「不適切にもほどがある」のついて、先程はほとんど内容に触れておりませんでした。


宮藤官九郎の思いは、極めてシンプルです。


山本耕史扮する、プロデューサー兼総合演出(この肩書きがまた、リアリティがあります)は、自分が担当しているバラエティーが、つまらないことがわかっております。


毒にも薬にもならない、好感度だけのMCを使い、毒にも薬にもならない内容のバラエティーを、300回も続けております。それで、そこそこの視聴率を取っていれば、番組が続けられることがわかっているからです。


その好感度だけのMC(ロバート山本!)が、週刊誌にスキャンダルが載ることがわかり、急遽代役が必要になります。仲里依紗扮する渚は、海外ロケにビジネスクラスを使った縁で、八嶋智人にお願いし、彼は快諾します。


しかし、プロデューサーは、余計なことをしなくていい。何でもない言葉にも細かく注意を払い、やたらと謝罪させようとします。文句を言いながらも、八島は頭を下げ、司会をこなしていきます。


演歌とけん玉は、なぜか日本人は好きという、プロデューサーの言葉は、もろ、「紅白歌合戦」への痛烈な皮肉になっておりましたが、内容などは二の次で、安全運転だけが、彼の信条です。


宮藤官九郎は、問いかけます。そんな方針で、面白いものなど作れるわけがないだろうと。


唐突に、1986年に戻った、阿部サダヲ扮する市郎ですが、吉田羊扮するサカエに、いきさつを聞いていたこともあり、河合優実扮する純子は、普通に受け入れます。


純子の友達が、ロバート秋山扮するズッキーが司会をつとめる深夜番組の視聴者参加に当たり、彼女たちが未成年のため、市郎たちが保護者として観覧します。どエロ番組なのに、親がついていくこと自体が可笑しいのですが、内容がもう、ひどいのなんの、今で言えば、セクハラどころの話ではありません。


そういえば、私がテレビの世界のはしっこにいたのが、1983年でしたから、ほぼ同じ時期です。それはそれは、無茶苦茶でした。


制作プロダクションに入った私が、上司に連れられて、とある局に挨拶に行った時の、プロデューサーの第一声が、「きみ、○○大学出て、よくあんなタコ部屋入ったね」です。


手が出る前に、灰皿(クリスタルではありません)が飛んで来る社長、30時まで編集作業に立ち会い、8時から次の仕事が入るにどはざらで、そもそもタイムカードがないので、残業などつきようがありません。

 

でもね、テレビの世界が、やたらとスリリングで、やたらと面白かったのも事実なのです。 


今回の、ズッキーのモデルになった、山城新伍ですが、ずっと東映で、コメディリリーフ的な役柄が多かったところに、「うわさのチャンネル」で一気に注目されたのですが、ゲストで出た時の言葉が、「昔、白馬にまたがり、今は金髪にまたがり」ですからね。


それを見ていた、中学生の私は、テレビを見て大笑いしていたのですから、私もろくなものではありません。


ドラマの通りで、山城新伍も、ケーシー高峰も、実家は病院です。そして、山城さんはともかく、普段のケーシーさんは、極めて常識人でした。


ミュージカルのシーンは、賛否両論だそうですが、いちいち元ネタがある、あれだけの曲をつくり、振り付けをして、リハーサルをするのは、大変な労力です。称賛こそすれ、批判などできません。


宮藤官九郎は、登場人物のセリフを借りて、こう主張します。自分の娘に、してはいけないことは、誰に対しても、してはいけない。彼は、ドラマのあちこちに、針を仕込んでおり、チクチクと見るものを刺しますが、ここまでの主張は、極めてシンプルです。


テメエたちが作った規則で、がんじがらめになってんじゃねえよ。これにつきます。


※テロップが流れるタイミングだけで、笑えるというのも珍しい。しかも、これでまだ、古田新太は登場すらしていないのです。