「MIU404」の最終回ですが、さらに見直しました。改めて感じたのは、野木亜紀子という、いま最も脂ののっている脚本家の、ここまでのクオリティの作品を、リアルタイムで見られるということが、どんなに幸せか、ということです。特に、撮影すらままならない、今では。
だからこそ、ラストの、いまも機捜404として、東京を廻っているふたりが、深い意味を持ち、だからこその、サブタイトル、「0」なのです。
東京オリンピックは、ゼロの象徴になっております。上から見れば、確かにゼロに見えるのですが、最終回のど頭では、オリンピックに、賛成、反対で、小競り合いをしている人達を、二人が仲裁にいくシーンが、しっかり挿入されておりました。
反対派のひとりが呟く、「俺だって、反対したくてしてるんじゃないんだ。オリンピックがくることを、ガキの頃みたいに喜びたかった。もう、疲れた」という言葉が、まさに象徴的で、一年前ですら、いまはそれどころじゃないだろう、震災の復興にお金を回さず、何が復興五輪だ、という想いは、私もありました。そんなオリンピックが、コロナでとどめをさされ、その外見と同様に、「ゼロ」になるのです。
また、彼らが関わってきた、ドラマのなかで描かれてきた人達を、ほったらかしにしないところも素晴らしい。クズミが流した、メロンパンの移動販売車が、テロで使われたというフェイクを否定してくれたのは、その彼らが関わった人達だったのです。こういう細部の拘りが、見るものを引き付けるのです。
SNSでのしあがってきたレックは、そのSNSで炎上します。テロのフェイク画像を、拡散した首謀者にされ、本名を晒されます。しかしそれは、全て自分がかつて、してきたことでした。
クズミもそうです。ドーナツEPというドラッグで、たくさんのものを手に入れた彼は、最後の最後に、そのドラッグのせいで、逮捕されます。こんなものに、手を出す奴らがバカなのだと、嘲っていた奴らに。
で、クズミです。
映画、テレビドラマ、なんであれ、悪党が、知的で、狡猾で、魅力的であると、作品は光輝きます。
私は、菅田将暉という役者を、令和のショーケンだと思っております。作品のチョイスの仕方、ファッションへの拘り、音楽への拘りなど、タイプはまるで違いますが、同世代のなかでは、飛び抜けた存在になりました。
その彼が、テレビでは極めて稀な、悪役を、嬉々として演じておりました。「ダーティハリー」のスコーピオンを彷彿させる、得体のしれない、救いようのない、しかし、飛び抜けて頭が良く、悪知恵が働くクズミは、菅田将暉でなくてはなりませんでした。
彼が、なんの予兆もなく、登場したときのことを、私は、衝撃を受けたと、このブログに書きました。今時、こんなセンセーショナルな登場の仕方はなかったからです。そして、間違いなく、このドラマの新たな要となると確信しました。そうでなければ、菅田将暉を使う意味がないからです。
伊吹が初めて、クズミと対峙するシーンも圧巻でした。いささかの動じず、平然と会話を続けるクズミは、その時頭のなかで、対応策を必死で考えていたのでしょう。表面的には、平静を保ちながら。
また、もし、彼が呟いた、黒い波がすべてをさらっていったというのが、自身の実体験だとしたら、彼も震災によって、家も家族も全てをなくし、一度ゼロになり、それが彼の、悪事に手を出した原点かもしれないのです。
このドラマは、綾野剛、星野源という、たぐいまれなバディと、麻生久美子、岡田健史、橋本じゅんという、抜群のチーム、そして、菅田将暉という、敵がいることで、パーフェクトになりました。
来週から、どうしよう。