もしやと思い、本棚を探してみたところ、出てまいりました。
ナンバーです。しかも、第10号。確か、当時完売したはずです。ちなみに、昭和55年に発売されたものです。
当時、勘ピューターと揶揄され、長嶋采配が批判されておりました。確かに、「えっ?」という采配が多かったのも事実で、タイガースファンの私も、笑っておりました。
しかし、今思えば、天才のことを常人が理解できるはずもなく、私ら素人が、偉そうに語るべきことではなかったのかも知れません。
その長嶋采配に批判が巻き起こっているなかで、発売されたのが、「SOS 長嶋茂雄へラブコールを」 です。

なかの写真も、素晴らしいものばかりです。
批判にさらされていた長嶋を、応援する内容に溢れておりました。しかし、その年、長嶋は解任されたのです。
その事で、世間は掌を返しました。読売新聞は解約が相次いだため、再度監督になったときは、あくまで後進に道を譲り、終身名誉監督という称号を与えたのでしょう。
追悼番組をいくつか見ましたが、このあたりのことは、ほとんど触れられておりませんでした。
思えば、監督としての長嶋さん、特に引退した直後の長嶋さんは、苦難の連続でした。何せスタメンに長嶋と書けないのです。
V9の反動で、主力メンバーは、みんな下り坂で、しかも長嶋がいない。森や黒江も引退しました。王も、かつての王ではありません。ぶっちぎりの最下位でした。
そこで、若手を鍛えました。そこから、その後のジャイアンツを支える選手がたくさん出てまいりました。中畑、松本、篠塚らです。
彼らがようやく育ちつつあるときに、長嶋さんは解任されたのです。だから、その後を受けた藤田監督は、黄金時代を再び築けたのです。
改めて、じっくり読み直そうと思います。
※今朝のワイドショーで、今日のスポーツ新聞の一面が出ておりましたが、ほとんどが、このナンバーの写真でした。当時、それくらいインパクトがあったのです。
また、ある方が書いておりましたが、昭和100年、東京六大学野球設立100年の年に、やきゅうと読める89歳で、背番号と同じ3日に亡くなる。亡くなってなお、スーパースターでした。
ところで、メルカリで売れますかね?出しませんけど。