フィリピンのメイのはなし。 | 世界を股にかける腰痛治療家 Ken Yamamotoのブログ

世界を股にかける腰痛治療家 Ken Yamamotoのブログ

Ken Yamamotoは世界を股にかける腰痛治療家であり腰痛研究家でもあります。
 『世界中から腰痛をなくしたい』
この想いからKen Yamamotoオリジナル治療法『Ken Yamamotoテクニック(KYメソッド)』ひとつをひっさげ、
世界中からのオファーに応える。

「助けて下さい!!!パパの膝が
腫れて動かなくなっちゃったの」

「あぁ何てことだメイ!
パパは立てるのか?歩けるのか?」

「立てないし歩けない。
膝が腫れてしまってどの動きも痛いのよ」

すかさずRICE処置を指示する。
送られてきた写メは明らかに腫れていた。

「お父さん歩けないから仕事が出来なくて
お母さん一人では家庭を支えられなくて、
仕方ないから私が働いて家族を支えたいと思ってる」

「仕方ないね」

「とても辛いわ、大学もお金が足りないから
ストップするしかなさそうなの。もうすぐ
大学で試験を受けるお金がいるのだけど
とても私達には払えない金額だから。
私はまだ17歳だから法律で働いてはいけないの。
でも家族を守りたいからもうすぐ18歳なので仕事探すのよ」

「そうか大学辞めるのか、残念だけど
仕方ないね。でもさ貯金とかないの?」

「あるわけないでしょ、あなたうちに
来たことあったじゃない。
ウチは借家だし家族には借金もあるのよ」

「そうだったのか。大変なんだね」

「パパの膝さえよくなったら全部が元どおり
になるんだけど。今は悲しい気持ちしか出ないわ」

メイは文面から必死だった様子を伺わせた。
ココで俺に借金さしてくれという話なら
バッサリ切ってしまうところなんだけど何も求めてこない。
そして考えているのはパパの膝の痛みだけだった。
だから俺も大学にいくら納めなくては
いけないのかもあえて聞かなかったんだ。

答えたのは
「大変だね、頑張ってね」
だけだった。

4日たってまた連絡があった。
「パパは親戚の家に運ばれて療養中なの。
相変わらず痛くて歩けないのよ」

「もう私は決めたの。大学辞めて
来月から働いて家族を支えるの」

「来年英語の先生になる為の大学に行くことにした」
あれ?以前は今の大学の後理学療法士
の学校へ行きたいと言っていたのに

「そう。でも理学療法士は給料が
良いけど大学の授業料が高いのよ」
だから英語の先生になって家族を支えるの。

メイが住んでいるのはセブ島のスラム街の様な地域。
大通りから薄暗い路地を200mほどズンズン
進んで行くとブワッと広がる街があるんだ。

街といっても明らかに裏社会。
政府も管理仕切れていないだろう地域
つまりそれはスラム街だった。

家といっても瓦礫小屋もあるし壁がなく
どうにか天井の下で暮らしている人もいる。

メイの家は驚くほど汚かった。
メイは自分の家を恥じた。

「汚いでしょ。だからあなたがくる
ような場所じゃないって言ったじゃない」

恥ずかしがりながらもメイは家族を紹介してくれた。
お父さんは俺を見ると

「なんだ韓国人か?アニョー」
と言って手を挙げて挨拶してきた。
セブ島には韓国人が多いんだ。

「パパ彼は日本人よ」
「TOYOTA MITSUBISHI AJINOMOTO」
そう言いながらママが出てきた。

メイとメイのクラスメイトと俺は
歓迎してもらいビールをご馳走になった。

スラムにはスラムの掟があり、
借家といった決め事もあるのか、、、
このとき初めて知った。

メイと出逢ったのはセブ島の大学だった。
去年の夏だった。
ふーん、こんな感じなんだぁ、フィリピンの大学て。

ズカズカ大学構内を勝手に見学していて
階段を降りたところにメイと友達がいた。
メイの隣の友達が手を振ってくれたので
俺も手を振り返したんだ。

メイと目が合うと
クイっと顎を軽く上げて笑ってくれた。
爽やかで可愛らしく俺が中学生の時に
好きだった薬師丸ひろ子に似ていたんだ。

いつでもどこでも英会話をしたい。
そうでもしないと英語の能力は成長しないだろう
と思って友達でも欲しいなと思っていたんだ。

初めまして!からその日のうちに俺たち4人
(メイと女友達とレディーボーイ)は仲良くなっていった。

俺が話せる英語のレベルは限られている。
簡単な話しかできない。例えば

「日本人は子供ができると名前に意味を持たせて
名付けるんだ。俺の名前の意味はねこんな感じ。メイは?」

「五月生まれだから名前をメイと付けられたの」
とか簡単な英語でペットの話とか家族の話なんかよくした。

初日から随分と話ができて大満足だった。
彼らは日本のアニメが大好きで、
日本語でこれはなんというの?を繰り返した。
日本語を教えているうちにMr.Ken
とかsir Kenと呼んでいたけど
自然に俺のことをKen sanと呼ぶようになったんだ。

