今日は、いつも以上に、心を込めて書いてまいります。

かつて、アメリカの辞書のような映画の図鑑のようなものを買ったことがあります。

そこに、「七人の侍」も載っていたのですが、最初にただ一言、「masterpiece」とありました。

これはもう、ホームページにも載っていたので書きますが、松たか子さんの夫さんは、宮藤官九郎さんでした。

ふたりに何があったかが、松たか子さんは、もたいまさこさんに、宮藤官九郎さんは、満島ひかりさんに語られます。

ここ、実は凄く画期的で、同じ出来事が、違う場所で、違う相手に、ふたりで語られることで、全く違って見えてくるのです。

さて!

ここからは、見た方々を前提に、書いて参ります。

夫婦は、しょせん他人です。でも好きになって結婚する。

そして、この回は、結婚したものでなければわかりません。

大好きな映画のこと、本のこと。

これは、痛いほどわかります。実感としてわかります。特に夫さんは、出版社勤務です。より、思い入れがあります。

それでも、好きだから結婚したのです。

愛していたから、結婚したのです。

でも、愛していても、好きじゃない。

坂元裕二さん、なんということを、言わせるのか。

この台詞は、一度ありました。でも、今回のほうが堪えました。その意味が、映像によって、語られるからです。

付き合っているときは、いいところしか見ておりません。勿論、結婚した後に、相手のいいところに気付くこともありますが、圧倒的にそうではないところに気付きます。

出会いから、ふたりの口から語られる思い出は、どんどん熱くなり、どんどん冷めていく。ここは、圧巻です。見事な構成です。

好きだから我慢する。相手を思いやる。

しかし、時として、そのことが相手を傷つける。思いやることが、逆に傷つける。

恋愛と結婚は違います。

温泉で出会った、結婚40年の老夫婦。

40年!

それぞれの想いが、すれ違っていく。

そして、本心に偶然気付く。無理をしていたことに気付く。

とどめが、結ばれた時の、あの曲。もう、元には戻れないと感じた、あの曲。

すげえや。かなわねえ。

さらに、プロデューサーの、佐野さんが仰っていた、「ファーゴ」!

そうきましたか。

どうです?見ていなければ、何だかさっぱりわからないでしょう。

でも、ちゃんと見た人たちは、私が言わんとしていることが、わかって頂けると思います。

神回などという表現は、使いたくありません。

一言。

マスターピース。

ぜひ、ご覧下さい。

ここまでのドラマは、まずありません。