今日であの大震災から2年が経ちました。日本では大きなニュースとして取り上げられていると思うし,明日テレビをつけたらきっとこちらでも話題になっていることと思います。
僕はイタリアに住んでいて、親せきにも被災者はいません。震災にあった方々のために募金をしたことはあっても、自分から何か行動を起こしたり、ボランティアに参加したということもありません。
けれど一人の日本人として、震災のニュースをリアルタイムで見た一人の人間として、あの地震の衝撃を忘れることはないでしょう。

普段から震災のことについて語ったり、常に考えているというわけではありませんが、それでもあの出来事をきっかけに何か危機意識が生まれ、日常というものが実はもろい基盤の上に立っているのだということを認識させられました。
ありきたりな言い方ですが、そういったことは不自由なく生活できることの有難さや、もっといえば今存在していることの貴重さを教えてくれたような気がします。

無常感。昔ならば自暴自棄的な響きを感じたこの言葉も、今では諦観の先に見える何かしんとした道標のように思えます。こんなことを言っていても実際悲惨な境遇にあったらどう感じるかわかりません。ただ今は日々の葛藤や悩みはあっても、まともな生活ができるなら、そのことに感謝しながら生きる義務があるのだと思うようになりました。

甘い意見だと言われるかもしれません。でも、何もなかったように日々のことを書く事が何だかできなかったので、少しつぶやかさせていただきました

震災から約一ヶ月後、急用で日本に帰ることがありましたが、その時の成田空港は照明がとても暗く、空港内もガラガラで緊迫感が漂っていました。出国の時も空港内のホテルに宿泊中、震度5の地震に見舞われ、怖い思いをしたものでした。
イタリアも日本ほどではありませんが、地震の多い国です。万が一の事態に備えて出来るだけのことはしつつ、ただいたずらに日々を過ごすことのないようにしたいものです。

被災地の復興を心より願っています