↑↑の続きです
行政と包括支援センターとの話し合いも終わり、小規模多機能の見学の予約をしました。
包括の方から事前におおまかな概要が伝わっていたので予約はスムーズに進みました。
見学し管理者と利用を前向きに考えている旨を伝えました。
すると管理者から意外な言葉が・・・
『今、希望通り(こちらの希望は月に4日程度は自宅で介護しそれ以外をお願いしたい)の利用が難しい?』とお話がありました。
❓❓❓
話が違うんだけれど
と思いましたがあくまで
『今は』
と言われたので受け入れられる状況まで待つ(🟰今のグループホームにいる)という事にして連絡を待つ事にしました。
正直、月に4日父が在宅で過ごすということは今の私たち家族にできるギリギリのところでした。
待機の為の申し込み用紙も提出しました。
しかし待てど暮らせど小規模多機能の方からは連絡は来ません。
やっと来たと思ってもこちらの希望通りではなく在宅中心の提案をされてしまい聞いていた話と全く違う❗️と憤りを覚えました。
それでも待つ(心の中では無理だなと思いながら)という選択をしたのでそれまでは
義父には申し訳ないけれど今いるグループホームで過ごしてもらう事になりました。
そうこうしていると6月の最終週。
事件から3ヶ月近く経過しました。
今いるグループホームから
『支援計画を確認して欲しい』
と連絡がありました。
支援計画は高齢でも障がいでもその人の支援をするための元になる物。
以前、あまりにもお粗末な計画書を見せられて赤ペンで修正をしたことがあるので(それまでは夫がめくら判)必ず確認させてもらっています。
「めくら」って言葉、今は使わないし使っちゃいけない言葉みたいに思っているけれど「めくら判」は差別的な意味はなさそうに感じたので使いますね。
小さいことは目をつぶろうとは思っていますが
【家族の希望】のところで
『穏やかに〇〇(グループホームの名前)で過ごしてほしい』
と書いてありました。
(心の声)
前も言ったけどさー❗️家族の希望なんて聞かれたことないんですけど。そう言った時に「最初、そうおっしゃいました」とか言うの。
その時もいったけどさー❗️
「その時はそうだったかもしれないけれど家族にその都度意向を確認するものではないですか?」(ここは少し意地になっています)と言ったのにまた確認せずにシャーシャーとコピペしちゃって
偽の笑顔で
『家族の希望のところ少し変えてもらいたいんですけど』
と申し出ました。
『安心で安全に過ごしてほしい』と。
虐待チックな事があり家族としては安心していないことや義父の安全が脅かされているのではないかというのもあり、そしてグループホームの職員にもしっかりと家族の意向を伝えたと記録に残しておきたくて訂正を求めました。
恥ずかしながら私自身が支援計画を作っていた時にここまで考えていたかというと胸を張って「そうです」とは言えないけれどいつも言われていた事は「この支援計画を見れば初めて見る人も支援のイメージができるように」そして「誰でも同じ支援ができるように書きなさい」と指導を受けました。
それができていたかというと自分自身は判断できないけれどその時の学びが生きています。
そう家族の希望をお伝えし計画書にサインをしました。
そんなグループホーム生活ですが残念ながら安全でも安心でもなかったわけで計画書にサインをした1週間後に義父の骨折となりました。
在宅にいても転倒もあるし骨折もする。
実家の祖母(104歳)も昨年、立て続けに2回それも左右骨折しました。
骨折したことも残念な出来事ですが今までのエピソードがあるためしっかりと支援してもらえたのだろうか?と疑心暗鬼になってしまいました。
一旦、失った信頼ってなかなか回復しないものですね。
散々と不満ばかり言ってしまい、なおかつブログに記録しておりますがあくまで私のフィルターを通しての感想となります。
【ミステリというなかれ】というドラマの中で
主人公の
『真実は人の数だけあるんです』という言葉。
自分の中の真実が他の人にとっては真実ではない事もあるから(グループホームや小規模多機能の対応などにもその人たちの真実があるはず)せめて私の中の真実はお伝えしたいとは思うのです。