80歳の母(認知症で要介護5。全介助が必要 

アラフィフの私(独身。ただいま時短勤務中)
2人でボチボチ暮らしています。

[遠方に姉、同じ県内に兄がいますが、介護の協力は絶望的…、と書いていましたが、昨年の父の入院を機に姉が数ヶ月おきに来てくれるようになりました。父の死去によって兄とも連絡を取れるようになりました。とはいえワンオペですねぇ]

※ 母:2017年4月、自宅内の梯子から落下し、第三腰椎破裂骨折。進行性核上性麻痺の疑いとの診断もあり。2021年12月ごろに突然全く歩けなくなってしまい全介助が必要な状態となりました。そして長年連れ添った父は昨年12月に死去しました。

『認知症介護をできる限り笑いに変える』をモットーに日々の奮闘ぶりや介護に無関係のしょうもないことなどをツラツラと書いています

昨年の夏ごろまでは「父との生活が限界」などと酷い内容のブログがほとんどでしたが、約半年の入院からの死去に伴い、父の偉大さを今更思い知った親不孝な娘です悲しい

そして自分のことを一方的に投稿するだけで、皆さまのブログになかなかご訪問できず本当に申し訳ございませんショボーンお許しを。ボチボチブログ訪問を再開したいと思いつつ、まだ当面落ち着かない日々を送りそうです…。

初めましての方もたくさんお邪魔してくださり「いいね!」を押してくださったり、私のブログをフォローしてくださったり…。本当にありがとうございますなのに、「いいね!」もフォローも何も返せなくてごめんなさい悲しい


こんにちは。うこです。  

2月初めに母がコロナに罹患し、想定外の有休取得で残日数が少なくなってしまったので、行こうかどうか悩んだのですが、先日午後半休を取得して下記セミナーを受講してきました。(やはり人気があったようで、倍率1.5〜2倍の抽選だったそうです。行けて良かった)


NHKスペシャルも拝見していたし、『脳科学者の母が、認知症になる』という本も何度も読んでいたので、いつかご本人にお会いしてみたいという夢が叶いました。

いい意味で『普通の人』でしたラブラブ脳科学者って聞くとお堅いイメージがあったのですが、見事に裏切られました。ご本人が「私、落ち着きがないんです」とおっしゃっていたのですが、その通りでした泣き笑い

1人の娘として、お母さまの変化に向き合えなかった(一年近く現実を受け入れらることができず、病院に連れて行くことが出来なかったとおっしゃっていました)お話や、認知症と診断されてからの気持ちの切り替え方、コロナ禍での入院で会えないことによって認知症が進行してしまうのではないか(娘のことも忘れてしまうのではないか)という不安があって会うのが怖かったというエピソードなど、共感できるところが多かったです。

脳科学者であっても私たちと同じ人間で、戸惑いや不安なお気持ちがあるんだなぁと感じました。


心に残る言葉があったのですが、その中で最も印象に残ったのが【言葉で言えることだけを見ることは、本質を見逃すこと】という言葉です。

認知症の人は言葉に出すことはできなくても、身体は覚えているんだそうです。言葉にすることが苦手なだけで、ヒントがあったら掴み取ることができるんですと。

そう言われれば、私の母は自分の名前も年齢も何にも言えませんが、『〇〇さーん』や『〇っちゃん』と言うと、「はい」と返事をすることができます。←無視されることもありますが指差し

母はちゃんと分かっているんです。

これは言葉を発することができない赤ちゃんを育てる時を考えてみると分かりやすいとのことでした。

「たくさん抱きしめて育てた子供」と「日常的に体罰が繰り返されていた子供」が居たとして、大きくなった時にそれぞれ違いが出てくると。

赤ちゃんなので決して言葉にできないけれど、赤ちゃんの時の記憶はずーっと身体に染みついていて、言葉に出せないだけで身体は覚えている。身体を通した記憶があると。

なので、認知症介護において『旅行に行ったのに、帰り際に行ったことすら忘れている』とか『〇〇してあげたのに、忘れられていた』っていう状況は多々あるかと思うのですが、それは単に記憶が続かなくて言葉に出せないだけで、楽しくて優しい時間を過ごしたという記憶(感情)は失っていないと。


そのほかにも【認知症になるとその人が大事にしてきたことが見えてくる】という言葉もありました。

先生のお母さまの場合は、お母さまと晩ごはんを一緒に作って、「さて、晩ごはんを食べよう」となったら決まってお母さまが『ちびちゃんは?』とおっしゃって困らせていたようです。その発言のその真意を探ると【お母さまはいつも先に子供に晩ご飯を食べさせていた】そうで、その記憶が残っていてそれが言葉となって出てきていたんだそうです。

不思議な行動はその状況を書き留めて行くことで、対処法になるヒントが見つかることもあると。


最後に【安全基地を作る】という言葉をおっしゃっていました。

認知症になると能力は落ちてしまうけれど、その人らしさや感情はずっと残っていて、「自分の居場所」や「自分の役割」を求めていると。

本来は今の家族がいる家が一番安心できる場所となるはずなのに、その家族が自分の失敗に対してビックリしたり戸惑った態度を取るからドンドン不安になってしまい、もはや安心できる場所ではなくなってしまう。

なので、安心できる存在を求めて自分が生まれ育ったところに帰るとなるのだと。ただ、先生がおっしゃるのは「家」といっても具体的な昔の家を指し示すのではなく、「安心できる場所」を探し求めているだけなのだと。なので、安全基地を作ってあげることが大事だとおっしゃっていました。

とはいえ、なかなか思うようにいかないのが認知症介護の大変なところでもありますね。介護する側にも感情がありますから。(時間的精神的に余裕もなくなりますしね)


話が変わりますが、昨晩テレビをつけていて面白くないからほかにどんなテレビやってるんだろうと番組表見てたら(新聞の購読をやめたので、テレビで見るしかないんです)、ガイアの夜明けで認知症のことをやっていました。


岩手県にある「銀河の里」という素敵なグループホームが紹介されていました。←TVerで見れるといいですが、どうかな?


管理しない介護。こういう施設が増えたらと思いますが、難しいでしょうね。



そうそう、またセミナーに話が戻りますが、書籍が売られていたので、購入すると先生のサインがいただけました。


名前を書いていただいて、少しお話もできて。先生もお母さまを亡くされて大変だろうに、優しいお言葉をかけてくださいました。思わず泣いてしまいました。




優しくて温かい時間が過ごすことができました。



母との時間は負担になることもありますが、母から元気をもらうこともたくさんあるので、これからもたくさん話しかけて楽しい時間を過ごしたいと思います。


皆さまもそれぞれに大変なことがあると思いますが、自分自身を大切にしながら、無理し過ぎないようにボチボチとお過ごしくださいね。


長々と書いてすみません。最後まで読んでくださった方、ありがとうございますラブラブ