日曜日の夜、ちょうど閉店2時間程前にユニクロで白の麻パンツ(ズボン)を購入したのだが、試着した際にその時履いていた下着の黒パンツがうっすらと透けていた。というわけで、ついでにベージュのパンツも購入しようとしたのだが、探せども自分の欲しいサイズがない。

ネットで確認するとそのお店にはあるようだったので、お店の方に聞いてみることに。


その時点でうすうす気づいていたのだが、店員さんが男性しかいなさそう。

しかもイケメン大学生が多い。


麻パンツの裾直しのピン留めも黒パンツを透かせながらイケメン大学生にやってもらったぞい。

さすがBBA、さして恥ずかしくはなかった。


が、見本の下着を手に持ってサイズ違いを尋ねるとなると話は別のようで、だんだんと聞かれる側が気の毒に思えてきて、しばし女性の店員の方を探しみた。

しかし、一向に見つからない。多分、女性の方はいなかったのだろう。


よってまたもや別の男子大学生店員さんを捕まえてベージュパンツの在庫確認をしてもらった。

私の思いはなんのその、特にこれといった反応もなく普通に探してきてくれた。何なら依頼した私の顔なんぞ覚えてもいなかった。


しかしだね、やはり男性より女性に聞きたかったと。

これ、もし若い女の子達が今回の私のようにブラやパンツのサイズ違いや色違いが見たからなかったはどうするのだろう…


ネット注文か、取り寄せか?

でも、お店にありそうで今すぐ欲しかったら?


質問したが故に男性店員に隠れ巨乳がバレたらどうする?


学生時代の自分ならどうするんだろ…

日中に改めて来るのかなぁ、とかちょっとだけ考えた時間であった。


まあ、そんだけ




歳を重ねると親交があった人との別れが増える。


先週末に伯父が亡くなった。

この伯父は父アキラの姉の夫なので、血の繋がりがあったわけではないが、よくわからんが小さい頃からそこそこ可愛がってもらっていた。


私が思春期の頃の彼の挨拶が

『おー、ビブ子、乳デカくなったな』


は今となっては良い思い出


なわけねーよ!!!!


まあ、人には笑い話として話してはいるけど。


とんだセクハラ王で、盆正月に会うのがホントに嫌だった。

会う人、会う人、下ネタばかり言っていた。

田舎と言うのもあるけど、人が揃えば下ネタが飛び交っていて、父アキラがその会話に参加していなかったのは救いだったかもしれない。


でも思えば伯父はとても面倒見のいい人だった。

幼少期、父アキラの実家で葬儀が行われた際、幼かった私や数人の従兄弟は2階の片隅に追いやられていたが、そこに度々顔を出してくれたのは彼だった。


就職に困る親族を軒並み縁故で就職もさせていた。


私もお世話になりかけた。


伯父はたぶん地域の名士だったと思う。


そんな伯父の奥さんが父アキラの姉である。

ある意味玉の輿であったが、ちっともそんな風に見える人ではなかった。

私が覚えている彼女はいつも痩せていた。

長生きしすぎたお姑さんがいたので結婚生活が辛かったのかと思った時もあったが、全然違っていて、彼女は不治の病だったようだ。

私の記憶の中で彼女は入院している事が多かった。お見舞いに行った事もあったが、行くとヨーグルトをくれた。

そして、ホントに身体がしんどがったのだろう。しばしば、見舞いに訪れた私達に早く帰るように言ったそうだ。


その彼女はたまに退院したりもしたが、20年程前に帰らぬ人となった。


名士の伯父の奥さんの葬儀という事で、それはそれは多くの弔問客だった。


その葬儀の際、喪主である伯父は相変わらず下ネタを振り撒いて挨拶周りをしていた。

どこかで粗相があれば我先に駆けつけて片付けていた。

確か小さい子が飲み物か何かをこぼした時も彼は誰にも頼まずに自分で布巾を取りに行って拭いていた。


そんな忙しく動き回る彼に娘が

「じいちゃん(既に孫がいたので)、お別れはもういいか!?」と聞くと


「おう、もう連れてけ、連れてけ!」と片手だけあげて背を向けて歩いて行った。


娘ももうそれ以上何も言わなかった。


その姿に伯父の悲しみが見えたから。


伯母が亡くなって20年。

遂に伯父もこの世を去った。

あんな挨拶してくるような人だもの。

不死身かと思っていたが、そうではなかったようだ。


伯父さん、私の結婚式でも下ネタで挨拶したよね?


