駄目です。なんぼ書いても、筒美京平さんのことは、書いても書いても、書ききれません。
そりゃそうです。かれこれ50年、私は、筒美京平さんの曲に、囲まれて生きてきたのです。
特に、高校時代に出会った、太田裕美さんは、いや、「木綿のハンカチーフ」からの太田裕美さんは、衝撃でした。
「雨だれ」、「夕焼け」と、なんの興味もなかった彼女が、突然、化けたのです。
松本隆さんは、太田裕美で、実験をしたと仰いました。戦友でもあると。松本隆と筒美京平という、稀代のヒットメーカーが、初めて化学反応を起こしたのが、「木綿のハンカチーフ」だと、私は思います。
歌詞は、まさに往復書簡です。地方の若い男女が、彼氏の就職で離ればなれになり、二番になり、三番になると、次第に彼氏が、都会の絵の具に染まっていき、結局別れてしまう。その涙を、彼女がふくために、彼氏に、木綿のハンカチーフをくれという歌なのです。
こんな、めんどくせえ歌詞に、メロディーをつけられるのは、筒美さん以外に、誰が出来ますか。
元々、「心が風邪をひいた日」という、アルバムに入っていた曲なのですが、筒美さんは、シングルにするにあたり、自ら編曲をやり直し、あの印象的な出だしが生まれたのです。
曲は、大ヒットしましたが、オリコンで一位は取れませんでした。普通ならば、楽勝で一位を取れるセールスだったのですが、よりによって、この時の一位には、「およげ、たいやき君」がいたのです。この、運のなさが、太田裕美らしいといえば、らしいのです。
しかし、ここから、松本隆×筒美京平×太田裕美の快進撃が始まります。「赤いハイヒール」、「しあわせ未満」、「最後の一葉」、そして、「九月の雨」。
完成度としては、私は、「赤いハイヒール」ですが、「九月の雨」以降、「ドール」という傑作はあるものの、ヒットには結び付かず、それゆえ、思い入れが強いため、特別なのです。
高校時代、私の地元に、太田裕美さんがコンサートに来て、悪友と見に行き、翌日、まさかとは思いながらも、駅前のホテルのロビーに行くと、裕美さんが現れ、腰が抜けそうになったことを、未だに覚えております。
話がそれました。
この頃の、太田裕美さんのアルバムは、全て持っておりましたが、これがまた完成度が素晴らしく、筒美京平という作曲家の凄みを、子供ながらも感じたものです。
時は流れ、ザ、ベストテンがピークのころ、ニューミュージック、まあ、今のJPOPのはしりです。サザンオールスターズ、オフコース、ゴダイゴ、原田真二、ツイスト、甲斐バンド、松山千春らが席巻するなか、アイドルたちのヒット曲のほとんどは、筒美さんの曲でした。
小泉今日子、中山美穂、河合奈保子、松本伊代、早見優、柏原芳恵、そして田原俊彦、近藤真彦、少年隊らのジャニーズ。
化け物ですよ。まさに怪物です。しかし、世間一般は、アイドルポップスを、一段下に見る傾向がありました。
しかし、ニューミュージック側の彼らは、強烈に筒美京平を、意識していたと思います。なぜなら、桑田佳祐さんが公言しているように、彼らは筒美京平を聴いて、育ってきていたからなのです。
さらに凄いのは、桑名正博、大橋純子、庄野真代、稲垣潤一といった、いわゆるニューミュージック側の方々の曲まで書き、大ヒットさせているのです。
ウィキペディアが正しいとすればですが、筒美さんは、ひと月の間に、「さらば恋人」と、「真夏の出来事」と、「17才」を書いたのです。
考えられます?後世に歌い継がれる、超のつく名作を、全く違う歌手に、三曲も、わずかひと月に、誰が作れますか?しかも、今から半世紀も前ですよ。
日本の歌謡曲は、筒美京平さんが現れなければ、まるで違うものになっていたのです。それだけは、間違いありません。
※ネットにも、いくつか筒美京平さんに関する記事が出て取りましたが、正直感心したものは、ほとんどありません。
ただ、石橋貴明と田中裕二のおふたりの、ベストは、郷ひろみの、「花とみつばち」だというのを聞き、わかる人にはわかると思いました。