メイは一見20代前半、歳を聞いて驚いた。
まだ17歳だったんだ。

その瞬間なんだガキンチョかよと気持ちは萎えて
しまったが英語のスキルアップには丁度いい。

メイの英語は聞き取りやすく、そしてわからない
単語や発音は何度でもやりなおしてくれた。

また友達は同級生なのに20歳
そしてとても親切にしてくれた。
でも顔はタイプではなかった。

そしてレディーボーイ通称オカマ君は
チラチラ俺のことを見続けているのを
知っているが敢えて無視。

とにかく素敵な友達が出来たんだ。
翌日もその次の日も一緒にランチして
マックでお茶して英会話した。
家の話になったとき聴いてみたんだ。

「どんなお家に住んでるのか見せてよ」

なかなかオッケーしなかったメイが
ようやくオッケーしてくれその晩
メイとクラスメイトと俺は
とんでもない暗闇に連れて行かれた。
フィリピン人にとっては普通の路地も
東京育ちの俺は普通ではない。

「もうすぐよ」
とメイが言った頃にはとっくに
引き返したい気持ちになっていた。
それくらい薄暗い路地を何度も曲がったんだ。

もうメイ無しに大通りまで戻れないかも、
そう思った瞬間一気に街が拡がったんだ。
スラム街は匂いがきつく野良犬が多い。
大声で吠えてくるがメイがシッとやると犬たちは黙った。

メイの家の汚さに驚き見回していると
次々に出てくる家族を紹介されながら、
あ、ドモドモはじめましてを繰り返した。

椅子も一斗缶のようなトコに座らせられたし
出されたコップも汚かった。
それにしてもとんでもない所に
連れてこられたもんだと思ったよ。

とにかくメイは困っていた。
そして俺もまたセブ島へ行かなくてはいけない
別の用があるのをメイには黙っていた。
村長の家族と選挙活動についての話し合いがあったんだ。
村長が市長選に立候補するからさ。
セブ島に立ち寄る予定をまだメイには伝えていなかった。

ある日メイが言ったんだ。
「Kenさん あなたにならパパの膝が治せる?」
それは分からない
「それでももしも治してくれたらホントに嬉しいな」
そうだね。
「でも私にはあなたを呼ぶお金も無いんだったわ」
そっか それは残念だ。

そんなやりとりがあったんだ。

ときどき思うんだけど、
施術に必要なお金って幾らなんだろう。
日本では通常1施術一万円で行っている。
これは日本人の感覚でしっくりきている。
一万円の価値を理解しているし施術の
価値から高くも安くもないと思っている。

でもこう言った貧困に窮している方々の
施術はどうしたものなんだろうか?
自分の価値を下げるな!安くするな!
なんてコンサルの人はよく言うけど
一万円の価値はココでは月収にも
匹敵するんじゃねーのかと言う勢いだ。

そして聞いたんだ。
「メイは大学を本当は辞めたくないのだろ?」

「勿論よ!友達が居るしそれにせっかく一年通ったんだから」

「払えないというテスト代は幾らなの?
テスト代払えないから学校辞めてしまうんだろ?
それと家族を支えるために」

「そう、できるなら学校を続けたい。
テスト代は1500ペソ(4000円)よ。
パパの膝が戻ればいいのよ。
でも今日家族に話そうと思っているの。学校辞めるって」

わずか4000円を払えないために大学中退するのか、、、、。
なんてかわいそうなんだ。

「支払期限はいつなんだ?」

「6月5日金曜までよ」

「その期限伸ばせられないのか?
だってパパの膝が戻れば元どおりなんだろ?」

「そうなの、でも学校の先生とも話したのよ。
伸ばしてもらえて6月5日の午前中が期限なの」

なんだかとても切なさを感じているだろう
メイを想うとコッチまで切なくなってきてしまったよ。

腫れ上がってしまった膝をどう視るか。
未だ見ぬ膝に想いを馳せている。
膝の施術、何処まで助けてあげるのが友情なのか、
そして彼らから受け取るべき報酬とは何か?

昼と夜の境目、まどろみの時間をシートの
窓越しに見ながら俺はセブ島に降り立った。



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