「不適切にもほどがある」は、あちこちで絶賛されております。1986年を基準として、現代という38年後の未来を、主人公が往き来することで、いまの様々な矛盾を笑い飛ばしております。


このことの素晴らしさを、私も何度も書きましたが、そのうち、「あれ?」と思い出しました。「いだてん」のことです。


「いだてん」は、大河ドラマ史上、最低視聴率を更新し、さんざん叩かれました。そして未だに、ネットでは、大河ドラマワーストランキングで、よく一位に選ばれております。理由は、時代があちこちに飛んでわかり辛い、です。


そうなのです。「いだてん」では、ドラマのなかで、時代が飛ぶことで叩かれ、「不適切にもほどがある」では、逆に称賛される。


確かに視聴率は悪かったのですが、その年の私的ドラマ大賞で、私は作品賞、助演女優、助演男優に、「いだてん」、菅原小春、森山未來を選びました。それくらいのクオリティだったのです。勿論、全て見ております。特に、菅原小春扮する人見絹枝や、仲野太賀扮する、金栗の

弟子が射殺されるエピソードは、まさに傑作でした。


そんな名作を、未だに叩く連中がいる。しかも、叩いている人達は、ろくにドラマを見ていない。見ていないのに批判する。まさに、「不適切にもほどがある」で、宮藤官九郎が描いていることと同じなのです。


一部では、東京オリンピックのプロパガンダとまで言われました。確かにNHKとしては、そういう意図はあったかもしれません。しかし、ドラマのなかで、「不適切にもほどがある」でも主役である、阿部サダヲ扮する田畑政治は、こう訴えます。「これが、あなたが世界に見せたい日本ですか?」と。


私の勝手な思い込みですが、私には、いま、ドラマを称賛している人達に、宮藤官九郎がこう言っているような気がします。

 

「あなたがたは、同じ口で、いだてんを批判しただろう」と。


改めて、「いだてん」を見てみればいい。どんなクオリティだったか、思い知るでしょう。勿論、きちんと見れば、ですが。