女性にとっての仕事と子育て。
数十年も昔から言われてきたこと。
この中には、自己実現と子育てというより小さなカテゴリーが存在する。
私はこっちの方にもっと興味がある。
なぜなら現実には、子どもを産む前と全く同等の仕事を再開できる女性は日本では少数派。
たぶん、20年後も。
だいたいの人は、仕事の方を妥協してようやく3対7くらいで実践している気がする。
だけど、自己実現と子育ての両立というのは少し状況が違う。
自己実現には、自分の生き方への満足度という、人によって全く違う物差しが存在するから。
私の育ってきた環境には、20代前半とか10代で子どもを産み、育て、比較的早い段階で第二の人生を歩むというスタイルの人がいなかった。
いわゆるキャリアを早々に切り上げて主婦を長くやっている人はいるけれど、
自分の親も含めてその両立は自己実現というよりは、仕事という人たち。
でも、今住んでいるオーストラリアではなぜか割と10代くらいで子どもを産み、
20代30代という、自分磨きに精を出す時期は子育てをしていた人たちが周りに多い。
思うのは、その20代、30代に”得られなかった物や感情はどこへ行ってしまうのか”ということ。単純に失っていると見るのか?
得られなかったものとは、実際に自分の得た財産、名誉、友人や指導者、そして単純に時間。感情とは、夢や目標があったならそこへ到達するためのあらゆる感情、切磋琢磨、そして達成感や希望。そして単純に自由であるということ。
(わがままに生きる、自分勝手であるということとは違う。自分が自由であると感じる感覚のこと)
中でも時間や自由であるということは、単純そうで実は取り返しがつかないし、人によってその価値は億にもなる。もちろん家族を得ても両方を実感することは可能だと思うけれど、多くの人はその両方を失っていると感じているのではないか。もしくは、あるはずなのにどこか海の底のようなところに深く沈んでいて手が届かない、そんな感じ。そしてその”喪失感”が多ければ多いほど、富や名誉や友人、その他をその後得たとしても、多くの人は満足感が得られずにその幻(実際は違うけど)の感覚を求めて一生さまようことになるのではないか。
私には義理の姉がいて、彼女は高校を卒業してすぐに連れ子のいる年上の男性と結婚した。すぐに二人の娘が産まれたが、暴力夫とうまく行かずに離婚。まだ20代なので新しい人生をスタートさせたかったが、子どももいるし働かなくてはならない。彼女はそのうち一人の娘だけを連れて、新天地で再婚。ビジネスも成功させたが、今はアルコール依存している。
連れていかなかった方の娘は10代で子どもを二人産み、ギャンブル好きな暴力夫と何度も裁判沙汰になりながら恋人の家を点々としている。
二人とも一生、”失われた時間と自由”の感覚を求めて生きて行くことになると思う。
単純にたった一時点、人生の節目での決断力不足と言えばそれまでだけれど、
後遺症は大きいのだと言わざるを得ない。
もちろん、自由に生きるということは簡単ではない。
私はその厳しさをも実感している。
それでも、一度しか生きられない人生に与える価値があるかどうかと聞かれれば、
間違いなく答えはYesだ。
長い人生を生き抜くあらゆる指針が見つかるかもしれない本当に尊い時間だから。
数十年も昔から言われてきたこと。
この中には、自己実現と子育てというより小さなカテゴリーが存在する。
私はこっちの方にもっと興味がある。
なぜなら現実には、子どもを産む前と全く同等の仕事を再開できる女性は日本では少数派。
たぶん、20年後も。
だいたいの人は、仕事の方を妥協してようやく3対7くらいで実践している気がする。
だけど、自己実現と子育ての両立というのは少し状況が違う。
自己実現には、自分の生き方への満足度という、人によって全く違う物差しが存在するから。
私の育ってきた環境には、20代前半とか10代で子どもを産み、育て、比較的早い段階で第二の人生を歩むというスタイルの人がいなかった。
いわゆるキャリアを早々に切り上げて主婦を長くやっている人はいるけれど、
自分の親も含めてその両立は自己実現というよりは、仕事という人たち。
でも、今住んでいるオーストラリアではなぜか割と10代くらいで子どもを産み、
20代30代という、自分磨きに精を出す時期は子育てをしていた人たちが周りに多い。
思うのは、その20代、30代に”得られなかった物や感情はどこへ行ってしまうのか”ということ。単純に失っていると見るのか?
得られなかったものとは、実際に自分の得た財産、名誉、友人や指導者、そして単純に時間。感情とは、夢や目標があったならそこへ到達するためのあらゆる感情、切磋琢磨、そして達成感や希望。そして単純に自由であるということ。
(わがままに生きる、自分勝手であるということとは違う。自分が自由であると感じる感覚のこと)
中でも時間や自由であるということは、単純そうで実は取り返しがつかないし、人によってその価値は億にもなる。もちろん家族を得ても両方を実感することは可能だと思うけれど、多くの人はその両方を失っていると感じているのではないか。もしくは、あるはずなのにどこか海の底のようなところに深く沈んでいて手が届かない、そんな感じ。そしてその”喪失感”が多ければ多いほど、富や名誉や友人、その他をその後得たとしても、多くの人は満足感が得られずにその幻(実際は違うけど)の感覚を求めて一生さまようことになるのではないか。
私には義理の姉がいて、彼女は高校を卒業してすぐに連れ子のいる年上の男性と結婚した。すぐに二人の娘が産まれたが、暴力夫とうまく行かずに離婚。まだ20代なので新しい人生をスタートさせたかったが、子どももいるし働かなくてはならない。彼女はそのうち一人の娘だけを連れて、新天地で再婚。ビジネスも成功させたが、今はアルコール依存している。
連れていかなかった方の娘は10代で子どもを二人産み、ギャンブル好きな暴力夫と何度も裁判沙汰になりながら恋人の家を点々としている。
二人とも一生、”失われた時間と自由”の感覚を求めて生きて行くことになると思う。
単純にたった一時点、人生の節目での決断力不足と言えばそれまでだけれど、
後遺症は大きいのだと言わざるを得ない。
もちろん、自由に生きるということは簡単ではない。
私はその厳しさをも実感している。
それでも、一度しか生きられない人生に与える価値があるかどうかと聞かれれば、
間違いなく答えはYesだ。
長い人生を生き抜くあらゆる指針が見つかるかもしれない本当に尊い時間だから。