かつて、金曜八時のテレビといえば、日本プロレスでした。それが、猪木絡みのゴタゴタで、日本プロレスがおかしくなり、当時月曜八時だった、テレ朝(当時はNET)の、馬場抜き、猪木中心のプロレス中継に、馬場が出るようになり、日本テレビが激怒して、力道山時代から続いていた、プロレス中継を打ちきりました。


その後番組が、あの、「太陽にほえろ」ですから、世の中わからない。


テレビ朝日は、猪木が新日本プロレスを立ち上げ、坂口征二も合流した時点で、その金曜八時に、プロレス中継を開始しました。逆に、全日本プロレスを立ち上げた馬場の中継は、日本テレビの土曜の八時になりました。


金曜八時のTBSは、これまたやけくそのような学園ものの、「三年B組金八先生」が、まさかの大ヒットです。


先日、ドラマ不毛の時代なのだから、ドラマはなるべく被らないように放送すべきと、私は書きましたが、この頃は、プロレス、太陽にほえろ、金八が、もろかぶりで戦っていたのです。


この間、「ワイドナショー」で、武田鉄矢が話しておりましたが、成人男性は、どうせプロレスか太陽を見るのだから、俺たちは、女学生をターゲットにするしかないと、中学生の学園ものを始めたのだそうです。クラスの何人かが学校で話してくれれば、その話を聞いた何人かが見てくれると。


テレビが娯楽の中心だったからこそ、こういった戦いが可能だったのです。


土曜八時など、一時は、「八時だよ、全員集合」に、「俺たちひょうきん族」(欽ドンの時もありました)、「暴れん坊将軍」に加えて、土曜はジャイアンツのナイターが、化け物みたいな視聴率を取っておりました。


それでいて、テレビは一家に一台、多くて二台です。チャンネル争いは、熾烈でした。


本当に、どえらい時代だったのです。