本日、連投になります。

10年前の3月11日に思いを馳せたいと思います。

 

10年前、息子は保育園の年長さんでした。

その日、私は午前中に仕事を終えていました。

 

保育園のお迎えも頭の中にありながら大きく長い揺れ。

 

私の住む新潟も息子が産まれてから

中越地震、中越沖地震と経験していますが

それとはまた違う感じがしました。

 

保育園にすぐ連絡をし

「可能であればお迎えに来てください・・・」

 

すぐに迎えにいきました。

 

 

保育園では子供たちがお遊戯場の真ん中に集められていました。

お昼寝の途中だったのでお布団もそのままになっています。

 

おびえて泣いている子供もいました。

 

息子は・・・というと

「なにか起こったの?」という顔をしていました。

 

地震があったことを気づいていないのかそれとも理解できていないのか?

なぜ「今ママがここにいるの?」といった感じでしょうか。

 

夫や実家とも連絡がとれ安心しましたがTVからは見たこともない光景が流れています。

 

その日をどうやって過ごしたのか覚えていないのですが

TVの映像がまさしく今起こっていることなんだと信じられない気持ちでした。

 

 

その年は息子が卒園の年でした。

 

卒園式ができるのか心配もしましたが

無事にその日を迎えらることができました。

 

こういう当たり前だと思えることが

いかに大切な瞬間なのか思い知らされました。

 

こういう瞬間を過ごせることに感謝すると同時に

この瞬間を過ごせなかった人たちの事にも思いを馳せました。

 

 

『私たちは当たり前の生活が実は当たり前でない』ことに

残念なが失ってから思い知らされることが多いですタラー

 

 

昨年からの新型コロナウイルスもそう。

 

私たちの日常から当たり前がなくなってしましました。

 

 

息子が

「マスク、苦しいねー」と言いました。

 

マスクをしていない方が非日常になりつつあります。

マスクなしの生活が日常になりますように。

 

 

 

今日の14時46分は多くの人が祈りをささげるのでしょう。

私も亡くなった方のご供養と、当たり前の日常に感謝して黙とうを捧げたいと思います。