あの世でもやっぱり開口一番は下ネタなんだろうか。


でも、その下ネタで伯母さんと思う存分笑えてたらいいな。










長宗我部に兄(以下、義兄)がいる。


その義兄は結婚して義母と完全分離型同居をしている。次男家としては感謝している。


その義兄が義母曰く、結婚してからずっと反抗期と言うか義母に冷たいらしい。


ただ、義母はこの年代に珍しく一人っ子で、本人が思う以上に自己中心的でわがままである(長宗我部談)。

よって、話を聞いていても、嘘は言っていないが故意に言わない事があったりして自分に都合良く話す。


ここ数年の義母と義兄のいざこざを聞いていると、結局、義母の義兄への長年の過干渉が原因の一つに思われる。

過干渉と言うか、人生の選択時の誘導が正しいかもしれない。

義兄の生い立ちや現状を聞いていると、素直だった若かりし頃の義兄はここぞという時に自分自身で決断せず、義母の話に納得?流されて?決断しているようだ。

よって、現状に不満が募るとたらればの未練が現れ自暴自棄になるようだ。


確かに義母は義兄をコントロールしたがる傾向にある。彼が結婚するまでそれができていたようだ。

しかし、義兄にも思う。

最後に選んだのは自分だと。


それも踏まえ自分に置き換えて考える。

私自身、大学は2択であったが、母親に毎朝6時から右手にA大学の入学願書、左手にB大学の入学願書を持って部屋に入ってこられて、A大学の方が良いと思うな〜と笑顔で攻められること1週間以上。A大学を選んだ。

結果的に私にとって大事な出会いがあったのでそこへの進学は間違いなかった。

ただ、4大へ行きたかった気持ちが残っていた。

Aを卒業後就職するが、そこでの会社員生活は自分にとって悲惨で地獄だった。

(歳を重ねた今、その当時の自分の至らなさもわかる)

となると退職を考えるのだが、母は現状維持を望み、何とか続けさせようとした。

その気持ちもわかるがその時は限界だった。

そして、母の望む道には応えたくなかった。

その時父は次の道を決めて進むように言った。

なので私は大学への編入を決めた。


大学在宅中に長宗我部と出会い、卒業後そのまま結婚した。

この時は父が少し反対したが、母は後押ししてくれた。


私は自分の都合よく、彼らの後押しを利用した事になるのだが、何が言いたいかと言うと、退職からは自分で選んだ道を歩ませてもらっているので、年齢や経験もあるかもしれないが、自分なりに納得して生活している。


長宗我部が仏の様に良い人なのもあるが、もちろん彼に腹が立つ時もあるし、しんどい時もある。

でもそれは親には言わない(言うほどでもないのかもしれないが)。

今している仕事のことも彼らには話さない。

彼らに不満などを言いたくない。

身体の調子があまりにしんどいと弱音を言う時もあるが基本強がってる。

最終的に自分が選んだ事だから。

遠回りして、たくさんのお金と時間をかけてもらって得たものだから。


ただ、今の全てが自分の望んでいた人生かと言えば話は別である。しかし、ここまでしか出来ないのも現実。自分の力不足、努力不足である。


義兄にその気持ちはあるのだろうかと思うし、義兄ももう少し早い段階でワガママを言えていたら、今とは違う状況になったのだろうか?と義母の話を聞くたびに思う。



またこうやって自分の人生を振り返ると、自分の親に改めて感謝する。

結局は私のやりたいことをやらせてくれた。

義母をみていると、子どもの選択を尊重することは親として時に難しいことだと思う。


そして殿の未来に想いを馳せる