イタリア人は地理に弱い。でもイタリアは地域差が大きいし、僕もすべての地方の人を知っているわけではないので、こう言ってしまうと語弊があるかもしれない。なので、イスキアの人は地理に弱い、、、、これは少なくとも経験上、声をにして言える。

ってまた島のイメージダウンにつながりそうな、、、、
次回頑張ってプロモーション記事でも書かねばにひひ

僕は小学生の頃、世界地図を見るのが大好きだった時期がある。
地図を見ながら、まだ見ぬ世界を想像して旅をしていた。
また、プロフィールでも告白しているが、小六の時、家にあった車庫に閉じこもり、魔女が持っている典型的なホウキにまたがって空を飛ぶ練習をしていたという輝かしい経歴もあるキラキラ

特に世界地図には結構長い間ハマり、学校から帰るとランドセルを放り投げて地図の本を読みふけるという感じだった。友だちからの誘いも悉く断ったため、親友から絶交を言い渡される程の深刻な中毒状態におちいったが”ああ、これで心おきなく地図が見られるラブラブ”と内心ほくそ笑んだものであるぶーぶー

前置きが長くなってしまいましたが、何を言いたかったかというと、自分が地理には比較的詳しいという事を考慮に入れて公平な目で見たとしてもイスキア島民の地理音痴はヒドイということだわんわん


例えば”え、トルコって島じゃなかったの!?はいかがだろう?
日本とロシアの東端が比較的近いということを知った後の発言として”じゃあ日本とヨーロッパは近いんだねドキドキというものもある叫び

”日本はEUに加盟してないのはてなマークと聞かれたのは記憶に新しいところだ。

僕の目が厳しすぎるのだろうかはてなマークまあ、なじみの薄い国や、アジアの端にある小国について知らなくてもいいとしよう、百歩譲って。
黄金の国ジパングのままでもいいよあせる  

でも、近隣のヨーロッパ諸国や、同じ地中海沿岸諸国にについては最低限知っておいたほうが良くないかい!?
アフリカに至ってはいまだに暗黒大陸に近いイメージを持たれているフシがある。
マゼランやコロンブスの発見はまだ届いていないのかパンチ!
もしも、世界は平らで象や亀によって支えられており、端には大きな滝があってその下では悪魔が待ち構えていると思っている人が現れたとしても、卒倒しない自信がある。


あ、これはちょっと言い過ぎたかも。
この点に関しては中高年の方々のほうが重傷だが、若者もかなり治療の必要大である。
もっと社会科の勉強に力を入れるよう誰か文部省に直訴してくれないものか。

こんな告発をした後で言うのもなんだが、イスキアを好きだからこそ愚痴も出るのである。
もっとよい島になってほしいと願うあまりに。まあこんなことを言っても焼け石に水だと思うので最後にきれいな写真でも載せてイメージアップにつなげたいところですアップ

最後までお付き合いいただきありがとうございました
$イスキア島から吹く風
今回は今話題(?)のバチカンの写真をお届けしますかお先月、ローマ法王が突然の引退を発表した際には、イタリア中に大きな衝撃が走りました。日本でもニュースになりましたかはてなマーク

理由については様々な憶測が飛び交いましたが、すでに引退した今となっては、もっぱらの話題は明日から始まる法王の選出会議、コンクラーベです。前回の法王も就任当時は結構ボロクソ言われてました汗
基本的には終身制である法王が任期途中で退位したのは実に600年ぶりというのも驚きですねえっ

ともかくバチカンが久々に世界の脚光を浴びることに間違いはなさそうです。
バチカンには何度か訪れた事がありますが、大聖堂のクーポラの上に登ったのは去年が初めてでした。
では、その時の様子をちらりとどうぞカメラ


$イスキア島から吹く風
毎週日曜には法王による説法が行われ、世界中からの信者で埋め尽くされる広場。レストランでも日曜はとりあえずそのチャンネルがついている。誰も見てないけどガーン
$イスキア島から吹く風
バチカンの衛兵。制服はあのミケランジェロのデザインだと言われていますアート

$イスキア島から吹く風
クーポラを下から見たところ。今から登りますよ~音譜$イスキア島から吹く風

$イスキア島から吹く風

$イスキア島から吹く風
冬の曇り空で見晴らしがあまり良くなかったけど、こんな感じです。綺麗だったけど、他のイタリアの街の塔やクーポラからの眺めのほうが素晴らしいと思いました。でも、とりあえず登って満足ラブラブ

$イスキア島から吹く風
今、このクーポラのもとでは、法王選出を巡って様々な策略や思いが渦巻いているんでしょうねえ、、、メラメラ
最後までお読みいただきありがとうございました音譜
今日であの大震災から2年が経ちました。日本では大きなニュースとして取り上げられていると思うし,明日テレビをつけたらきっとこちらでも話題になっていることと思います。
僕はイタリアに住んでいて、親せきにも被災者はいません。震災にあった方々のために募金をしたことはあっても、自分から何か行動を起こしたり、ボランティアに参加したということもありません。
けれど一人の日本人として、震災のニュースをリアルタイムで見た一人の人間として、あの地震の衝撃を忘れることはないでしょう。

普段から震災のことについて語ったり、常に考えているというわけではありませんが、それでもあの出来事をきっかけに何か危機意識が生まれ、日常というものが実はもろい基盤の上に立っているのだということを認識させられました。
ありきたりな言い方ですが、そういったことは不自由なく生活できることの有難さや、もっといえば今存在していることの貴重さを教えてくれたような気がします。

無常感。昔ならば自暴自棄的な響きを感じたこの言葉も、今では諦観の先に見える何かしんとした道標のように思えます。こんなことを言っていても実際悲惨な境遇にあったらどう感じるかわかりません。ただ今は日々の葛藤や悩みはあっても、まともな生活ができるなら、そのことに感謝しながら生きる義務があるのだと思うようになりました。

甘い意見だと言われるかもしれません。でも、何もなかったように日々のことを書く事が何だかできなかったので、少しつぶやかさせていただきました

震災から約一ヶ月後、急用で日本に帰ることがありましたが、その時の成田空港は照明がとても暗く、空港内もガラガラで緊迫感が漂っていました。出国の時も空港内のホテルに宿泊中、震度5の地震に見舞われ、怖い思いをしたものでした。
イタリアも日本ほどではありませんが、地震の多い国です。万が一の事態に備えて出来るだけのことはしつつ、ただいたずらに日々を過ごすことのないようにしたいものです。

被災地の復興を心より願っています