ』と言う気持ちにしてくれました。

ありがとうU*´`*U)